3月の終わりに愛媛大学でワークショップをした。桜が咲く直前だった。エイブルアートのつながりで、杉林先生や牛山先生が中心になって企画してくれた。講師は僕とたんぽぽの家の伊藤愛子さん。参加者は、愛媛大学のダンス部の先生、学生、教育学部の先生、学生、元学生のダンサー、演劇人、小学生などたくさんだった。
2日間に渡って、いろいろからだをうごかした。愛ちゃんとのふたりでの即興から始めた。一日目の夜は、みんなで飲みにいった。愛媛の学生たちは愛媛が大好きなようだった。2日目の最後は、外へ出た。木に登ると、拍手が出た。一緒に登って欲しかったんだけど・・・。楽しい2日間だった。
つぶやきを元に振り返ってみます。
https://twitter.com/kasakuman
3月28日と3月29日
宇宙船のような、ボール紙のようなドアが開く。エンブレムを軸にきれいに回り、一瞬車両全体に視線をやる。かすかに微笑みながら、重い鍬の振り下ろすように額を垂れ、やや粘るように引き上げる。と、ボール紙のドアがさっきよりゆくっりと閉まっていく。腕の腕章には赤い字で指導車掌と書いてある。
いきなり返りの新幹線でのつぶやき。WSのここちよい興奮と疲れを抱いて愛ちゃんと隣同士。気になる動作の車掌がやってくる。ふたりで同時に反応、そして真似てみた。なんども何度も車掌はやって来て、寸分違わない動作を繰り返す。でもきっと彼は、僕らを意識していた。
ホテルのドアの横にベストを着た白髪で小柄な老人が立って、無言で迎えに来たと語っている。「運転手さん、桜は咲きましたか?」「いえ、まだなんですよ。」と、そこからお客さんに教えてもらうという桜の話に花が咲いた。愛媛大学の正門に着くと、大きな桜が、今日咲くだろうというほころびようだった。
時間が遡って行く。ホテルをチェックアウトする時のこと。存在が運転手さんだった。
学食で昼を食べた後、ストリートダンスが得意なダンス部の学生たちに踊ってもらった。上気した顔の男子学生が、あなたの感想が聞きたいと言っている。午前中のゆっくりでんぐりがえりとか、さかなやねこになるダンスでちょっと困ってたもんね。振り付けの極限までいって、ぶったおれればいいと答えた。
いろんなダンスがあっていいと思う。遅いダンス、早いダンス、振り付けのあるダンス、即興のダンス、かっこいいダンス、ふざけたダンス、大胆なダンス、繊細なダンス・・・・。
僕と同年代の歴史の先生は、置いて来てしまったからだを少し取り戻した、と。美術専攻の学生は、今日は顔つきが変わって、キャンパスの木の根っこに座っている時に、みんなが聞こえてない音を聞いていた。小学5年の新体操をやってる女の子は紙芝居パフォーマーのお父さんと一緒にずっと集中していた。
自分で感じて、探して行けるのがいいと思う。難しいけど、そんなワークショップになればいいと。
マジックでほんだと書いたヘルメットかぶったおばあさんが仲間と植え込みで作業している。マルムシのように丸くなって、優しい力でいろんな形をしたスコップで土を返している。とてもかなわないダンス。温泉でも、駅でも、おばあさんたちが作業している様子が美しかった。
年老いることによって味の出るダンス。からだで感じながら生活から生まれるダンス。
NYでストリートダンスと出会い、大学では20年以上ダンス部を率いてきた牛山先生もWSに参加してくれた。即興の時、どうやって展開がうまれるのか、いつ考えているのか質問を受けた。ストリートダンスも始まった時は、きっと即興だっただろうし、もちろん舞台じゃなくてストリートだっただろう。
僕も即興はとても苦手だった。大ハジをかいて穴を掘ったことも何度もある。今だって、ああ、どうしてあの落ちに気づかなかったんだと悔しがる大喜利後の噺家のような思いをすることはしょっちゅうだ。だけど、失敗は何度だって、いつだって挽回できると分かったのも、即興をするようになってからだ。
伝統舞踊だって、ストリートダンスだって、うまれた時は即興だっただろう。数多くの即興の試行錯誤や突発的な偶然のひらめきの中から、これだっていうみんなが納得するような振り付けが残っていく。振付の中に即興を見、即興の中にこうでしかありえないような必然を感じること。動きながら感じながら。
ダンスしながら旅をして、旅をしながらダンスして、行きていく。
たんぽぽの家の伊藤愛子さんとWSするのは、7年前の2泊3日淡路島合宿以来。砂浜で波になったり、川になったりした。今回は語りもやってもらった。2日間を通して、愛ちゃんの本気の感情表現、人への尊敬や愛、自分へのいとおしさ、そしてなによりユーモアがよかった。ふたりでのWS、またやろう。
2日間に渡って、いろいろからだをうごかした。愛ちゃんとのふたりでの即興から始めた。一日目の夜は、みんなで飲みにいった。愛媛の学生たちは愛媛が大好きなようだった。2日目の最後は、外へ出た。木に登ると、拍手が出た。一緒に登って欲しかったんだけど・・・。楽しい2日間だった。
つぶやきを元に振り返ってみます。
https://twitter.com/kasakuman
3月28日と3月29日
宇宙船のような、ボール紙のようなドアが開く。エンブレムを軸にきれいに回り、一瞬車両全体に視線をやる。かすかに微笑みながら、重い鍬の振り下ろすように額を垂れ、やや粘るように引き上げる。と、ボール紙のドアがさっきよりゆくっりと閉まっていく。腕の腕章には赤い字で指導車掌と書いてある。
いきなり返りの新幹線でのつぶやき。WSのここちよい興奮と疲れを抱いて愛ちゃんと隣同士。気になる動作の車掌がやってくる。ふたりで同時に反応、そして真似てみた。なんども何度も車掌はやって来て、寸分違わない動作を繰り返す。でもきっと彼は、僕らを意識していた。
ホテルのドアの横にベストを着た白髪で小柄な老人が立って、無言で迎えに来たと語っている。「運転手さん、桜は咲きましたか?」「いえ、まだなんですよ。」と、そこからお客さんに教えてもらうという桜の話に花が咲いた。愛媛大学の正門に着くと、大きな桜が、今日咲くだろうというほころびようだった。
時間が遡って行く。ホテルをチェックアウトする時のこと。存在が運転手さんだった。
学食で昼を食べた後、ストリートダンスが得意なダンス部の学生たちに踊ってもらった。上気した顔の男子学生が、あなたの感想が聞きたいと言っている。午前中のゆっくりでんぐりがえりとか、さかなやねこになるダンスでちょっと困ってたもんね。振り付けの極限までいって、ぶったおれればいいと答えた。
いろんなダンスがあっていいと思う。遅いダンス、早いダンス、振り付けのあるダンス、即興のダンス、かっこいいダンス、ふざけたダンス、大胆なダンス、繊細なダンス・・・・。
僕と同年代の歴史の先生は、置いて来てしまったからだを少し取り戻した、と。美術専攻の学生は、今日は顔つきが変わって、キャンパスの木の根っこに座っている時に、みんなが聞こえてない音を聞いていた。小学5年の新体操をやってる女の子は紙芝居パフォーマーのお父さんと一緒にずっと集中していた。
自分で感じて、探して行けるのがいいと思う。難しいけど、そんなワークショップになればいいと。
マジックでほんだと書いたヘルメットかぶったおばあさんが仲間と植え込みで作業している。マルムシのように丸くなって、優しい力でいろんな形をしたスコップで土を返している。とてもかなわないダンス。温泉でも、駅でも、おばあさんたちが作業している様子が美しかった。
年老いることによって味の出るダンス。からだで感じながら生活から生まれるダンス。
NYでストリートダンスと出会い、大学では20年以上ダンス部を率いてきた牛山先生もWSに参加してくれた。即興の時、どうやって展開がうまれるのか、いつ考えているのか質問を受けた。ストリートダンスも始まった時は、きっと即興だっただろうし、もちろん舞台じゃなくてストリートだっただろう。
僕も即興はとても苦手だった。大ハジをかいて穴を掘ったことも何度もある。今だって、ああ、どうしてあの落ちに気づかなかったんだと悔しがる大喜利後の噺家のような思いをすることはしょっちゅうだ。だけど、失敗は何度だって、いつだって挽回できると分かったのも、即興をするようになってからだ。
伝統舞踊だって、ストリートダンスだって、うまれた時は即興だっただろう。数多くの即興の試行錯誤や突発的な偶然のひらめきの中から、これだっていうみんなが納得するような振り付けが残っていく。振付の中に即興を見、即興の中にこうでしかありえないような必然を感じること。動きながら感じながら。
ダンスしながら旅をして、旅をしながらダンスして、行きていく。
たんぽぽの家の伊藤愛子さんとWSするのは、7年前の2泊3日淡路島合宿以来。砂浜で波になったり、川になったりした。今回は語りもやってもらった。2日間を通して、愛ちゃんの本気の感情表現、人への尊敬や愛、自分へのいとおしさ、そしてなによりユーモアがよかった。ふたりでのWS、またやろう。
スポンサーサイト
| HOME |
ウロコ通信 116書きました≫
| HOME |