Gamelan Marga Sari -Blog-

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「千恵さんになってみる」ピクニック
大阪ピクニックというプロジェクトをやっている。平野町の船場アートカフェに隠れ家がある。

自分のまわりの環境、自然や街や人や音や光やにおいや湿気や風など、いろんな刺激を五官で感じて動きが生まれ出す、ということがダンスにはある。気持ちのいい場所にいって、風や光を感じて、気のあった友人や動物や自然とダンスできたら、どんなに気持ちがいいだろう。

ジャワ舞踊のベースにも、自分のからだの軸を感じて、その延長線上を意識し、建物や街や天体と一体化していくという感覚がある。その一方で、ジャワやバリの人たちにとって、ダンスや音楽は、生活となだらかにつながっている。

からだを、五感を、目一杯研ぎすませて、自然や街を味わいたい、一体化したい、という思いから「大阪ピクニック」は出発している。これまでのピクニックの中で、坂道を転がったり、マンホールの下を味わったり、塀に絡まるツタを愛でたり、とからだで街を味わってきた。

しかし、原子力発電所が壊れてしまった現在、そうやって、からだで街を味わって、ダンスが生まれてくるのを待つということが、自らのからだを危険にさらす行為になってしまっている。放射能が際限なく広がる世界で、どうやってダンスを続けていったらいいのだろうか。

今回のピクニックでは、すこし前の日記に書いた乾千恵さんのことをヒントにして、いくつかのポイントで「千恵さんになってみる」を試みた。
http://margasari01.blog63.fc2.com/blog-entry-457.html

サングラスをして、耳栓をして、それからビニール合羽や手袋に身を包んで、感覚にそっとふたをして、街を感じてみる。「見えない/見えにくいもの」「聞こえない/聞こえにくいもの」「触れられない/触れにくいもの」の存在を感じながら、いつものピクニックとは違った感覚を探ってみる。

11月5日
すべてをつなく水を感じようと、大阪の浄水場がある柴島からスタートした。
阪急柴島駅のすぐ近くの高架下で、おそるおそる試しに「千恵さんになってみる1」をスタート。電車が通ると頭上のコンクリート天井が揺れ、低周波がからだに響いた。誰も入ることの無い高架下の地面には、無数の鳩の足跡がゆっくりと風化しながら見事な模様を作っていた。
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淀川の堤防へ上がると、太い滔々とした流れがあった。鉄とコンクリートから出来た無数の橋が架かっている。しばらく歩くと、堤防の内側に茂った指が切れる葉っぱと葉っぱに着いた雨粒を味わってみたくなり、草に分け入った。
ひとたび濡れてしまえば、大胆な気持ちになる。寝転ぶと別の景色が見える、別の気分になる。放射能まみれかもしれない危険な遊び=ダンス?
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Osaka Picnic 4: Is Dancing Savage after FUKUSHIMA?
http://www.youtube.com/watch?v=sv1H5Rnfukw


横に伸びる木に登って、一体化。
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すこし行くと、レンガ造りの建物があらわれた。看板があり、「もし魚が大量に死んで浮かんでいれば連絡するように」と書いてある。ああ、ここは取水口なんだ。大阪の人間が飲む水は、ここから取られているんだ。川縁まで降りてみた。ゴミが散乱し、ブイが浮かんでいる。手ですくって飲んでみた。いや、飲んでみるふりをした。顔だけ洗ってみるのが精一杯だった。
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Osaka Picnic 4: The River
http://www.youtube.com/watch?v=3sf1SvO6VJw


河原のアスファルトの上で、「千恵ちゃんになってみる2」。かなり雨に濡れたせいか、気持ちは安らかになり、からだもリラックスしている、不思議だけど。サングラスとイヤーマスクをし、手袋をはめる。目もつぶる。見えない、聞こえない。手探りで前に進む。普段即興ダンスをしている時のような、感覚が生まれない。もどかしい、ただもどかしい。あきらめて、上を仰ぎ見る。雨粒が顔に当たる。少し、感覚が変わって、手探りをやめてみる。それでも、やっぱり宙ぶらりん。どこにいるのか、どっちを向いているのか、ほとんどわからない。思いもよらないところで、雑草に触れる、雑草を踏む。それが、さらに感覚を混乱させる。不意に、背中が押された。人の手の感触。感触に感謝、感触に委ねる。そこからすこし、感覚が流れはじめ、ダンスが生まれている。

もう一度ひとりになり、ゆっくりとふたたび感覚を研ぎすませてみた。一枚隔てたその向こうを感じてみる。ゆっくりと回ってみる。うっすらとした明かり、からだに響く音、顔に触れる風、におい、緩やかな傾斜に、感覚をそばだてる。さっき見た、鉄橋の上の鳥の群れはどちらだろうかと、探りながら回る。ああ、ここだ、と思って、ゆっくりとまぶたの線を切り取って、はがしてみる。光が入り込むと、見る前に見えていた光景が、ゆっくりとあらわれた。イヤーマスクをゆっくりと耳から離していくと、鳴り響いていたらしいサイレンが鮮やかに響きはじめた。
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Osaka Picnic 4: No sound No sight No skin after FUKUSHIMA 02
http://www.youtube.com/watch?v=KpCA2ZrvAbE


この映像は、地味で長い(約20分)ので、見るのが大変だと思います。でも、なかなか味わい深いので、時間のあるときにゆっくり見ていただければ、うれしいです。途中で、なにをやっているんだろうって、鷹が不審に思っているのか、鳴き声もたくさん入っています。
参加者:田中みょん、田中晶平、檜垣平太、高岡伸一、寺岡文、ほんまなおき、佐久間新
映像:ほんまなおき
写真:Aya Teraoka

さて、これからどうやって、その後の世界で、生きていくのか、ダンスしていくのか。まだまだ暗澹とした絶望の中にいます。それでも、鉛のような雲の向こうにわずかな光が見えているかもしれないと、思えはじめました。これからの第一歩目のピクニック。
(佐久間新)
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Comment
≪この記事へのコメント≫
最近このブログを知ってちょこちょこ読んでいるきむきがんです。
さくまさんは文章までなんか、生活全部を踊りながらやってはるんだな、と思います。
この動画もみました。ゆっくりと流れる時間の中で「どろり」と動きがあってこういうの今私めっちゃすきなんです。
2011/11/18(金) 06:37 | URL | きむきがん #-[ 編集]
きがんさん、ありがとう!!
生きてることと踊ることが、つながっていると感じること大事ですね。
映像には、映るものと映らないものがあります。でも中には、映像にした方が見えやすいものや、映像にしか映らないものもありますね。
「どろり」どっちだろうね。
この時、現場でも、いい時間が流れました。そして、その流れの中でどんどんと感覚のモードが変化していきました。そのことは、映像にも映っているような気がしています。

12月の公演でも、
いろんな見えないもの見えにくいものを
ダンスで表現したいというか、
あらわれていたらいいなあ、と思っています。
2011/11/18(金) 23:19 | URL | さくましん #JvQfqRII[ 編集]
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