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Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
千里オールドタウン パート1
これは、2007年1月24日に書いた日記です。

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少し前のことになるが、去年の12月、僕の38回目の誕生日に、イウィンさんとブナと3人で、僕が生まれ育った町を見に行った。

僕は、1968年12月18日昼過ぎ、大阪市淀川区のキリスト教病院で生まれた。吹田で大阪万博が開かれる少し前である。それを更にさかのぼって1960年前後、大阪府は、戦後の経済成長に伴う、住宅難対策として、大阪北部、千里の丘陵地帯にニュータウンを建設する計画を建てていた。その後、万博の誘致にも成功し、吹田市と豊中市とにまたがる千里丘陵は、竹藪を切り開いて、大開発が行われた。みんなが繁栄と調和を信じていた時代だったんだろう。そのニュータウンの中でも、最初に開発が始められた佐竹台団地が新婚だった両親の最初の住まいとなった。長男として生まれた僕も幼稚園年長組の途中まで、そこで過ごした。

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佐竹台1丁目のA10棟の前に着いた。幼い頃の記憶が湧き上がった。夾竹桃の花の色、巨大なアロエの棘。ブランコや滑り台は、位置が変わったか?団地のすぐ横には阪急千里線の線路が走り、南千里駅も見えている。ストライキの時は、近所のガキ大将と山田駅まで歩いていったっけ、橋やトンネルがめちゃくちゃ怖かった。のんきな時代である。
最上階の5階109号室に住んでいたので、5階まで上っていった。記憶が流れ出してくる。ベランダで飼っていたジュウシマツが蛇に食べられた。階段の踊り場では、ハムスターを飼っていた。4階には双子が住み、賑やかな姉妹もいたし、赤ちゃんもいた。とにかく、子供がたくさんで賑やかだった。

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その109号室は、空室だった。いや、A10棟のほとんどが空室なのである。再開発のマンション計画予定地になっているようだ。老朽化した団地のすぐ横まで、新しいマンションの工事現場が押し寄せていた。

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続いて、パート2

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またまたシリーズになってしまった。佐竹台の団地では、本当にザワザワと心が揺れました。僕が今、山の中に住んで、インドネシア人の妻と子供と暮らし、ジャワ舞踊をやっていることに、何か繋がりはあるのだろうか・・・

この日記がどこに着地するのかは、まだ分かりません。

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近くを散策した。周囲の団地の佇まいは、なかなか味がある。佐竹台や高野台は最初に計画・開発されたからか、日本で始めてニュータウンを作る人たちの希望や夢が建築のデザインの端々にも感じられる。団地の向きや配置、道路の通し方にリズムが感じられる。団地の中庭には、住んでいる人たちの40年間の生活が少しずつ染み出したように、園芸植物がそこここに触手を伸ばし、オブジェのように存在している。近くにある風化したショッピングセンターには、見事に時間が粘着したガムになった文具屋兼駄菓子屋があった。ナショナルのロゴが何ともかわいいラジオが置かれ、無愛想なおばあさんが子供達に、スーパーでは見たこともない10円の駄菓子を売っている。タッパーの容器の中には、粉がまぶされた餅が爪楊枝に刺さって売られている。こんなん、俺が子供の時もあっただろうか・・・

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ニュータウンを散策すると、景観の良さにびっくりする。電柱の数も少ないし、丘陵を利用して、歩行者用の陸橋が渡されているので、人と車の流れもスムーズだ。また、あちらこちらに広々とした公園が点在している。佐竹台には菩提池公園あり、他にも千里南公園、中央公園、北公園などたくさんの公園がある。どこも敷地が広く、40年以上経った現在は、樹木も十分に成長し、とても美しい。北千里駅近くの古江台にあるメタセコイヤ(たぶん)が立ち並ぶ一角は、落葉した葉が絨毯のように敷き詰められ、本当にきれいだ。団地が老朽化して、建て直さざるを得ないのとは対照的だ。


僕は3歳から、千里山駅の近くにある「ナオミ幼稚園」に通った。南千里駅からは電車で一駅だ。当時、阪急北千里線は、自動改札口が日本でもいち早く設置されたそうだが、黄色いビニールの扉に何度か通せんぼされたのをよく覚えている。千里山駅には、頑固な爺さんがやっている玩具屋「がんこ屋」やたぶん、全国で第1号店の「ミスタードーナツ」があった。幼稚園は、キリスト教系だった。先生方にかわいがられて、楽しくてしょうがなかった。同じクラスの友だちの名前も、未だにたくさん覚えている。初恋?の女の子の名前も、もちろん覚えている。

年長のみどり組の時に、同じ千里ニュータウン内だけれども、地下鉄沿線の新千里西町の団地へ引っ越した。間取りが少し広かったのだ。幼稚園の残りの数ヶ月は、千里中央駅からバスで北千里駅へ行き、阪急電車で千里山駅まで乗り継いで、ひとりで幼稚園に通った。安全な時代だったんだなぁ。

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新千里西町2丁目のB6棟103号室も空室だった。B6棟もほとんどの部屋が空室だった。B1棟から5棟までは、すでに取り壊されていた。ここにもマンションの再開発が押し寄せていた。佐竹台より数年後に開発されたこの団地は、もはや夢や希望よりもコストや効率が優先されて建築されたのだろう。何とも、味気ないデザインである。でも、少し成長した僕にとっては、どこもかもが遊び場で、郵便受けも、消火栓も、自転車置き場も、ビー玉をした地面も、ボールを当て続けた壁も、すべてが僕の中に存在していた。うーん、間に合ってよかった。思い出の深呼吸をゆっくりしておいた。

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今はもう、この2カ所の団地とも建て変わって、ピカピカのマンションが建っています。

(佐久間新)
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