Gamelan Marga Sari -Blog-

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舞踊と町の性格
 先週は、木・金・土と奈良で仕事をした。(社)奈良まちづくりセンター が招聘したアチェの人たちの案内とセミナーの通訳の仕事だ。木曜日は明日香や今井町を散策した。橿原市今井町の名前は本などで知っていたが、実際に訪れてびっくりした。元は壕に囲まれた400メートル×600メートルほどの町が、全く江戸時代のような風景なのだ。全件が白い土壁、黒の瓦葺きなのだ。今井町町並み保存会の会長に話を聞くと、数十年前はお化け屋敷が並ぶ町だったのが、大学の調査が入ることを契機に、自分たちの町の良さを再認識する気運が生まれ、保存会ができたそうだ。大学や保存会が行政にも働きかけ、現在では、国も今井町のために法律を作り、住宅の補修に援助を出しているという。その代わり、建築に対しては様々な規制が設けられている。町の大半の電柱と電線は埋設され、道路は土に似た色の舗装になり、家々の多くも補修され、町はお化け屋敷から、美しい景観の中で人々が暮らす町へと一変した。

 今年5月に、ジョグジャカルタで地震があった。町は大きな被害を受けた。現在、町の再建が始まっているが、伝統建築をいかに再建するかは大きな課題になるだろう。誰も声を上げなければ、無機質な効率優先の建築が更地に建つことになるだろう。今井町の例のように、外国人の私たちが声を上げることも現地への力となるだろう。そして、建築だけでなく、伝統舞踊も危機に瀕している。効率優先の大量消費文化が、ジャワの社会にも猛烈な勢いで押し寄せている。そんな社会で、長期に渡る修行が必要で、その風土や建築、儀礼、哲学、食事、衣服などあらゆる文化を背景としているジャワ舞踊は生き残れるだろうか。一旦、それを受け継ぐ人がいなくなれば、消えてしまうであろう形のない舞踊や音楽。
 本来、ジョグジャの舞踊や音楽は、町の性格を作り出す大きな要因になっている。隣町のソロの舞踊や音楽と比べれば分かるが、ジョグジャの舞踊や音楽が持つ、「無骨で、単純」、よく言えば、「明快で、清楚」なところはジョグジャの風景のそこここに、ジョグジャの友人達の中に見いだすことができる。それゆえ、ジョグジャが再建していく時に、舞踊や音楽が持っている力も最大限に発揮されるべきだと思う。そうなった時、ジョグジャは今まで以上に魅力のある町になるだろう。
(佐久間新)
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Comment
≪この記事へのコメント≫
新聞で見ました!
アチェの方々が奈良にいらしている、という記事が朝日新聞の奈良版に載っていまして、その写真に佐久間さんが写っていましたよ。 たしかに、あまり考えずに復興するのと、その土地の文化を大切に考えた復興では結果が大違いですね。形のあるもの、ないもの共にジャワの文化が美しく復興していけますように。
2006/12/07(木) 23:30 | URL | 横の糸 #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
写真出ていましたね。車椅子の後ろに・・・Iさんですよね。火曜日は、アートで極楽を見に行って来ました。いい作品もありました。また、AIちゃんとの作品作りも始められればいいなぁ、と思っています。
2006/12/08(金) 11:52 | URL | 佐久間新 #-[ 編集]
は~い、大当たり。
京都の法然院で佐久間さん達のジャワ舞踊を見た時、精神的な奥深さというものをすごく感じました。ゆっくりした動きに目が引きつけられました。心地よかったです。気功のように筋肉は「ゆるゆる」と「びりびり」をつなげた動きらしいことも感じました。
全然赴きの異なって見える「さあトーマス」では、即興の中で生まれる人々のコミュニケーション(通じ合い)をいつも探し、それを楽しんで見ていたような気がします。でもAIはだんだん慣れてくるに従い「見せる」「見られる」ことをスターのように意識するようになってきたような・・・。
2006/12/08(金) 21:28 | URL | 横の糸 #-[ 編集]
なるほど
大当たりですよね。でも、糸横=いとうようこさんであるのは、さっき、気づきました。横の糸をクリックすると、アドレスが出るんでよ!
なるほど・・・
「見る」「見られる」
ことを意識しないのは、至難の業ですよね。僕もやっぱり感じてしまいます。「見られる」状態から、こちらも観客を「見ている」のだ、観客を「見入らせる」のだ。あたりまで、意識が変えられれば、だいぶと平常心で踊れるのではないかと、最近考えています。
AIちゃんとも長らくお会いしてませんね。また、たんぽぽへ遊びに行きますね。夜のワークショップには月2で行っているのですが・・・
2006/12/09(土) 09:57 | URL | 佐久間新 #-[ 編集]
「皆に見せたい芸術」を見せていただいて魅せられています。ソロで踊る時と人と一緒に踊る時とでは、また「見られる」ことに関する心の持っていきかたも全然ちがうのでしょうね。
即興を面白さとしている「さあ、トーマス」でのAIの場合、始めの頃の「何やっていいかわからない~」と言っていた頃の方が、周りの人の動きを観察していたかもしれません。その頃は見ている私もハラハラドキドキ。でも何回か本番を重ねるうちに、華やかな役割を演じるようになり、マンネリ化し即興のハラハラが薄れていきました。何が起こるかわからない即興の舞台では、二度と再現できない面白い場面が時々ありましたよね。(何やってるのか全然わからない時もありましたが)
だから「さあトーマス」では慣れたスターのようになってしまわないほうがいいな、と思ったのです。
ところで、見られている方が(つまりお客がいた方が)張り合いがあると思うのですが、実は10日に語りの自主公演があり、手違いからナントお客がゼロ!急きょAIたち3人の語り部はストリートパフォーマンスをしました。よい勉強になりました!
2006/12/12(火) 22:45 | URL | 横の糸 #-[ 編集]
即興の難しさ
始めの頃のドキドキハラハラが、だんだんと回数を重ねてくると、慣れてスムーズになる側面と、惰性的になって、マンネリ化する側面があります。理想的にいえば、スムーズになりながら、参加する複数の人間が互いに刺激を与え合いながら、発展的に進んでいけば、いいのだと思います。
そのためには、最初の頃のAIちゃんのように、周りの人を感じないといけないし、自分からも周りの人に発信しなければならないですよね。
時に、惰性的になってきたら、それをストップさせる役割も必要でしょう。トーマス君みたいに・・・
「さあトーマス」でも、うまく機能する時は、上のような現象が起こっているのだと思います。
AIちゃんとは、もう一度腰を据えて、のんびりとした感じで、セッションを再開したいですね。
2006/12/15(金) 12:26 | URL | 佐久間新 #-[ 編集]
楽しい踊りは好きです相撲は好きではないのね佐久間さんに会いたいです
2006/12/15(金) 18:33 | URL | 愛子 #-[ 編集]
踊りも相撲も
愛子さま。
相撲も踊りだよね。また一緒に相撲をしようか。ボクシングをしようか。ボクシングもステップなんか、ダンスみたいだよね。
2006/12/16(土) 11:46 | URL | 佐久間新 #-[ 編集]
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