舞台のランドスケープはどのようにあるべきか。これはマルガサリの取り組む「桃太郎」の長年の課題でした。村の風景、旅の道行き、戦場‥‥各場ごとに次々と違った表情を見せる「桃太郎」のステージでは、もちろん舞台の見せ方もそれに合わせて工夫する必要があります。
歌舞伎やオペラでは隅の方、下の方に隠れがちな音楽部隊ですが、ガムラン楽器は太郎たちと同じ舞台に堂々と上ります。どんな大道具小道具にも負けない威厳と存在感を放ち、「桃太郎」に登場する全ての音楽を奏でるガムランは、あるいはキャストさえも寄せ付けない真の主役ともいえます。舞台に誰もいなくなったとしてもきっとガムランはそこにある。ガムランこそ「桃太郎」の世界そのものです。
歌舞伎やオペラでは隅の方、下の方に隠れがちな音楽部隊ですが、ガムラン楽器は太郎たちと同じ舞台に堂々と上ります。どんな大道具小道具にも負けない威厳と存在感を放ち、「桃太郎」に登場する全ての音楽を奏でるガムランは、あるいはキャストさえも寄せ付けない真の主役ともいえます。舞台に誰もいなくなったとしてもきっとガムランはそこにある。ガムランこそ「桃太郎」の世界そのものです。
「桃太郎」では、演奏者が急に演技を始めたり、次の瞬間には歌ったり踊ったりと、役割がどんどん変わります。でもそれが不思議でないような世界こそが私たちの「桃太郎」です。ガムランのプレーヤーも、前景のアクターたちも、どちらも同じく「桃太郎」の世界を飛び回る住人です。よく見ると、この世界の住人も個性豊かです。いつも同じ楽器に居座る人、いろんな楽器を渡り歩く人、太郎たちのところへ行って話をする人‥‥こうした一人一人の違いが浮かび上がってきます。
ジャワガムランの古典音楽が演奏される場合、それぞれの楽器のもつ役割に応じてに全体の配置が決められます。大きなゴングは、すべての音を包み込むために、後方中央に位置します。クンダンと呼ばれる太鼓は、いつもすべての楽器の真ん中にあって心臓の役割を果たします。弓で弾く弦楽器ルバブは人間の声と同等の存在であり、歌い手たちとともに、最前列の中央で楽曲の歌を奏でます。こうした楽器たちが描く全体像は、それじたいが一つの宇宙です。しかしこれをそのまま「桃太郎」の舞台上に引っ越しさせると、まるでジャワと日本、ジャワと鬼ヶ島を切り張りしたみたいで、なんだかちぐはぐになってしまいかねません。
その一方で、独特の形状をもつガムランの楽器たちは、観る者の想像力を自由にかき立てます。それらに今までにないあらたな形を与えることによって、音を放つ楽器という機能だけでなく、観る者がそれぞれ自由に意味を汲みとることができる豊かな表現メディアにもなるのです。楽器であるとともに、のどかな自然の風景でもあり、人が散歩する道でもあり、音楽に耽る場そのものでもある。そんな万華鏡のようなガムランの姿を見つめながら、いつしか人々は「桃太郎」の世界に没入していくことでしょう。
マルガサリ版「桃太郎」全5場
2007年8月21(火)?22日(水) 19:00開演(18:30開場)
@一心寺シアター倶楽
チケットご予約は コチラ
ジャワガムランの古典音楽が演奏される場合、それぞれの楽器のもつ役割に応じてに全体の配置が決められます。大きなゴングは、すべての音を包み込むために、後方中央に位置します。クンダンと呼ばれる太鼓は、いつもすべての楽器の真ん中にあって心臓の役割を果たします。弓で弾く弦楽器ルバブは人間の声と同等の存在であり、歌い手たちとともに、最前列の中央で楽曲の歌を奏でます。こうした楽器たちが描く全体像は、それじたいが一つの宇宙です。しかしこれをそのまま「桃太郎」の舞台上に引っ越しさせると、まるでジャワと日本、ジャワと鬼ヶ島を切り張りしたみたいで、なんだかちぐはぐになってしまいかねません。
その一方で、独特の形状をもつガムランの楽器たちは、観る者の想像力を自由にかき立てます。それらに今までにないあらたな形を与えることによって、音を放つ楽器という機能だけでなく、観る者がそれぞれ自由に意味を汲みとることができる豊かな表現メディアにもなるのです。楽器であるとともに、のどかな自然の風景でもあり、人が散歩する道でもあり、音楽に耽る場そのものでもある。そんな万華鏡のようなガムランの姿を見つめながら、いつしか人々は「桃太郎」の世界に没入していくことでしょう。
マルガサリ版「桃太郎」全5場
2007年8月21(火)?22日(水) 19:00開演(18:30開場)
@一心寺シアター倶楽
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