メンバーの佐久間新が発行している"ウロコ通信 57"を転載します。
("ウロコ通信"は、ジャワ舞踊家の佐久間新が公演情報や近況などを不定期にお知らせしているものです。ご希望の方はタイトルに「"ウロコ通信"希望」と明記の上home@margasari.comにお送りください。)
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5月27日(土)午前6時前、ジャワ島ジョグジャカルタ州で大地震が発生した。日本との時差は2時間。地震から数分後、イウィンの弟のアンバルから電話が入った。火山が爆発して、地震が起こり、家の壁の一部と塀が壊れたとのこと。
「近所の人の迷惑にもなるから、どうしようか?」
数週間前から、ジョグジャカルタの活火山ムラピ山の活動が激しくなっていた。5月15日には、小規模な噴火も起こっていたので、みんないつ噴火するかと心配していたのだ。家族や我が家に下宿している川原和世さんや西岡美緒さんにケガは無いようだ。
マルガサリのML(メーリングリスト)に第1報を入れた。
ムラピ噴火 地震発生 塀が倒れる
そんなに大変なことになっているとは、分からなかった。引き続き電話をしてみると、神戸でも被災した川原さんが「神戸の時と同じ感じだ。」とかなりのショックを受けて話すので、これは大変なことになったと、直感した。
マルガサリのMLに地震後1時間から2時間にかけて、
そんなに大変ではない。
噴火はしていない。
いや、神戸ぐらい揺れたらしい。
家も半壊。市内で死傷者多数。
と、次々メールを流した。地震後2時間経っても、日本のメディアでは一切情報が流れなかった。知人のNHKの社員にも問い合わせたが、分からなかった。川原さんと西岡さんの家族へ電話した。
「これから、ニュースでジャワの地震のことが流れるが、皆さん無事です。」
タイムマシーンに乗ってあらわれた人みたいなセリフだ。12時のニュースで、ようやく報道され始めた。
ジョグジャカルタ州は淡路島ぐらいの大きさで、その中にカブパテンと呼ばれる5つの県がある。今回、一番被害の大きいのは、市内中心部の王宮から南数キロに位置するバントゥル県だ。僕が学んだ芸術大学もここにあり、校舎にかなりの被害が出た。また、周囲には教官や学生もたくさん住んでいる。家が全壊し、テント生活をする先生とも連絡が取れた。
市内中心部でも場所によっては、かなりの被害が出ている。王宮から東へ1キロの我が家も半壊のようだし、僕の学舎であるサスミント・マルドウォ舞踊団の本拠地プジョクスマンも同じ地域にあり、大きな被害を受けている。
プジョクスマンは昔ながらの貴族の屋敷で、ダレム・アグンと呼ばれるジャワの伝統的な木造集合建築物である。舞踊やガムランを行う場所・プンドポは、大屋根がある壁のない建物で、4つの大きな柱が支えている。柱は梁で四角く繋がれている。真ん中の天井には彫刻あり、1900年に建造されたと刻まれている。そのプンドポが大きく傾いた。屋敷の中央部・プリンギタンには、ガムランや舞踊のコスチュームが保管されているが、そこは全壊した。
プリンギタン奥の貴族の居住地・ダレムに面する裏庭に、舞踊団を創設した故サスミント・ディプロの家がある。妻のブ・ティアは息子のマス・アリンとともに、舞踊団を何とか切り盛りしている。経済危機、暴動、スハルト退陣、テロなど、次々と観光産業に逆風の出来事が続く中、伝統舞踊を護ろうと、たとえ観客がいなくても、週に2回の公演を続けていた。
電話でブ・ティアは「他の場所を借りてでも、なるべく早く子ども達のための舞踊クラスを始めたい。」と話してくれた。被災した人に、とても勇気づけられた。
芸術大学や舞踊団の建物の再建には、時間もお金もかかるだろう。長くかかるであろう復興の過程で、舞踊や音楽の力が人々に勇気を与えるはずだと信じたい。舞踊や音楽を通じて、日本やジャワで支援できることを考え、行動していきたい。
「近所の人の迷惑にもなるから、どうしようか?」
数週間前から、ジョグジャカルタの活火山ムラピ山の活動が激しくなっていた。5月15日には、小規模な噴火も起こっていたので、みんないつ噴火するかと心配していたのだ。家族や我が家に下宿している川原和世さんや西岡美緒さんにケガは無いようだ。
マルガサリのML(メーリングリスト)に第1報を入れた。
ムラピ噴火 地震発生 塀が倒れる
そんなに大変なことになっているとは、分からなかった。引き続き電話をしてみると、神戸でも被災した川原さんが「神戸の時と同じ感じだ。」とかなりのショックを受けて話すので、これは大変なことになったと、直感した。
マルガサリのMLに地震後1時間から2時間にかけて、
そんなに大変ではない。
噴火はしていない。
いや、神戸ぐらい揺れたらしい。
家も半壊。市内で死傷者多数。
と、次々メールを流した。地震後2時間経っても、日本のメディアでは一切情報が流れなかった。知人のNHKの社員にも問い合わせたが、分からなかった。川原さんと西岡さんの家族へ電話した。
「これから、ニュースでジャワの地震のことが流れるが、皆さん無事です。」
タイムマシーンに乗ってあらわれた人みたいなセリフだ。12時のニュースで、ようやく報道され始めた。
ジョグジャカルタ州は淡路島ぐらいの大きさで、その中にカブパテンと呼ばれる5つの県がある。今回、一番被害の大きいのは、市内中心部の王宮から南数キロに位置するバントゥル県だ。僕が学んだ芸術大学もここにあり、校舎にかなりの被害が出た。また、周囲には教官や学生もたくさん住んでいる。家が全壊し、テント生活をする先生とも連絡が取れた。
市内中心部でも場所によっては、かなりの被害が出ている。王宮から東へ1キロの我が家も半壊のようだし、僕の学舎であるサスミント・マルドウォ舞踊団の本拠地プジョクスマンも同じ地域にあり、大きな被害を受けている。
プジョクスマンは昔ながらの貴族の屋敷で、ダレム・アグンと呼ばれるジャワの伝統的な木造集合建築物である。舞踊やガムランを行う場所・プンドポは、大屋根がある壁のない建物で、4つの大きな柱が支えている。柱は梁で四角く繋がれている。真ん中の天井には彫刻あり、1900年に建造されたと刻まれている。そのプンドポが大きく傾いた。屋敷の中央部・プリンギタンには、ガムランや舞踊のコスチュームが保管されているが、そこは全壊した。
プリンギタン奥の貴族の居住地・ダレムに面する裏庭に、舞踊団を創設した故サスミント・ディプロの家がある。妻のブ・ティアは息子のマス・アリンとともに、舞踊団を何とか切り盛りしている。経済危機、暴動、スハルト退陣、テロなど、次々と観光産業に逆風の出来事が続く中、伝統舞踊を護ろうと、たとえ観客がいなくても、週に2回の公演を続けていた。
電話でブ・ティアは「他の場所を借りてでも、なるべく早く子ども達のための舞踊クラスを始めたい。」と話してくれた。被災した人に、とても勇気づけられた。
芸術大学や舞踊団の建物の再建には、時間もお金もかかるだろう。長くかかるであろう復興の過程で、舞踊や音楽の力が人々に勇気を与えるはずだと信じたい。舞踊や音楽を通じて、日本やジャワで支援できることを考え、行動していきたい。
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