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釈迦に説法
2003年の10月から,大阪の本町にあるインドネシア・ダイニング「チタチタ」でインドネシア語を教えている。舞踊公演がきっかけで知り合ったオーナーの高木さんに頼まれたのだ。「ジャワ舞踊家がするインドネシアの文化を紹介しながらの教室でよかったら・・・、」ということで引き受けた。僕は、インドネシア語を学校で習ったことはないのに,大胆というか、なんというか。

初級から中級までクラスがあり,教える中で、逆にいろんなことを教わった。僕の場合,留学先はジョグジャカルタで、出会うのも芸能に携わる人が多い。しかし、インドネシアは広く,文化は多様だ。インドネシア語を習いたい人のニーズもさまざま。ジャワで使わなかった表現も覚えなければならない。生徒さんは、まったくの初心者から,かなり上手な人もいる。インドネシアとの関わりもいろいろ。例えば,

バリへよく旅行に行く。兄弟がバリ人と結婚した。弟がジャカルタに住んでいる。商社に勤めていて,スマトラへ取引に行く。留学したい。バティックを習っている。ウブドにヴィラを持っている。バリ舞踊を習っている。航空会社に務めている。チタチタが好きだ。研修生とつきあっている。インドネシアのバンドが好きだ。インドネシア料理が習いたい。インドネシアで生まれた。ジャカルタに勤めていた。学会で知り合ったインドネシア人としゃべりたい。大学でインドネシア語を習っていた。

などなど。いろんな人と接するうちに,僕のインドネシア語も少しずつ広がって来た。何でもそうだと思うけど,教えるのが一番勉強になる。4ヶ月ごとの更新制で、今で19期目かな。長い方とは,7年の付き合いになる。11月から始まった今期に、新しい方が3人やって来た。20代の男女のペアと50代らしき男性。初級クラス。女性の方は,耳がすごくいい。こちらもかなり気をつけて発音しないといけない。そして,50代の男性の方は,文法というか言葉のニュアンスへの反応がするどい。

たとえば、インドネシア語には、ことばの後ろに nya という語がつくことがある。通常は,3人称の代名詞のように考えられているが,それだけでは語れないものがある。
Wayan dan istrinya Wayan=ワヤンさん dan=と istri=妻
ワヤンと彼の妻

これは、分かりやすい。では、すこし違う形。

Berapa harga buku ini? berapa=いくら harga=値段 buku=本 ini=これ 
be動詞が無くて、修飾語が名詞の後ろに来るので,これで英語の
How much is this book?
になる。でも、インドネシア人はあんまりこういういい方はしない。少なくとも僕の周りのジャワ人は、
Buku ini, harganya berapa?
と言うことが多い。「この本,値段はなんぼ?」日本語みたい。

このnyaは、何なのか。まあ、代名詞と言えなくもないけど,どうして、こういう言い方を好むのか?
とか、また、過去と完了の違いは何なのか?

この財布,昨日,大丸で買ってん。
わたし、あの雑誌、もう買ったよ。

は、違う。前が過去で、後ろは完了。
Dompet ini, kemarin saya beli di Daimaru. Dompet=財布 kemarin=昨日 saya=わたし beli=買う di=前置詞 ?で  もちろん語順はいろいろ変えられるけど。
Saya sudah beli majalah itu. sudah=完了 もう?した majalah=雑誌 itu=それ

わたしのおじいさんは5年前に亡くなった。
飼っていた小鳥が死んでしまった。

これなんかは、どうなるのか。
Kakek saya meninggal 5 tahun yang lalu. kakek=おじいさん meninggal=亡くなる tahun=年 yang lalu=?前
Burung yang saya pelihara sudah mati. burung=小鳥 yang=関係詞 pelihara=飼う mati=死ぬ 

普通はこんな感じで、前が過去で,後ろが完了。でも、

「おじいさん、元気にしてはる?」

と聞かれれば,
Kakek saya sudah meninggal 5 tahun yang lalu.

「5年前に、もう亡くなってん。」
と完了で答えるだろう。過去を具体的に表す言葉があっても,完了でいいと思う。
会話している人同士が、その「こと」を共有しているれば、完了になるんじゃないかな。
「あの雑誌」「あの小鳥」「あのおじいさん」

なんて話がもりあがる。レッスン後に雑談をしていると,50代の男性は,競歩をやっていて同年代では世界ランクに入るし、仕事は翻訳家でヨーロッパのいくつもの言語を訳しているとのことだった。で、家に帰って、気になるので名前を検索してみた。競歩で載ってるんじゃないかと。

すると、いっぱい出てきた。競歩もあったけど,翻訳家としてのが。本も出されている。

学校英語よ、さようなら
翻訳の原点―プロとしての読み方、伝え方
インタビュー オサマ・ビンラディン
などなど。翻訳家の辻谷真一郎さん。

ちょっと、というかかなりの冷や汗もの。釈迦に説法。

でも、この間のレッスン時に,実は検索したんですよ,という話をして,さらに語感のことでいろいろ盛り上がった。
僕は,人にものを教えたり,ワークショップをしたりしている。しかし、前に座っている人の中に,実はものすごい人がいるかもしれないし、その場にいるひとり一人がそれぞれの深い人生観をもっていることを忘れてはいけないと思っている。そして、その上で,釈迦に説法のような恥ずかしいことも、時にはしていかなければならないのが僕の役目なんだと思ったりする、のです。
(佐久間新)

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