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パプアのパサール
少し前になるが、ダンスボックスでジェコ・シオンポさんのワークショップがあった。

スタッフの横堀さんに頼まれて、ボランティア通訳をした。

ジェコさんはパプア出身だ。パプアをというのは、インドネシアの一番東側パプアニューギニア島の西半分である。前は、イリアン・ジャヤと呼ばれていたところである。ジャワからは飛行機でも6時間かかる。同じインドネシアといえども、民族も文化も全く異なる。中央政府とは何かと政治的にも対立することも多い。

パプアには、未だに現代文明を拒んだ先住民も住んでいる。ジェコさんによると、200以上も民族と言語があるそうである。彼はパプアのワメナ出身で、高校卒業後、ジャカルタの大学で舞踊を学んだ。パプアのプリミティブなパワーを持ったダンスとジャカルタで得た都会的な感覚が同居するところが彼のの魅力である。

ワークショップの後半で、彼が面白い話を始めた。

パプアのパサール(市場)は、とても静かだという。

パサールといえば、物売り、物乞い、おばちゃん、おっさん、大道芸人など人が溢れ、ジョグジャでもジャカルタでも、黒門市場でも錦市場でも、とても賑やかだ。それが、パプアのパサールでは、喋っている人間がいないという。

物売りは静かに座り、客はお金をスッと置き、サッと去っていく。会話は無し。値段などは、信頼関係で決まっているらしい。

また、パサール以外でも、知り合い同士が道や森で出会うと、すれ違いざまに、わずかに立ち止まり、一瞬あって、スッと去っていく。言葉無し。会釈無し。目も見ない。

テレパシーが交換される如くであるそうだ。

また、外部のものが集落へやってくると、パプアの人間は、その人の目の前で、左右に走り回る。言葉無しである。外部の人は困惑するが、その意味は、歓迎。

また、森を行く人は、木々をやさしく触ったり、なぜたり、叩いたりしていく。木と会話するそうだ。

とにかく、言葉がいらない。感覚が開きまくっているのだろう。


去年の夏、野村誠さんのイベントで碧水ホールや水口の城跡や森の中で、みんなで即興をして、音楽やダンスをした時のことを思い出した。
回りの人、木、道、石、イス、子供、虫など、いろんなものと親和する感じがあった。
草むらに入っていっても、観客のなかに入っていっても、柔らかくすり抜けていけそうな感じがして、実際、うまくすり抜けて行くことができた。


そして、ジェコさんが話を続けた。
東京や大阪や、ニューヨークでも、パサール(コンビニや店)は静かだ。パプアのパサールようだ。言葉無しで、人間が動いている。コンテンポラリーダンスのようだね。

痛烈な批判である。
(佐久間新)


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