Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
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ホールでダンス事故を。
2月2日
この日はプログラムが3つあり、僕らは2番目。森田かずよさんと砂連尾理さんの作品の間。最後には、大谷燠X砂連尾理X佐久間新のトーク。

奈良障害者芸術祭HAPPY SPOT NARA の一環で、パフォーミングアーツを集めたのが「鹿の劇場」。それがさらに、音楽、ダンス、演劇に別れている。この日は、ダンスの日で「からだの発見」と題されていて、3つの作品が上演される。芸術祭全体の制作はたんぽぽの家が行っており、ダンスの部分はDANCE BOX の大谷燠さんがディレクター。

大谷さんはDANCE BOXの代表で、日本のコンテンポラリーダンス界で中心的に活躍している人。僕はジャワ舞踊をやっているが、ジャワの古典舞踊を踊っているかぎりはあまり接点がない。ジャワ舞踊、バリ舞踊、インド舞踊、フラメンコ、フラ、ベリーダンスといったエスニック舞踊をしている人や、日本舞踊や神楽や能をしている人もあまり接点はないだろう。ヒップホップとかをやっている若い人は、接点があるのかなあ。

僕自身は、2004年にダルマブダヤと由良部正美さんとのガムランを使った新作の発表を、まだフェスティバルゲートにあったDANCE BOXでやった。僕にとっては、創作したダンスをコンテンポラリーダンスの人の前で踊るはじめての機会だった。それまでにも、野村誠さんの「セミ」やマルガサリの「桃太郎」で創作したダンスを人前で踊っていたとはいえ、すこし違う意識が働いた。ダンスを専門にやっている人に対するコンプレックスかな。僕のダンスをダンスって言っていいんですか、って。

2005年だっただろうか。立命館大学で、ジョグジャカルタ州と京都府の友好提携コンサートがあり、スルタンも列席する中でジャワの古典舞踊を踊った。その後で、来日していたジャワのコンテンポラリーダンスのブサールさんとJCDN(Japan Contemporary Dance Network)の水野立子さんとお茶をした。「あなたもいつまでも、こんな王子様のダンスを踊ってないで・・・。」とハッパをかけられた。ベン・スハルトやピチェ・クランチェンがアメリカへ留学した際にも、「お前が伝統舞踊の達人であることはわかった。で、お前のダンスはなんなんだ。」ということをしきりに問われたと聞いたことがある。伝統舞踊に中に、すでにすべてがあると思っているふたりの達人や、その端っこにいる僕にとってさえ、返す言葉はあるのだが、そのハッパにあえて乗って飛び出したい衝動もあったのかもしれない。

その後、僕のダンスは、王子様のダンスから、鬼、障がい者、おっさん、花嫁、湯気、ペットボトル、坂道、詩の朗読などへ広がって行った。そして段々と、コンテンポラリーダンスの人とも出会うようになった。それ以外にも、ダンスを通じて、哲学者、介護職員、エイブルアート関係者、理学療法士、詩人、宗教家、学生、フリーターなどさまざまな人と出会い、からだを動かし、おしゃべりをした。からだを通じた接点がいっぱいみつかった。

僕は、今、ダンスの可能性を探っている。ジャワ舞踊の宇宙がどこまで広がっているのかを確かめている。
その中で、いろんなダンスがいろんな場にあらわれることを実感している。
たとえば、たんぽぽの家などでやっているワークショップの中で、時としてあらわれる参加者とのほんとにいいダンスの瞬間、からだトークでの湯気や煙とのダンス、インドネシアの断崖絶壁にキャンプしてやったi-picnicでの野外ダンス、京都文化博物館で展示物や見学者と関わりながらやった伊藤愛子Xウォン・ジクスX佐久間新のパフォーマンス、家の近所の泉でシラサギと出会った時の誰も見てないダンス、などなど。ダンスにはいろんな表現があり、いろんな可能性がある。当たり前だけど、ホール以外のところにもダンスはあふれている。そしてコンテンポラリーダンス自体も、同時代のダンスと言う字義通りにさまざまな現代のダンスがあらわれはじめて、ホールからはみ出して、境界がなくなりつつあるようにみえる。

逆説的だけど、僕だって、ホールだからできる、あるいはホールだからこそいきるダンスもあると思っている。照明があって、セットがあって、集中してみる観客がいるような場。みんなが息を殺して見続けるような場。環境から切り離された独特の空間だからこそいきるダンス。

僕がやっているダンスの中にも、ホールでもやれるダンスがあると思う。ホールでのダンスの世界にも入って行きながら、そこに風穴を空けるようなダンスをやってみたい。晴美さんとのダンスはそのひとつだろう。彼女の存在の強さ、出てくる動きの繊細さと強さは、ホールでも映えるだろう。僕は、あまりホールで踊るのは好きじゃないと言ってきたけど、晴美さんとのダンスならば、ホールでやるのはいいのかもしれないと思っている。ホールに、彼女の生が持ち込まれ、事故が起き、いろんなものを揺るがせて行く。その今を生きる晴美さんと、即興でダンスできることは、僕にとって変えがたい喜びである。強烈な生、事故を受け入れる受容性と即興力、繊細でダイナミックなからだ。自分の力を総動員して、闘える場がうまれてくるのがダンス事故「うまれる」の舞台。
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