湯湯がブログに八ヶ岳の写真を載せてくれた。本間さん、かっこええなあ。
http://yuyutsuboi.exblog.jp/
8月14日
7時前にブナと家を出て、箕面の本間直樹さんのマンションへ。本間さんとパートナーの高橋綾さんとマメと文鳥2匹を乗せて、僕の実家へ。マメと文鳥を、佐久間ママに預けるのだ。で、やっと出発したのは9時前。
近畿、第2阪名、京滋バイパス、新名神、伊勢湾岸道、東海環状、中央道を通って、小淵沢ICへ。なんと名神を通らないで行ける。お盆で渋滞を警戒したルート。京滋バイパスでちょこっと混んだくらい。14時には、小淵沢に着いた。
今回の登山のきっかけになった坪井湯湯さんと待ち合わせ。だったが、来ない。電話があってだいぶ遅くなるとのこと。彼女は、元マルガサリのメンバーの美術家だが、3年くらい前から八ヶ岳の黒百合ヒュッテで働いている。ブログでちょこちょこチェックしていると、山の景色が美しく、湯湯自身もどんどん変わって行っているのが分かった。なので、一度行ってみたいと思っていた。そろそろ山小屋を卒業するらしく、今回がラストチャンスかと思って、行くことにした。
でも、14日といえば、十津川村武蔵の盆踊りがあって、二十歳の頃から日本にいればだいたい参加していたのだ・・・。そういえば、湯湯とはじめて会ったのは、10年前の十津川だった。ボットン便所の青年会館で雑魚寝をした。
この日の晩は、高橋真理子さんのログハウスに泊まることになっていたので、彼女がいる山梨科学館へ。真理子さんと会ったのは、今年の春にたんぽぽの家であった「臨床するアート」というフォーラム。科学館で再会というか2度目の出会い。厚かましくも買ったばかりのログハウスの鍵を借りた。来年1月には、プラネタリウムで星とダンスのワークショップをすることにもなった。真理子さんは、亡くなった動物写真家の星野道夫さんと共同のプラネタリウムプログラムを作っている。
甲府から長坂へ戻る。駅前の暗闇に湯湯が座っている。大きなリュック、深緑のズボン、薄いサンダル履き。高橋綾さんのリクエストで駅前のほうとう屋へ。ぶなが頼んだ鉄鍋のほうとうには、カボチャがゴロゴロ入っていた。本間さんのiphoneに、真理子さんからもらったログハウスの場所をリンクさせていたので、それに誘導してもらって運転。八ヶ岳山麓で住所も分かりにくいし、最後の方はダートの道。僕はナビより地図派なんだけど、これはさすがに便利だった。
8月15日
ログハウスのデッキで朝食。八ヶ岳の西側を回り込んで、北側にあるメルヘン街道へ。山梨と長野の県境にある麦草峠の駐車場に車を停めて、いよいよ登山。もう昼近かった。白駒池を越えた辺りで、おにぎりの昼食。途中、にゅうを経て、標高2400メートルの黒百合ヒュッテに着いたのは、16時前だった。
山小屋で働く人のローテーションは短く、3年働いた湯湯はヌシのような存在だった。その客人ということで、手厚くもてなしてもらった。山小屋には、山小屋のルールがあるようだった。山に登るには、本来は、自分の使う物は自分で持って上がるというルールと言うか美意識があるようだ。テントや水や食料は、自分で担いで上げる。なので、山小屋でふとんを借りたり、ご飯を食べたりするのは、ちょっと恥ずかしいというか、すこし遠慮気味にするのがいい。また、山小屋にあるものは、本来は、誰かが苦労して担いで上げたものなので、無駄にしてはいけない。今は、ヘリも使っているけど、それなりに苦労してるのは変わりない。水は雨水だし、電気はソーラー。これも無駄にはできない。
歯磨きも手洗いもちょろちょろ細く出して、パパッとする。食後のお茶はちょびっと茶碗に入れて、ササッと洗いながら飲む。室内は暗く、テレビは18時50分から天気予報だけを見て、ブチッと切る。20時には深夜になって、ぐうぐう寝て、5時前にはガバッと起きる。タマゴかけご飯を食べたら、夜明けとともにザックザックと出かける。実にエコロジカルだし、なにより気分がいい。インドネシアへ留学したときに、いろんなカルチャーショックを受けた。節約すること、人と人の距離が近いこと、人が開いていること。湯湯も同じようなことを、言っていた。エネルギーシフト後の生活のヒントは、山の上や熱帯の暮らしにもたくさんあるみたいだ。
この日は、ヘリコプターが物資を運んでくる日だったので、それを見学してから、出発。2645メートルの天狗岳の山頂を目指す。1日目よりもからだが慣れたせいか、足取りは軽かった。山頂に着く頃には、ガスが発生していた。二手に分かれて、僕はぶなと這い松と岩がゴロゴロしているルートをとった。山に入ってからぶなは少し成長したような気がした。自分の身の安全を自分で考えるってことかな・・・。僕が小学3年のとき、佐久間パパは僕と2歳年下の妹を連れて3192メートルの北岳に登った、テントを担いで。テントで寝ていると、雨水がざあざあと入ってきて、飛び起きた。雨の中で、びしょ濡れになって、テントのまわりに溝を掘った。ずぶぬれになったシャツを乾かしながら食べたカップラーメンがおいしかった。
ヒュッテに戻って焼き鳥とおにぎりのお弁当。そのまま下山。途中高見石の山小屋でコーヒーを飲んで、さらに下って行く。白駒池に着くと、16時を回っていた。温泉、おそば、湯湯とさようなら。マメと文鳥を迎えて、箕面経由で牧へ戻ると、もう日付はとっくに変わっていた。
http://yuyutsuboi.exblog.jp/
8月14日
7時前にブナと家を出て、箕面の本間直樹さんのマンションへ。本間さんとパートナーの高橋綾さんとマメと文鳥2匹を乗せて、僕の実家へ。マメと文鳥を、佐久間ママに預けるのだ。で、やっと出発したのは9時前。
近畿、第2阪名、京滋バイパス、新名神、伊勢湾岸道、東海環状、中央道を通って、小淵沢ICへ。なんと名神を通らないで行ける。お盆で渋滞を警戒したルート。京滋バイパスでちょこっと混んだくらい。14時には、小淵沢に着いた。
今回の登山のきっかけになった坪井湯湯さんと待ち合わせ。だったが、来ない。電話があってだいぶ遅くなるとのこと。彼女は、元マルガサリのメンバーの美術家だが、3年くらい前から八ヶ岳の黒百合ヒュッテで働いている。ブログでちょこちょこチェックしていると、山の景色が美しく、湯湯自身もどんどん変わって行っているのが分かった。なので、一度行ってみたいと思っていた。そろそろ山小屋を卒業するらしく、今回がラストチャンスかと思って、行くことにした。
でも、14日といえば、十津川村武蔵の盆踊りがあって、二十歳の頃から日本にいればだいたい参加していたのだ・・・。そういえば、湯湯とはじめて会ったのは、10年前の十津川だった。ボットン便所の青年会館で雑魚寝をした。
この日の晩は、高橋真理子さんのログハウスに泊まることになっていたので、彼女がいる山梨科学館へ。真理子さんと会ったのは、今年の春にたんぽぽの家であった「臨床するアート」というフォーラム。科学館で再会というか2度目の出会い。厚かましくも買ったばかりのログハウスの鍵を借りた。来年1月には、プラネタリウムで星とダンスのワークショップをすることにもなった。真理子さんは、亡くなった動物写真家の星野道夫さんと共同のプラネタリウムプログラムを作っている。
甲府から長坂へ戻る。駅前の暗闇に湯湯が座っている。大きなリュック、深緑のズボン、薄いサンダル履き。高橋綾さんのリクエストで駅前のほうとう屋へ。ぶなが頼んだ鉄鍋のほうとうには、カボチャがゴロゴロ入っていた。本間さんのiphoneに、真理子さんからもらったログハウスの場所をリンクさせていたので、それに誘導してもらって運転。八ヶ岳山麓で住所も分かりにくいし、最後の方はダートの道。僕はナビより地図派なんだけど、これはさすがに便利だった。
8月15日
ログハウスのデッキで朝食。八ヶ岳の西側を回り込んで、北側にあるメルヘン街道へ。山梨と長野の県境にある麦草峠の駐車場に車を停めて、いよいよ登山。もう昼近かった。白駒池を越えた辺りで、おにぎりの昼食。途中、にゅうを経て、標高2400メートルの黒百合ヒュッテに着いたのは、16時前だった。
山小屋で働く人のローテーションは短く、3年働いた湯湯はヌシのような存在だった。その客人ということで、手厚くもてなしてもらった。山小屋には、山小屋のルールがあるようだった。山に登るには、本来は、自分の使う物は自分で持って上がるというルールと言うか美意識があるようだ。テントや水や食料は、自分で担いで上げる。なので、山小屋でふとんを借りたり、ご飯を食べたりするのは、ちょっと恥ずかしいというか、すこし遠慮気味にするのがいい。また、山小屋にあるものは、本来は、誰かが苦労して担いで上げたものなので、無駄にしてはいけない。今は、ヘリも使っているけど、それなりに苦労してるのは変わりない。水は雨水だし、電気はソーラー。これも無駄にはできない。
歯磨きも手洗いもちょろちょろ細く出して、パパッとする。食後のお茶はちょびっと茶碗に入れて、ササッと洗いながら飲む。室内は暗く、テレビは18時50分から天気予報だけを見て、ブチッと切る。20時には深夜になって、ぐうぐう寝て、5時前にはガバッと起きる。タマゴかけご飯を食べたら、夜明けとともにザックザックと出かける。実にエコロジカルだし、なにより気分がいい。インドネシアへ留学したときに、いろんなカルチャーショックを受けた。節約すること、人と人の距離が近いこと、人が開いていること。湯湯も同じようなことを、言っていた。エネルギーシフト後の生活のヒントは、山の上や熱帯の暮らしにもたくさんあるみたいだ。
この日は、ヘリコプターが物資を運んでくる日だったので、それを見学してから、出発。2645メートルの天狗岳の山頂を目指す。1日目よりもからだが慣れたせいか、足取りは軽かった。山頂に着く頃には、ガスが発生していた。二手に分かれて、僕はぶなと這い松と岩がゴロゴロしているルートをとった。山に入ってからぶなは少し成長したような気がした。自分の身の安全を自分で考えるってことかな・・・。僕が小学3年のとき、佐久間パパは僕と2歳年下の妹を連れて3192メートルの北岳に登った、テントを担いで。テントで寝ていると、雨水がざあざあと入ってきて、飛び起きた。雨の中で、びしょ濡れになって、テントのまわりに溝を掘った。ずぶぬれになったシャツを乾かしながら食べたカップラーメンがおいしかった。
ヒュッテに戻って焼き鳥とおにぎりのお弁当。そのまま下山。途中高見石の山小屋でコーヒーを飲んで、さらに下って行く。白駒池に着くと、16時を回っていた。温泉、おそば、湯湯とさようなら。マメと文鳥を迎えて、箕面経由で牧へ戻ると、もう日付はとっくに変わっていた。
(佐久間新)
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≪この記事へのコメント≫
おお~、気づくのが遅れた~~、ごめんごめん。
いや、しっかりヌシでしたよ、自分で思ってるより。
その後の人生がまるっきり変わるような体験、僕のジャワでの体験もそうだった。
で、まだまだ、山から下りないのね・・・。
じゃあ、また一緒に登ろう!!
いや、しっかりヌシでしたよ、自分で思ってるより。
その後の人生がまるっきり変わるような体験、僕のジャワでの体験もそうだった。
で、まだまだ、山から下りないのね・・・。
じゃあ、また一緒に登ろう!!
2011/10/24(月) 07:13 | URL | さくま #-[ 編集]
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