Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
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中川真のジョクジャカルタ訪問記 2
■22日(木)
 午前中はガジャマダ大学とISI(芸術大学)に行きました。僕の大学(大阪市立大学)のパートナー校として、ここ4年ほど共同研究やシンポジウムを催してきたため、大阪市大の教員として「お見舞い」に来たのでした。さらに、今年の共同事業の打合せもしました。僕としては、「ガムランを救え」の活動ともリンクさせながら、市大のミッションを設定しようと思い、毎年行っているシンポジウムのテーマを「震災からの芸術・文化の立ち直りと、震災における芸術・文化の役割」というものとし(来年1月に開催)、そのための被害の実情ならびに復興や新しい創造のプロセスについての共同調査を行うこととしました。この提案については、両校の研究者たちも賛同してくれて、さっそく調査チームを編成することになりました。この調査結果は、我々のプロジェクトの遂行にも大いに役立つはずです。

 ガジャマダ大学ジョクジャの北に位置しており、建物などの被害はほとんどありません。しかし、通学している学生や家族には被害が多出し、勉学が困難になっている学生も少なくありません。また、大学として被災地に救援物資を届けるだけではなく、被災地の人々の心のケアのための専門的なチームが結成され、現地に入り込んでいます。これは大学ならではの活動です。さらに、プランバナン遺跡などの世界遺産の被害についての調査も始まったようです。

 ISIはジョクジャの南側で、激甚地区にあったバントゥルの北部に位置しており、校舎の破壊のされかたはすさまじいものがありました。半分近くの校舎が立入禁止、使用不能という状態です。学長室、大学事務局もガレージを改装したところに据えられ、応接室はテントのなかでした。幸いなことに教員に死者はなく、学生が2名亡くなったとのことです。しかし、家を失った関係者は実に多く、校舎の再建とともに、自分たちの生活の再建もまた大きな荷となって覆ってきているようです。ただ、震災から4週間近く経ったことから、当初の悲嘆や落胆は少し薄まり、これからどうしようかという思案の段階にきています。バンデム学長と話したところ、校舎の再建には10年はかかるかもしれないとのことですが、9月からの新学期は、たとえ校舎がなくても通常通りしたいとのことです。僕は震災の年に神戸の甲南大学に教えに行っていたのですが、校舎はプレハブで、隣の授業の声などがまる聞こえ、音楽を鳴らすことなど全くできなかったことを思い出しました。ISIは、美術学部の建物がほとんど無事に残っているため、それを中心的に活用するようです。この大学でも、美術系の教員が中心になって、トラウマをもった子供たちをケアするアート・プロジェクトが始まっていました。

 さて、午後からはいよいよ被災地に赴き、被災した音楽家などを訪ねながら、色々話を聞いてまわりました。フィールドワークです。案内役は昨日のシスワディさんとジョハンさん。インド洋まで通じているパラントゥリティス通りを南下すると、道の両側にはレンガをはじめとする瓦礫が延々と積まれています。まるで、雪国の道の両側に積まれた雪のようです。砂塵や礫塵が舞っています。まず、音楽家のスニョトさん。周囲の家はバラバラになっている中で、かろうじて家はたっていますが、大きな亀裂が入っており、多分使えないだろうということで、テント生活。どうもこのあたりの家には「耐震」という概念はないようです。ダルマシスワで留学中の岩本象一君(CAPガムラン)が瓦礫を取り除く手伝いをしていました。スニョトさんはしかし、終始明るくケラケラと笑っていました。なんだか、笑ってないとやってられないよ、という感じです。自宅でガムラン教室を営業していましたが、それも停止。

 そこからバントゥルの奥へ20分ほど車で南下したところにクンダン(太鼓)の名手トルストさんの家が。家はほとんど消えてなくなり、やはりテント生活です。かなり消耗しているのでしょう、一気に老けた感じがしました。元通りの生活に戻ると、新しく刻まれた皺も消えるのでしょうが・・・。ふだんは色々なところからクンダンを頼まれて飛び回っているトルストさんですが、それも極端に減って寂しそうです。この日に巡った方の多くは芸大の教員だったので、少ないながらも安定した収入があるのですが、もちろんそれは家の再建には回りません。インドネシア政府は全壊の場合、1軒につき3000万ルピアを援助するといっていますが、いったいそれがいつに実行に移されることやら、見当がつかないのです。アチェの復興は終わっていないし、いま東ジャワやスラウェシでは大洪水も起こっているし。そういった経済的側面もさることながら、音楽家は演奏してナンボというもので、音楽をするところに存在根拠があります。だから、テントのそばで呆然と佇んでいるトルストさんは、まるでトルストさんのようには見えませんでした。

 ハリャントさんは民族音楽学者です。彼の家も一応は立っていますが、中に入ることはできません。ちょうどジョクジャカルタ芸術祭の委員会から帰ってきたところだそうで、いつもは1ヶ月間やるんだけど、今年は7月の中旬の3日間だけ、それもジョクジャカルタ市内ではなく、バントゥルでやることに決まったそうです。それは被災した人々を元気づけるためということで、特に子供向けのワヤン「ワヤン・カンチル」をやるなど、被災者に配慮したプログラミングにするとのことです。また音楽だけではなく、写真展なども。こういう形で、被災した人々の生活のなかにアートや音楽が入っていくことは、とても大切だと僕は思います。音楽家や美術家も、この3日間で自分たちの果たし得る役割はいったい何なのかということを確認するそうです。音楽やアートが被災した人々を癒すことができるのは当然、ということはないと思います。
どんなアートを、どういうふうに提供するのかということを、考え抜く必要があるのではないでしょうか。それを、この3日間で試そうというのです。ちょうどダンサーの佐久間新さんがそのときにジョクジャに行きますから、見てきてもらいます。ところで、ハリャントさんは地震が起こった瞬間にビデオカメラを手にして、状況を写しまくったそうです。なかなか根性がすわっていますね。その生々しい映像を編集して、さっそくDVCの作品をつくっていました。

 次にシンデン(歌手)のスニュムさん。家は全壊ですが、お孫さんを抱いてニコニコ出迎えてくれました。隣では子供が死んだそうです。そこだよと言って指をさした先には、ただ空き地があるばかり。もう瓦礫も取り除かれ、その上にテントが張られていました。

 プジョクスマン舞踊団の太鼓の名手で、音楽舞踊専門学校の次期校長であるナルディさんの家も、立っているけれどヒビだらけ。やはりテント生活です。彼は会ったなかで最も前向きでした。6月初旬に韓国での公演が予定されていたのですが、6人編成を3人編成にして彼は行ってきたそうです。韓国に行くことについてどうしようかと家族に相談したところ、「行ってきたら?」といわれたそうです。仕事をいつものようにすることが、彼のエネルギーを生みだしているのではないでしょうか。7月にはバンコクにも1週間行って、舞踊コンクールの審査員をしてくるという。しかし、彼から次のような話を聞いたときはしんみりしました。ジャワでは、35日にいちど、色々な場所でガムランの演奏(ウヨン・ウヨンといいます)をする習慣があります。震災直後にちょうどウィヨゴさんという退職した高級官僚の家でウヨン・ウヨンがありました。演奏家の大半がバントゥル出身です。演奏家が集まって、いざボナンという楽器の序奏が始まろうとしたとき、ボナン奏者はバチを下に落として泣き出してしまいました。すると次から次へと泣きが伝染し、結局、この夜は演奏できなかったそうです。家族や親戚の誰かが亡くなったりしていて、その悲しみをこらえることができなくなったのでした。そんなときは、音楽家といえども演奏できなくなる。ウィヨゴさんはみなと膝をまじえて、ずっと話し続けたそうです。それで思い起こすのですが、今回の地震で特に大きな被害を受けたバントゥル、クラテンは、アーティストや音楽家、工芸職人を輩出するところで有名です。バティック村、ワヤン村、陶器村などが連なり、それらの家々が倒れ、人々が失われたのです。この問題の深刻さはジョクジャのあらゆる人々が気づいています。まさに、文化が消え去ろうとしているのです。その復興、再生は当事者だけではなく、これは世界的財産の問題として我々は考える必要があると思います。また、それを示す資料も作らねばならないでしょう。

 クラテンは、ジョクジャの北東部、ソロに向かう道中にあります。ガムランの名手であるトゥグーさんの村は、まさに壊滅状態でした。人々が大勢いるのに、あの静けさはなんでしょうか。樹木の間に瓦礫が積まれています。色々な形をしたテントが、家の跡に伏せっています。地震の直後は阿鼻叫喚だったと思われます。瓦礫のなかから家族を救い出し、負傷者を病院に運び、死者を弔う・・・。そこには嵐のようなエネルギーが吹き荒れていました。それがやんだときの、この静寂のおそろしさはいったい何なんでしょう。トゥグーさんはそんなテント横のゴザにポツンと座っていました。歌舞伎に出てくる平家の落ち武者のように、髪の毛は後方にばらばらと伸びています。いま彼の前には楽器はありません。音楽どころではないように見受けられました。30分ほど走ればジョクジャ市内に着きます。市内中心部はそれほど被災しておらず、いつもと変わりのない都市生活が繰り広げられています。それとのあまりの落差。
トゥグーさんは9月までここを動かないといいます。今日会ったなかでは一番打撃を受けているようでした。激甚性と連動しているといってしまうと身も蓋もありませんが、気力がわいてこないようです。そんな彼に「頑張って音楽をやりましょうよ」とはいえませんでした。ゆっくり時間をかけて取り戻していくのでしょう。彼に対して僕が何ができるのかというと、いまのところ、生活を支援するしかないようです。家の倒壊によって彼のお父さんが頭部に傷を受け、外のゴザに寝かせていたら夜半にすごいスコールが襲ってきたそうです。それが2夜も続いて、まだテントも何もない状況のなかで、布をかざしてびしょぬれになりながら兄弟でお父さんを護ったそうです。
電気がつくまで2週間。それまではろうそくのあかりだけでした。泣きながら、雨のなかを立ち尽くしていたそうです。そんな状況から立ち直るには、やはり長い時間がかかるのだろうなと思います。

 プランバナン在住のティンブルさんはガジャマダ大学の考古学教授であり、ガムラン演奏家です。彼の家も全壊となり、幸い全壊を免れた別家の庭にテントを張って暮らしています。8月にムラピ山に関する大きなセミナーが、彼のコーディネートのもとで行われる予定だったのですが、彼は中止を進言するつもりです。いまそんなことにお金を使っている場合ではないでしょう。セミナーは一握りの学者のためのものであって、いまは、もっと多くの人々のためにお金は使われるべきだというのです。これも見識だと思います。

(つづく)
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