7月8日
今日も、10時にマングナン小学校のみんなが我が家へやって来る。日曜日のコンサートに向けて、ジャティラン・ダンスと将棋作曲を深める。
昼前に、ISIのダルニさんが訪ねて来る。留学してすぐの授業でスンダ舞踊を習った先生。ベンさんたちと一緒に、ISIと横浜ボートシアターの合作「カルノ・タンディン」にも出演した。その時には、見事な即興芝居を見せてくれた。ダンスでも、芝居でも、なんでもできる女の人。
みんなで、ナシ・ブンクス(お弁当)。人数が少しくらい増えたって大丈夫なのはジャワスタイル。
昼からは、横田さんがISI大学院の先生のジョハン・サリムさんにインタビュー。ジョハンさんは、ISIの西洋音楽学科を卒業し、音楽心理学が専門。7月10日に行われる「こども創造音楽祭」のディレクター。始めて会ったのは、イウィンさんの妊娠7ヶ月の儀式ミトニの時だった。横田さんは教育学が専門で、今回は多文化多言語による教材開発の研究プロジェクトでやってきている。彼女のインタビューに、誠さん、公美子さんとともに、通訳役もかねて参加。
インドネシアでは、2006年に教育改革が行われた。その際に、特に芸術文化は、鑑賞と創造を通して、西洋志向から自国の文化を見直すことに柱が据えられた。ジョハンさんは、芸術文化の新カリキュラム作りの中心人物だった。特に、創造の部分では、音楽とダンスと美術とを分けずに、関連付けながら教育していくという新しい考え方が導入された。そして、教科書の作成は、全国の教師による公募制にした。採択された個人やグループには十分な賞金が与えられ、これで採択された教科書が現在インドネシア全国の小中高で使われている。
教科書の中身は、野村誠さんのブログの2011年5月22日の日記でも見られる。
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/?of=30
インドネシアのアカデミズムや官僚の世界では、アメリカへ留学して学位を取った人が発言力を持つことが多い。アメリカ化を目指すそういった人々とジョハンさんは闘った。ジャカルタのカリキュラム改革チームは、ほぼ全員がイスラム教徒のジャワ人。彼は、スマトラ出身の中華系でクリスチャンである。とかく、和を大事とする、悪く言えば、長いものに巻かれるジャワ人の会議の中で、彼は持ち前の迫力と低音の声で、「インドネシア全土はまだまだ貧しくアメリカ式の教育は馴染まない!自国や自分の地域の文化を見直すことこそが何よりの基本だ!芸術は全部つながっていて、楽しむことや創造性が大事なんだ!」ってことを主張しまくったそうだ。
西洋楽器の導入を前提とした案を主張する人たちに、会議室で机や椅子を叩かせて、即興の音楽ワークショップをしたそうだ。彼は、誠さんの「あいのて」とか全部見ているし、お手の物。みんなでさんざん盛り上がった後、「どうだ楽しかったか?」と聞く。これに、「はい!」とうなずいてしまうのも、ジャワ人のいいところ。で、それ以降、彼の意見がバンバン通るようになったそうだ。
ジョハンさんは、ロモ・マングンさんとも共鳴して、マングナン小学校でも教えていた時期もある。しかし、カリキュラム改革にも課題がある。その新しい教育を、現場の先生がどうやって教えるのか、ということ。マングナン小学校のようにユニークな教育方針があり、芸術家が訪ねてくるような学校は特別だ。学校教育は、教師によってなされるのが基本である。そして、その教師は教育大学で教育を受ける。しかし、そこでの教育がおしきせの教育になりきっている。ということで、教育大学の改革も始まったそうだ。
でも、改革の過渡期は大変だろうと思う。楽器無しで、決められた振り付け無しに、どうやって音楽やダンスをすればいいの?絵画と音楽って、どうやってつなげたらいいの?そんな教育をできる先生をどうやったら、育てられるの?
ジョハンさんとのインタビューは3時間以上続いた。彼とは、8年くらいの付き合いだけど、こんなにゆっくり話したのははじめて。この日は、横田さんがいたからだけど、新しい人、多文化の人、多言語の人が交わると、いい機会ができることが多い。普段聞けない話が聞ける。今まで、芸術家でないジョハンさんとは1枚隔てた壁があり、どちらかというと、役人的でセッティングはしてくれるけど、中身にはそんなに興味が無いのかと思っていた。だが実際は、すごく熱い人だったのだ。
夕方、タマンブダヤ(文化会館)へ向かう。ガムラン・フェスティバルの2日目で、アレックスさんの作品に参加するため。60人の参加者が控え室に集まっていた。こども、おじいさん、おばあさん、アメリカ人、日本人、マレーシア人・・・。アレックスさんが指揮者の位置に座り、スレンドロの2の音から演奏が始まった。途中からどんどん音が重なっていき、最後にはガムラン楽器のすべての音が交じりあう。40年近くガムランにかかわり続けたアレックスさんのガムランへの信頼が元になった作品。舞踏や能を日本で習う彼のからだが、この作品のもうひとつのポイント。彼のからだの動きや気に合わせて、60人が思わず動きや息を合わせ、音が変容していく。ああ、カエルのようなのか・・・。二つのパートだけが、遊んでいる。スボウォさんと公美子さんは古典の様式を使いながら踊るようにボナンを叩き、長髪のジジットさんともうひとりのそっくりさんは掛け合いするようにサロンで音の雨を降らせた。
7月9日
9時にSLB(特別支援学校)へ。真さんが、車座の中心で話を始めていた。去年一緒にやった子もいる。言葉はあまり要らない。次から次へとダンスがつながった。昨日長くしゃべったジョハンさんの声が頭に響いた。歌うようにダンスし、踊るように音を叩け。自分でも思っていることだけど、他にもそんな風に言う人の声を聞くと勇気づけられる。そして、その勇気がダンスになって、さらにまわりの人に伝わっていく。
帰り際に、ローバーの窓から校長先生に手を振ると、投げキッスして返してくれた。



モールへ出かけた。明日の衣装のお買い物。ジャティラン・ダンスと即興舞踊。この日にやって来た元留学生で筑波大学へ復学した奥村エリナちゃんも飛び入り出演することになったので、彼女の分も。バティック・クリスでいいワンピースが見つかった。店員に訳を言って、試着させてもらったら、なんとかぴったし入った。無精髭の40過ぎのおっさんがひとりでワンピースの試着・・・。
タマン・シスワ通りの我が家へ戻る前に、マングン・サルコロ通りにある作曲家のアスモロさんの家へよった。扉の前まで、234(ジーサムスー:丁字たばこの銘柄)の甘い香りが漂っていた。未だにジョグジャでは携帯電話を持つ気になれず、いきなり訪問することにしている。薄暗い部屋で食卓に座っておしゃべり。留学時代から、政治や哲学や芸術やセックスやいろんな話を気兼ねなくできる貴重な友人。話題はやはり原発事故だった。
16時30分、誠さん、公美子さん、横田さん、エリナちゃんを乗せて、カリウラン通りの方にある遠藤ゆうさんと聖子さん夫婦の家へ。リングロード(市内の環状道路)より北側にあって、田んぼが広がった住宅地にあるすてきなお宅。料理嫌いだけど、まずいものを食べるくらいなら自分で作るというゆうさん自作のガスレンジ直置きオーブンにもびっくり。すでにジョグジャに8年住んでふたりとも大学院で学位も取ってしまって、で、赤ちゃんもできて、なんのかんのあって、今年の末には東京へ帰るとのこと。ジョグジャの田舎に8年住んで、東京か・・・。ゆうさんはワヤンを、聖子さんは美術を勉強していた。おしゃべりにすっかり花が咲いて、気がついたら19時。
19時30分から、スルヨディニングラタン通りのISI大学院キャンパスで、大学院卒業制作コンサートを見に行くことにしていた。ムラピ山の麓からまっすぐ下って、王宮の南門を越えたところまで約30分。オーディトリウムに入ると、コンサートは始まったばかり。ジョグジャきっての太鼓の名手トルストさんの息子アナンくんの卒業制作。小編成ガムラン、西洋楽器、音具、石などを6人で演奏、本人も太鼓に入っている。緻密な演奏で、曲も洗練されている。アナンくんは、オーストラリアにも長くいたので、そんな影響があるのかもしれない。学生にとってはとても大きなイベントで、芸術家としてのデビューという意味合いもある。ガムランの持つエネルギーやジャワ人の持つ即興性やユーモアがもう少しあったらなあ、と思った。客席は、ジョグジャのアーティストがたくさんだった。
終了後、みんなで食事に。真さんが5月に還暦を迎えたので、そのお祝いもかねて。キャンパスからほど近いピザ屋さんのKmealへ。ちゃんとした釜がある本格的なお店。留学中の田淵ひかりさん、富岡みちさん、岡戸香里さんも加わった。ひかりさんとは、今回の旅行中にいろいろ話をした。帰国後のこととか悩みも抱えているようだったけど、いい目をしていた。この時ではなかったけれど、ひかりさんや誠さんとして印象に残った話。
ジャワ人はあまり怒らない。ガムランや舞踊を習っている時でも、先生たちはとても忍耐強い。仮に怒った人がいると、感情をコントロールできない人として見なされる。怒るが負けの社会である。いかに、けんかすること無く落としどころを見つけるか、というのがジャワ人の言うビジャクサナ(配慮/知恵)である。ところが、誠さんが開いた東日本震災のイベントで、ツルツルさんことスワルトさんが怒ったというのだ。しかも相手は、王様の弟のグスティ・ユド。目の前に詰め寄って詰問した。
「あなたは王の一族だ。王たるもの、困っている、危機に瀕している人がいれば、助けなければならない。国境や民族の隔たりは無いのだ。それが王のつとめだ。あなたは、今なにをしているのか!」
これは、もはや個人の怒りではない。きっと、その時の彼は、彼個人でもないのだろう、なにかが乗り移った集合の怒りの代弁。しかし、こんなことを、王に向かって、直接詰問できる人がいるだろうか。怒らないジャワ人も、時に怒ることがある。それは、個人の怒りではなく、道理に背いたことへの怒りである。だから、とても強い怒りなのだ。ジャワ舞踊を志して以来、僕は自分の感情や怒りをなるべく荒立てないようにしてきた。それは、とても大変なことであり、ジャワ人の誇るべき美徳でもある。しかし、どうしよもない悪や不正にであったときに、どうやって立ち向かうべきなのかに対して、僕自身、悩んでいたところでもある。ああ、こんな怒りがあるのか!こんな勇気を持った人がいるのか!いい話を聞いた。
さて、ジャワの滞在は後二日。日記も後少しかな?
今日も、10時にマングナン小学校のみんなが我が家へやって来る。日曜日のコンサートに向けて、ジャティラン・ダンスと将棋作曲を深める。
昼前に、ISIのダルニさんが訪ねて来る。留学してすぐの授業でスンダ舞踊を習った先生。ベンさんたちと一緒に、ISIと横浜ボートシアターの合作「カルノ・タンディン」にも出演した。その時には、見事な即興芝居を見せてくれた。ダンスでも、芝居でも、なんでもできる女の人。
みんなで、ナシ・ブンクス(お弁当)。人数が少しくらい増えたって大丈夫なのはジャワスタイル。
昼からは、横田さんがISI大学院の先生のジョハン・サリムさんにインタビュー。ジョハンさんは、ISIの西洋音楽学科を卒業し、音楽心理学が専門。7月10日に行われる「こども創造音楽祭」のディレクター。始めて会ったのは、イウィンさんの妊娠7ヶ月の儀式ミトニの時だった。横田さんは教育学が専門で、今回は多文化多言語による教材開発の研究プロジェクトでやってきている。彼女のインタビューに、誠さん、公美子さんとともに、通訳役もかねて参加。
インドネシアでは、2006年に教育改革が行われた。その際に、特に芸術文化は、鑑賞と創造を通して、西洋志向から自国の文化を見直すことに柱が据えられた。ジョハンさんは、芸術文化の新カリキュラム作りの中心人物だった。特に、創造の部分では、音楽とダンスと美術とを分けずに、関連付けながら教育していくという新しい考え方が導入された。そして、教科書の作成は、全国の教師による公募制にした。採択された個人やグループには十分な賞金が与えられ、これで採択された教科書が現在インドネシア全国の小中高で使われている。
教科書の中身は、野村誠さんのブログの2011年5月22日の日記でも見られる。
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/?of=30
インドネシアのアカデミズムや官僚の世界では、アメリカへ留学して学位を取った人が発言力を持つことが多い。アメリカ化を目指すそういった人々とジョハンさんは闘った。ジャカルタのカリキュラム改革チームは、ほぼ全員がイスラム教徒のジャワ人。彼は、スマトラ出身の中華系でクリスチャンである。とかく、和を大事とする、悪く言えば、長いものに巻かれるジャワ人の会議の中で、彼は持ち前の迫力と低音の声で、「インドネシア全土はまだまだ貧しくアメリカ式の教育は馴染まない!自国や自分の地域の文化を見直すことこそが何よりの基本だ!芸術は全部つながっていて、楽しむことや創造性が大事なんだ!」ってことを主張しまくったそうだ。
西洋楽器の導入を前提とした案を主張する人たちに、会議室で机や椅子を叩かせて、即興の音楽ワークショップをしたそうだ。彼は、誠さんの「あいのて」とか全部見ているし、お手の物。みんなでさんざん盛り上がった後、「どうだ楽しかったか?」と聞く。これに、「はい!」とうなずいてしまうのも、ジャワ人のいいところ。で、それ以降、彼の意見がバンバン通るようになったそうだ。
ジョハンさんは、ロモ・マングンさんとも共鳴して、マングナン小学校でも教えていた時期もある。しかし、カリキュラム改革にも課題がある。その新しい教育を、現場の先生がどうやって教えるのか、ということ。マングナン小学校のようにユニークな教育方針があり、芸術家が訪ねてくるような学校は特別だ。学校教育は、教師によってなされるのが基本である。そして、その教師は教育大学で教育を受ける。しかし、そこでの教育がおしきせの教育になりきっている。ということで、教育大学の改革も始まったそうだ。
でも、改革の過渡期は大変だろうと思う。楽器無しで、決められた振り付け無しに、どうやって音楽やダンスをすればいいの?絵画と音楽って、どうやってつなげたらいいの?そんな教育をできる先生をどうやったら、育てられるの?
ジョハンさんとのインタビューは3時間以上続いた。彼とは、8年くらいの付き合いだけど、こんなにゆっくり話したのははじめて。この日は、横田さんがいたからだけど、新しい人、多文化の人、多言語の人が交わると、いい機会ができることが多い。普段聞けない話が聞ける。今まで、芸術家でないジョハンさんとは1枚隔てた壁があり、どちらかというと、役人的でセッティングはしてくれるけど、中身にはそんなに興味が無いのかと思っていた。だが実際は、すごく熱い人だったのだ。
夕方、タマンブダヤ(文化会館)へ向かう。ガムラン・フェスティバルの2日目で、アレックスさんの作品に参加するため。60人の参加者が控え室に集まっていた。こども、おじいさん、おばあさん、アメリカ人、日本人、マレーシア人・・・。アレックスさんが指揮者の位置に座り、スレンドロの2の音から演奏が始まった。途中からどんどん音が重なっていき、最後にはガムラン楽器のすべての音が交じりあう。40年近くガムランにかかわり続けたアレックスさんのガムランへの信頼が元になった作品。舞踏や能を日本で習う彼のからだが、この作品のもうひとつのポイント。彼のからだの動きや気に合わせて、60人が思わず動きや息を合わせ、音が変容していく。ああ、カエルのようなのか・・・。二つのパートだけが、遊んでいる。スボウォさんと公美子さんは古典の様式を使いながら踊るようにボナンを叩き、長髪のジジットさんともうひとりのそっくりさんは掛け合いするようにサロンで音の雨を降らせた。
7月9日
9時にSLB(特別支援学校)へ。真さんが、車座の中心で話を始めていた。去年一緒にやった子もいる。言葉はあまり要らない。次から次へとダンスがつながった。昨日長くしゃべったジョハンさんの声が頭に響いた。歌うようにダンスし、踊るように音を叩け。自分でも思っていることだけど、他にもそんな風に言う人の声を聞くと勇気づけられる。そして、その勇気がダンスになって、さらにまわりの人に伝わっていく。
帰り際に、ローバーの窓から校長先生に手を振ると、投げキッスして返してくれた。



モールへ出かけた。明日の衣装のお買い物。ジャティラン・ダンスと即興舞踊。この日にやって来た元留学生で筑波大学へ復学した奥村エリナちゃんも飛び入り出演することになったので、彼女の分も。バティック・クリスでいいワンピースが見つかった。店員に訳を言って、試着させてもらったら、なんとかぴったし入った。無精髭の40過ぎのおっさんがひとりでワンピースの試着・・・。
タマン・シスワ通りの我が家へ戻る前に、マングン・サルコロ通りにある作曲家のアスモロさんの家へよった。扉の前まで、234(ジーサムスー:丁字たばこの銘柄)の甘い香りが漂っていた。未だにジョグジャでは携帯電話を持つ気になれず、いきなり訪問することにしている。薄暗い部屋で食卓に座っておしゃべり。留学時代から、政治や哲学や芸術やセックスやいろんな話を気兼ねなくできる貴重な友人。話題はやはり原発事故だった。
16時30分、誠さん、公美子さん、横田さん、エリナちゃんを乗せて、カリウラン通りの方にある遠藤ゆうさんと聖子さん夫婦の家へ。リングロード(市内の環状道路)より北側にあって、田んぼが広がった住宅地にあるすてきなお宅。料理嫌いだけど、まずいものを食べるくらいなら自分で作るというゆうさん自作のガスレンジ直置きオーブンにもびっくり。すでにジョグジャに8年住んでふたりとも大学院で学位も取ってしまって、で、赤ちゃんもできて、なんのかんのあって、今年の末には東京へ帰るとのこと。ジョグジャの田舎に8年住んで、東京か・・・。ゆうさんはワヤンを、聖子さんは美術を勉強していた。おしゃべりにすっかり花が咲いて、気がついたら19時。
19時30分から、スルヨディニングラタン通りのISI大学院キャンパスで、大学院卒業制作コンサートを見に行くことにしていた。ムラピ山の麓からまっすぐ下って、王宮の南門を越えたところまで約30分。オーディトリウムに入ると、コンサートは始まったばかり。ジョグジャきっての太鼓の名手トルストさんの息子アナンくんの卒業制作。小編成ガムラン、西洋楽器、音具、石などを6人で演奏、本人も太鼓に入っている。緻密な演奏で、曲も洗練されている。アナンくんは、オーストラリアにも長くいたので、そんな影響があるのかもしれない。学生にとってはとても大きなイベントで、芸術家としてのデビューという意味合いもある。ガムランの持つエネルギーやジャワ人の持つ即興性やユーモアがもう少しあったらなあ、と思った。客席は、ジョグジャのアーティストがたくさんだった。
終了後、みんなで食事に。真さんが5月に還暦を迎えたので、そのお祝いもかねて。キャンパスからほど近いピザ屋さんのKmealへ。ちゃんとした釜がある本格的なお店。留学中の田淵ひかりさん、富岡みちさん、岡戸香里さんも加わった。ひかりさんとは、今回の旅行中にいろいろ話をした。帰国後のこととか悩みも抱えているようだったけど、いい目をしていた。この時ではなかったけれど、ひかりさんや誠さんとして印象に残った話。
ジャワ人はあまり怒らない。ガムランや舞踊を習っている時でも、先生たちはとても忍耐強い。仮に怒った人がいると、感情をコントロールできない人として見なされる。怒るが負けの社会である。いかに、けんかすること無く落としどころを見つけるか、というのがジャワ人の言うビジャクサナ(配慮/知恵)である。ところが、誠さんが開いた東日本震災のイベントで、ツルツルさんことスワルトさんが怒ったというのだ。しかも相手は、王様の弟のグスティ・ユド。目の前に詰め寄って詰問した。
「あなたは王の一族だ。王たるもの、困っている、危機に瀕している人がいれば、助けなければならない。国境や民族の隔たりは無いのだ。それが王のつとめだ。あなたは、今なにをしているのか!」
これは、もはや個人の怒りではない。きっと、その時の彼は、彼個人でもないのだろう、なにかが乗り移った集合の怒りの代弁。しかし、こんなことを、王に向かって、直接詰問できる人がいるだろうか。怒らないジャワ人も、時に怒ることがある。それは、個人の怒りではなく、道理に背いたことへの怒りである。だから、とても強い怒りなのだ。ジャワ舞踊を志して以来、僕は自分の感情や怒りをなるべく荒立てないようにしてきた。それは、とても大変なことであり、ジャワ人の誇るべき美徳でもある。しかし、どうしよもない悪や不正にであったときに、どうやって立ち向かうべきなのかに対して、僕自身、悩んでいたところでもある。ああ、こんな怒りがあるのか!こんな勇気を持った人がいるのか!いい話を聞いた。
さて、ジャワの滞在は後二日。日記も後少しかな?
(佐久間新)
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