少し前、僕がたんぽぽの家でやっているダンスワークに村上泰介さんが見学に来られた。
その日のワークの参加者は、僕、障がい持った方2名、スタッフ2名だった。障がい持った方のうちのひとりは、とても繊細なからだをしているNさんである。向かい合って手を合わせると、触れるか触れないかのやさしさでありながら、しかしピタッと確かに密着する絶妙の加減を感じさせる方なのだ。合わせた手から、体同士の触れる面を移動させていくと繊細なダンスがうまれる。
このNさんとダンスする時は、自分なりにアプローチの方法がある。一緒に動くための「ことば」のようなものである。このことばを使ってはたらきかけると、Nさんは繊細な中にも心地いい明確な反応を返してくれる。
このことばには、法則や体系のようなものがある。しかしその体系は、マニュアルに首っ引きで使うものではなく、その場、その時に起こっていることを感じながら、からだに染み込んだものが自然と出てくる状態でなければならない。文法さえ分かれば外国語がしゃべれるわけではないのと似ている。現場での実践が大切なのだ。
ダンスは、あまりに整理されていたり、理論的だったりすると面白くなくなるが、自分の使うことばに関して意識的であることは悪いことではないと思う。このダンスワークの後、村上さんといろいろと話す中で、自分自身が使うことばに意識的になれたことがある。また、村上さんの目によって、あらたに気づかされたこともある。
後日、送られてきたレポートです。ご本人の許可をいただいたので掲載します。
・・・ ・・・
たんぽぽの家 見学レポート 001
作成 村上泰介(京都市立芸術大学大学院 博士(後期)課程)
はじめに
たんぽぽの家を見学するにあたって
筆者は、あらゆる人に開かれたコミュニケーション・メディアを用いた創造の場を構築すること を目標にしている。本構想に至ったのは、自閉症スペクトラム̶対人相互的反応などコミュニ ケーションに問題を抱えている̶の研究を通して多様なコミュニケーションのかたちについて考 えたためである。コミュニケーションの多様性を考えることは、その背後にある世界認識の多様 性を考えることでもある。 たんぽぽの家では多様な人たちが活動している。その多様性に直に触れることで目標とするコミュニケーション・メディアのかたちを探って行きたい。
たんぽぽの家を見学するにあたって
筆者は、あらゆる人に開かれたコミュニケーション・メディアを用いた創造の場を構築することを目標にしている。本構想に至ったのは、自閉症スペクトラム̶対人相互的反応などコミュニケーションに問題を抱えている̶の研究を通して多様なコミュニケーションのかたちについて考えたためである。コミュニケーションの多様性を考えることは、その背後にある世界認識の多様性を考えることでもある。
たんぽぽの家では多様な人たちが活動している。その多様性に直に触れることで目標とするコミュニケーション・メディアのかたちを探って行きたい。
たんぽぽの家・見学の日程
たんぽぽの家における様々な活動の見学をさせていただいた。
✦
2月23日(木)佐久間新さん・ダンスワークショップ 見学
✦
2月24日(金)もりながまことさん・演劇的ワークショップ 見学
✦
3月3日(土) 仮装競争、縁日作り 見学
上記日程における見学について、特に自閉症の人の研究から得られた知見と関係が深いと筆者が感じた佐久間新さんのダンスワークショップを中心に詳述したい。
見学レポート
佐久間新さん・ダンスワークショップ ̶自閉症の研究から得た知見などをもとに注目したこと̶
注意からはじまる
肌寒い晴れた日の午後、障害を持たれていると思しき人たちとスタッフが数名、スタジオに佇んでいると佐久間さんが壁をコツコツと叩き始める。小さな音が人々の注意を集めると、続いてその場にたまたま在ったドラムスティックを佐久間さんは床に転がす。佐久間さんの行為と人々の間に在った心理的な壁がドラムスティックが床に転がるカラカラという音で崩れ始める。ドラムスティックを投げ返す人々の応答。やり取りがしばらく続く。静かなスタジオにカラカラという音が響き続ける。やがて障害を持たれていると思しき一人に佐久間さんがそっと近づいた。以下にその人(以下Nさん)と佐久間さんの身体的な対話の中で私が興味を抱いた点について記載したい。
注意から模倣へ
Nさんは声を出して話すことが苦手なようだ。もの静かな方であまり周囲の人と目を合わせたりもしないようである。音楽が好きなようで、スタジオに響く音に合わせたリズミカルな動きに明るさが感じられる。Nさんの目の前で佐久間さんがゆっくりと拍手するような動作を始めた。パン、パンという音にNさんは注意をひかれる。心地よいリズムにNさんも一緒に拍手するような動作を始める。パン、パンというリズムが繰り返されるかと思った瞬間、佐久間さんは拍手する手前の位置で手を止めた。慌てて手を止めるNさん。また拍手するような動作が始まるが、合わそうとする手と手が空を切るような動作が差し挟まれる。それに合わせるNさん。模倣の遊びのような動作
が始まった。
身体の接触―複雑な模倣への移行―
佐久間さんの右手がNさんの方へ伸びる。佐久間さんに正面から向き合うNさんは左手を合わせる。押したり引いたりしながらお互いの手のひらはぴったりとくっついたまま離れずに様々な動作が繰り返される。しかし繰り返された動作は別の様子に変わる。ある瞬間に佐久間さんとNさんの手のひらの小指側の縁を中心に線対称な動きで回転を始め、そのまま背中合わせの動きに移行した [図1]。線的な動作から円的な動作へ、視覚に頼らずに他者の動きと合わせる複雑な模倣へと二人の動きが移行した。模倣が協調的な動作へと変化を遂げた。
起ち上がるミラーニューロン
佐久間さんとNさんが膝を突き合わせて座るかたちになる。互いの右手と左手で相手のふとももをさする動作の模倣、続いて互いの拳で相手のふとももを叩く動作の模倣、右手の動作と左手の動作が交互になり、触れる相手のふとももの上で互いの左右の手が交差する。だんだんと動きが早くなったその瞬間、それまで鏡に映したような二人の動きが変わった。互いの右手同士、左手同士の模倣に変わったのだ。自閉症の子どもはバイバイの動作をするときに相手に手の甲を向けるという。このバイバイは決しておかしくはない、目で見たとうりに模倣できているからだ。では、なぜ多くの子どもたちは、手のひらを相手に向けてバイバイができるのか。それは相手の動作・行為を見るだけで、その動作・行為を促す脳内部位が無意識のうちに活動する自動的な仕組みによる。この仕組みを引き起こす脳内部位がミラーニューロンであり、他者への共感の神経的基盤と考えられている。
佐久間さんとNさんの協調動作は意識的な状態から、ある瞬間に無意識的な状態へ、視覚的な鏡の関係から、身体的な鏡の関係―ミラーニューロンシステムが動作した状態―へと移行したのかもしれない。
注意の消失
座った状態での一連の動作が続いた後、座ったまま背中合わせにぴったりとひっついて佐久間さんとNさんは同じ動作を続けていた。そして、そのままの動きを維持しながら少しづつ二人は離れて行った。距離が広がるが二人は振り返ったりせずに動作を続ける。しかしスタジオ内に後から参加した車椅子の人に佐久間さんが働きかけたその瞬間、Nさんははじめて不安そうに振り向いたのだ。それまである種の信頼関係のようなものでお互いが見えない状態でも協調的に動き続けていた二人の間の引力のような関係が消失した瞬間だった。初見では佐久間さんとNさんの距離が離れ過ぎたことが主要因かと思われたこの状況を、後で佐久間さんはNさんへ向けていた注意が別の人に移ったからではないかと言われたが、まさしくそのとうりであったように思う。実際にはその場の音やかすかな発声などを通してNさんは佐久間さんの注意が自分から離れたことを感じたのだろうと考えられるが、その瞬間を鋭敏に捉えたNさんの知覚を支えていたのはどのような認識だったのだろうか。
ダンスワークショップを終えて
佐久間さんのダンスには自身の身体と他者の身体を関係づける多様なボキャブラリーがあるように感じられた。それは、意識と無意識が不断に切り替わり、ゆらぎ続ける場であったように思う。
✦
動きの波
佐久間さんはある一連の動きから別の動きへの変化が波のように起こることの重要性を語られた。小さな波を積み重ねて行くことで大きな波が起きるのだという。
✦
異なる感覚間のゆらぎ
視覚から触覚、触覚から身体感覚など異なる感覚へと注意が切り替わる場面が多く見られた。こうした瞬間に新鮮な驚きや喜びが含まれているのだと佐久間さんはいう。
✦
気配を感じる感覚
視線で直接他者が見えない場合でも他者と協調的な動作ができる。それは空気の質の変化を感覚が捉えているからだという。例えば指が物体に触れているか離れているかは、影の変化を通して周辺視野が捉えることができる [図2]。環境から感覚が捉える内容は注意の外側にもある。
✦
影になったつもりで踊る
舞踊の稽古において佐久間さんが手本となる場合、鏡のように相手の動きを導くには自分の身体を意識的に左右反転させようとしても上手くいかない。相手の動いて欲しい箇所に意識を集中して誘っていくような感覚が必要だそうである。
自閉症の人は定型発達と呼ばれる人と異なった現実感を持っているのだと思うが、その現実感に触れることには困難を伴うだろう。しかしながら、身体の協調を通して互いの接点を見いだし多様な関係性を生み出す佐久間さんのダンスの在りようは、言語を通しては触れるのが困難だった他者の現実感を自身に取り込む可能性を豊かに開く方法が数多くあることを感じさせてくれた。
見学からの気付き
私たちは言語や常識などを学び、社会という共同幻想をつくりあげて互いの異なる世界認識を共有しているような感覚を得ているのだと思う。筆者は自他の間で異なる現実感の接点を見いだすことがコミュニケーションである、と定義したうえでその接点をコンピューターテクノロジーを基盤とするニューメディアを用いて拡張していきたいと考える。
佐久間さんのダンスワークショップを見学して自他の関係性が、諸感覚の切換わり、意識と無意識の往復、安心と不安などが次々と身体動作を通して変化することによって小さな波が大波になるように互いの身体の共振の振動が大きくなるのを感じた。
自他の間に多様な関係性を構築するための接点を生み出すコミュニケーション・メディアを構想するにあたっての視点を与えてくれるワークショップであったと思う。
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その日のワークの参加者は、僕、障がい持った方2名、スタッフ2名だった。障がい持った方のうちのひとりは、とても繊細なからだをしているNさんである。向かい合って手を合わせると、触れるか触れないかのやさしさでありながら、しかしピタッと確かに密着する絶妙の加減を感じさせる方なのだ。合わせた手から、体同士の触れる面を移動させていくと繊細なダンスがうまれる。
このNさんとダンスする時は、自分なりにアプローチの方法がある。一緒に動くための「ことば」のようなものである。このことばを使ってはたらきかけると、Nさんは繊細な中にも心地いい明確な反応を返してくれる。
このことばには、法則や体系のようなものがある。しかしその体系は、マニュアルに首っ引きで使うものではなく、その場、その時に起こっていることを感じながら、からだに染み込んだものが自然と出てくる状態でなければならない。文法さえ分かれば外国語がしゃべれるわけではないのと似ている。現場での実践が大切なのだ。
ダンスは、あまりに整理されていたり、理論的だったりすると面白くなくなるが、自分の使うことばに関して意識的であることは悪いことではないと思う。このダンスワークの後、村上さんといろいろと話す中で、自分自身が使うことばに意識的になれたことがある。また、村上さんの目によって、あらたに気づかされたこともある。
後日、送られてきたレポートです。ご本人の許可をいただいたので掲載します。
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たんぽぽの家 見学レポート 001
作成 村上泰介(京都市立芸術大学大学院 博士(後期)課程)
はじめに
たんぽぽの家を見学するにあたって
筆者は、あらゆる人に開かれたコミュニケーション・メディアを用いた創造の場を構築すること を目標にしている。本構想に至ったのは、自閉症スペクトラム̶対人相互的反応などコミュニ ケーションに問題を抱えている̶の研究を通して多様なコミュニケーションのかたちについて考 えたためである。コミュニケーションの多様性を考えることは、その背後にある世界認識の多様 性を考えることでもある。 たんぽぽの家では多様な人たちが活動している。その多様性に直に触れることで目標とするコミュニケーション・メディアのかたちを探って行きたい。
たんぽぽの家を見学するにあたって
筆者は、あらゆる人に開かれたコミュニケーション・メディアを用いた創造の場を構築することを目標にしている。本構想に至ったのは、自閉症スペクトラム̶対人相互的反応などコミュニケーションに問題を抱えている̶の研究を通して多様なコミュニケーションのかたちについて考えたためである。コミュニケーションの多様性を考えることは、その背後にある世界認識の多様性を考えることでもある。
たんぽぽの家では多様な人たちが活動している。その多様性に直に触れることで目標とするコミュニケーション・メディアのかたちを探って行きたい。
たんぽぽの家・見学の日程
たんぽぽの家における様々な活動の見学をさせていただいた。
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2月23日(木)佐久間新さん・ダンスワークショップ 見学
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2月24日(金)もりながまことさん・演劇的ワークショップ 見学
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3月3日(土) 仮装競争、縁日作り 見学
上記日程における見学について、特に自閉症の人の研究から得られた知見と関係が深いと筆者が感じた佐久間新さんのダンスワークショップを中心に詳述したい。
見学レポート
佐久間新さん・ダンスワークショップ ̶自閉症の研究から得た知見などをもとに注目したこと̶
注意からはじまる
肌寒い晴れた日の午後、障害を持たれていると思しき人たちとスタッフが数名、スタジオに佇んでいると佐久間さんが壁をコツコツと叩き始める。小さな音が人々の注意を集めると、続いてその場にたまたま在ったドラムスティックを佐久間さんは床に転がす。佐久間さんの行為と人々の間に在った心理的な壁がドラムスティックが床に転がるカラカラという音で崩れ始める。ドラムスティックを投げ返す人々の応答。やり取りがしばらく続く。静かなスタジオにカラカラという音が響き続ける。やがて障害を持たれていると思しき一人に佐久間さんがそっと近づいた。以下にその人(以下Nさん)と佐久間さんの身体的な対話の中で私が興味を抱いた点について記載したい。
注意から模倣へ
Nさんは声を出して話すことが苦手なようだ。もの静かな方であまり周囲の人と目を合わせたりもしないようである。音楽が好きなようで、スタジオに響く音に合わせたリズミカルな動きに明るさが感じられる。Nさんの目の前で佐久間さんがゆっくりと拍手するような動作を始めた。パン、パンという音にNさんは注意をひかれる。心地よいリズムにNさんも一緒に拍手するような動作を始める。パン、パンというリズムが繰り返されるかと思った瞬間、佐久間さんは拍手する手前の位置で手を止めた。慌てて手を止めるNさん。また拍手するような動作が始まるが、合わそうとする手と手が空を切るような動作が差し挟まれる。それに合わせるNさん。模倣の遊びのような動作
が始まった。
身体の接触―複雑な模倣への移行―
佐久間さんの右手がNさんの方へ伸びる。佐久間さんに正面から向き合うNさんは左手を合わせる。押したり引いたりしながらお互いの手のひらはぴったりとくっついたまま離れずに様々な動作が繰り返される。しかし繰り返された動作は別の様子に変わる。ある瞬間に佐久間さんとNさんの手のひらの小指側の縁を中心に線対称な動きで回転を始め、そのまま背中合わせの動きに移行した [図1]。線的な動作から円的な動作へ、視覚に頼らずに他者の動きと合わせる複雑な模倣へと二人の動きが移行した。模倣が協調的な動作へと変化を遂げた。
起ち上がるミラーニューロン
佐久間さんとNさんが膝を突き合わせて座るかたちになる。互いの右手と左手で相手のふとももをさする動作の模倣、続いて互いの拳で相手のふとももを叩く動作の模倣、右手の動作と左手の動作が交互になり、触れる相手のふとももの上で互いの左右の手が交差する。だんだんと動きが早くなったその瞬間、それまで鏡に映したような二人の動きが変わった。互いの右手同士、左手同士の模倣に変わったのだ。自閉症の子どもはバイバイの動作をするときに相手に手の甲を向けるという。このバイバイは決しておかしくはない、目で見たとうりに模倣できているからだ。では、なぜ多くの子どもたちは、手のひらを相手に向けてバイバイができるのか。それは相手の動作・行為を見るだけで、その動作・行為を促す脳内部位が無意識のうちに活動する自動的な仕組みによる。この仕組みを引き起こす脳内部位がミラーニューロンであり、他者への共感の神経的基盤と考えられている。
佐久間さんとNさんの協調動作は意識的な状態から、ある瞬間に無意識的な状態へ、視覚的な鏡の関係から、身体的な鏡の関係―ミラーニューロンシステムが動作した状態―へと移行したのかもしれない。
注意の消失
座った状態での一連の動作が続いた後、座ったまま背中合わせにぴったりとひっついて佐久間さんとNさんは同じ動作を続けていた。そして、そのままの動きを維持しながら少しづつ二人は離れて行った。距離が広がるが二人は振り返ったりせずに動作を続ける。しかしスタジオ内に後から参加した車椅子の人に佐久間さんが働きかけたその瞬間、Nさんははじめて不安そうに振り向いたのだ。それまである種の信頼関係のようなものでお互いが見えない状態でも協調的に動き続けていた二人の間の引力のような関係が消失した瞬間だった。初見では佐久間さんとNさんの距離が離れ過ぎたことが主要因かと思われたこの状況を、後で佐久間さんはNさんへ向けていた注意が別の人に移ったからではないかと言われたが、まさしくそのとうりであったように思う。実際にはその場の音やかすかな発声などを通してNさんは佐久間さんの注意が自分から離れたことを感じたのだろうと考えられるが、その瞬間を鋭敏に捉えたNさんの知覚を支えていたのはどのような認識だったのだろうか。
ダンスワークショップを終えて
佐久間さんのダンスには自身の身体と他者の身体を関係づける多様なボキャブラリーがあるように感じられた。それは、意識と無意識が不断に切り替わり、ゆらぎ続ける場であったように思う。
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動きの波
佐久間さんはある一連の動きから別の動きへの変化が波のように起こることの重要性を語られた。小さな波を積み重ねて行くことで大きな波が起きるのだという。
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異なる感覚間のゆらぎ
視覚から触覚、触覚から身体感覚など異なる感覚へと注意が切り替わる場面が多く見られた。こうした瞬間に新鮮な驚きや喜びが含まれているのだと佐久間さんはいう。
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気配を感じる感覚
視線で直接他者が見えない場合でも他者と協調的な動作ができる。それは空気の質の変化を感覚が捉えているからだという。例えば指が物体に触れているか離れているかは、影の変化を通して周辺視野が捉えることができる [図2]。環境から感覚が捉える内容は注意の外側にもある。
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影になったつもりで踊る
舞踊の稽古において佐久間さんが手本となる場合、鏡のように相手の動きを導くには自分の身体を意識的に左右反転させようとしても上手くいかない。相手の動いて欲しい箇所に意識を集中して誘っていくような感覚が必要だそうである。
自閉症の人は定型発達と呼ばれる人と異なった現実感を持っているのだと思うが、その現実感に触れることには困難を伴うだろう。しかしながら、身体の協調を通して互いの接点を見いだし多様な関係性を生み出す佐久間さんのダンスの在りようは、言語を通しては触れるのが困難だった他者の現実感を自身に取り込む可能性を豊かに開く方法が数多くあることを感じさせてくれた。
見学からの気付き
私たちは言語や常識などを学び、社会という共同幻想をつくりあげて互いの異なる世界認識を共有しているような感覚を得ているのだと思う。筆者は自他の間で異なる現実感の接点を見いだすことがコミュニケーションである、と定義したうえでその接点をコンピューターテクノロジーを基盤とするニューメディアを用いて拡張していきたいと考える。
佐久間さんのダンスワークショップを見学して自他の関係性が、諸感覚の切換わり、意識と無意識の往復、安心と不安などが次々と身体動作を通して変化することによって小さな波が大波になるように互いの身体の共振の振動が大きくなるのを感じた。
自他の間に多様な関係性を構築するための接点を生み出すコミュニケーション・メディアを構想するにあたっての視点を与えてくれるワークショップであったと思う。
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twitterでのつぶやきをはさみながらの変則日記。恥の上塗りのようなものですが・・・。
月に2回、たんぽぽの家へワークショップに行っている。昼は障がいのあるメンバーとのダンス。毎回、特になにも決めずに行き当たりばったりの90分間。この日は、車いすのふたりともうひとりと僕の4人、スタッフも2名参加、ひとりは音楽を流したり踊ったり、もうひとりはビデオを撮ったり踊ったり。
たんぽぽの家でWS。車いす2台、ガムラン2台、グランドピアノで即興。ささやきから絶叫まで声もたくさん使う。Yさんとはタイミングも声色もほんとに息のあったやり取りになる。僕は彼女の気配を感じるし、彼女は僕をよく観察している。「私もふたりで舞台をやりたい。」と即興の後で言ってくれた。
少しずつからだが動きにくくなっているYさんだが、思い切った動きが得意で、狂ったように叫ぶ世界と平常の世界を自由に行き来できる人。そろそろ二人でなにかやる時期かな、と僕も思っているところ。
この日は、前に何度かワークショップをした堺の高齢者施設を3月いっぱいで辞めた細川鉄平さんが遊びにきた。WS後のミーティングに参加してもらった。夜のWSの前に食事をした。大学時代に先輩に連れられていった豊中のトンカツ屋へ。懐かしい場所で懐かしい記憶がよみがえった。車の中では、鉄平さんのあたらしい出発の話しを聞いた。この人も不器用に生きている。
鉄平さんとトンカツ屋へ。どうして踊るようになったかという20年前の話しを、20年ぶりに行った店でする。いつもはしない当時の女の子の話しも。2月の「うまれる」公演の後、牛丼屋でひとりで盛り上がり、その後、1週間職場でも熱血施設長になったと感想を聞かせてくれた。誰かに話したかったと。
仕事と生活を分けることは出来ないと、施設長を辞めた彼は、自分の哲学を貫ける施設を準備中。介護する側とされる側という二項対立を作らない施設。シンプルな施設で関係性を大切にするということかな。でも、奥さんとは対立中とか、焼きそばの作り方で。介護って、生きているとみんな関わることよね。
この前の日に、家でブナと遊んでいた時にメガネが壊れた。そのことを振り返りながら、たんぽぽでのWSでのダンスことも振り返っている。我ながら、わかりにくいつぶやきである。
もがれたバッタの足のようなメガネのつるが食卓の上に。おとといブナに四の字固めをしようと外してじゅうたんに置いたところへイウィンさんが洗濯物を持ってやってきた。そうです、置いた方が悪いんですけど、足の裏に感じた瞬間に力を抜いて・・・、とは思うけど、そんなことで怒ることはできない。
今日は世界が傾いている。ついてくるかと言うとうんと言うのでのんびりしていると、真っ赤になって怒りだして、弁当はまだかと。しょうがないのパパッと作ると、あっコロッケや、と。昨晩のWSでいつものようにYさんが雄叫びを上げて体当たりをしてきた。そこからのダンス。
傾いたメガネがよくないことは、メガネが商標のKジマさんでなくても分かる。輪ゴムで留めてるとまたいつもおしゃれなNビルさんに怒られる。あきらめて新調するか。昨晩の映像、YさんはWSに毎回お金を払って参加している。
と書いていると、鉄平さんのつぶやきがタイムラインに登場するので、リアクション。
鉄平
昨日は本当にありがとうございました!沢山の話を聞かせて頂き、また聞いて頂き嬉しかったです!ワークショップもあの頃のワクワクそのままでした。まだまだ遊んで下さい!ちなみに新しいアカウントです。よろしくお願いします!
佐久間
いい時間でした。からだを張って、止める必要があることもある。からだを合わせ続けているうちに、僕も段々とYさんのからだの声が聞こえるようになってきた気がします。関係するダンス、自分を超えるダンス、限界は無い。
佐久間
今度はカエルナイトかな。ああ、もちろん木曜ナイトもいつでもどうぞ!愛の深い奥様にもよろしく、僕も肉は、もちろん最後に切ります。
カエルの声が最高になる頃、一晩中鳴き声を聞く会をしている。鉄平さんは、去年参加してくれたのだ。そうこうしていると、一緒に夜のだれでも参加できるWSをしている本間直樹さんもつぶやいている。
本間
昨晩は不思議だった。そこで起きていることすべてが音楽に聴こえ、それに身を沿わせること以外、なにもすることがないかのような、そういう時間だった。
佐久間
流れる時間が手からこぼれ落ちて砂の上で乾いてしまうのではなく、流れの手触りを味わいながら、伸びた帯をたぐり寄せるようなダンスでした。
本間
行き帰りの佐久間新さんの運転もなんともいえない心地よさだった。彼のダンスのように無駄がなく流暢で、それでいて遊び心に溢れ、偶然を楽しみ、そして流れる。彼はダンサーに生まれ変わる前からライダーだった。
佐久間
ありがとう。昨日は、僕もいつもよりそんな風に運転した気がする。
この日は、たんぽぽの家のスタッフ3名、障がいのあるアーティストYさん、鉄平さん、本間さん、佐久間が参加した。岡部さんが考案した「服に着られるダンス」をきっかけに、行き当たりばったりで1時間ほど即興をしたのだった。
このつぶやきに刺激されて、20代にやっていたバイク便のことを書いてみたくなった。
20代前半に3年くらいバイク便をしていた。500キロ以上や、阪神高速に10回以上乗る日もあれば、船場のオフィス街を100件以上回る日もあった。無数に走る道路にメッセージが見えるようになってきた。街にデッサンするような気分でバイクを走らせた。いくつかある選択肢を常にキープしながら。
大きく移動する時は伸びのある線を引くように幹線道を使ったが、単純な線は美しくなかった。川や線路や高架は街を分断していたが抜け道の隠し場所だった。いけずな一方通行や信号をどう欺き返すか、抜け道を行く車のずる賢い顔、轍に刻まれた近道の答え、関所のような必ず止まる交差点、そこから、
次の到達地点などを瞬時に判断しながら、トラックの動きを潜望鏡にして渋滞の流れを読み、タンクの上の地図や無線も参考にし即興のデッサンをする。頭には幹線道路と蒲生4とか緑3とかの結節点、自動的に行ける主要な行き先のルートが入っている。無線で仕事が入ると、荷受け場所まで最短ルートと時間
を計算する。朝から走りっぱなしのこともあったが、時には木陰で背中の箱にもたれて缶コーヒーで煙草をぷかり。休憩場所探しの名人のBは箱にウサギを連れて帰ってきたこともあった。アメリカ領事館前から青信号スタートでどこまで行けるかなんてバカな競争もした。疾走し続けるしかない日々だった。
シートの下に歯ブラシとタオルを入れたベチャ引きのように、僕らもひとりで街を流したが、週末競馬新聞の工場には鳩のように集まった。群れて走る時は戦闘機の飛行機雲をトレースするようにコーナーを曲がっていった。今でもバックミラーに映るのがバイク便ライダーかそうでないかはすぐ分かる。力が
抜けてるのだ。きっと寝ながら乗ってたBはカーブに張り付いていた。Nはミズスマシのようだったし、ギタリストのMの肘使いはかっこよかった。どんな単車もハーレーになった。自分じゃなくバイクを走らせる。膝や足首や足の裏でバイクに話しかける。慣性、遠心力が作る見えないベクトルを感じながら。
大学に行く気がなくなり、バイトをするようになった。それまでの人生で出会わなかったような人たちと出会った。危険と隣り合わせの感覚にしびれるながら、この先どうなるのだろうと言う不安を振り払うようにひたすら飛ばした。この時の経験は、今の僕の即興ダンスに影響を与えている。まあ、元々、非常事態とかが好きだったんだろう。焦りながらも最善策を考えわくわくしている瞬間が。この仕事を辞める半年前、ジャワへ留学する年に、阪神大震災が起こり、ほんとの非常事態に直面した。その日から、毎日神戸と大阪とを往復した。はじめの2ヶ月くらいは、信号も全くなく、交通法規的には無法地帯だった。
バイクの疾走感記憶が、ブナと一緒に見た映画へとつながって行く。
ブナとブタのヒコーキ乗りの映画を見た。空中を飛ぶ姿に刺激を受けた。美しかったが、何か整理されすぎている気がした。絵にすることで抽象化するからだろうか。いつかどこかで見たシーンが心地よさを作るけれど。上空の一筋の白い線が飛行機であることは、8歳のブナでも予感した、整理、典型、抽象。
アニメとダンスも多いに関係している。これは、機会を改めて。
いっぱいつぶやいたので、ちょっと試みにやってみた日記です、読みにくかったかもしれません、ごめんさない。
月に2回、たんぽぽの家へワークショップに行っている。昼は障がいのあるメンバーとのダンス。毎回、特になにも決めずに行き当たりばったりの90分間。この日は、車いすのふたりともうひとりと僕の4人、スタッフも2名参加、ひとりは音楽を流したり踊ったり、もうひとりはビデオを撮ったり踊ったり。
たんぽぽの家でWS。車いす2台、ガムラン2台、グランドピアノで即興。ささやきから絶叫まで声もたくさん使う。Yさんとはタイミングも声色もほんとに息のあったやり取りになる。僕は彼女の気配を感じるし、彼女は僕をよく観察している。「私もふたりで舞台をやりたい。」と即興の後で言ってくれた。
少しずつからだが動きにくくなっているYさんだが、思い切った動きが得意で、狂ったように叫ぶ世界と平常の世界を自由に行き来できる人。そろそろ二人でなにかやる時期かな、と僕も思っているところ。
この日は、前に何度かワークショップをした堺の高齢者施設を3月いっぱいで辞めた細川鉄平さんが遊びにきた。WS後のミーティングに参加してもらった。夜のWSの前に食事をした。大学時代に先輩に連れられていった豊中のトンカツ屋へ。懐かしい場所で懐かしい記憶がよみがえった。車の中では、鉄平さんのあたらしい出発の話しを聞いた。この人も不器用に生きている。
鉄平さんとトンカツ屋へ。どうして踊るようになったかという20年前の話しを、20年ぶりに行った店でする。いつもはしない当時の女の子の話しも。2月の「うまれる」公演の後、牛丼屋でひとりで盛り上がり、その後、1週間職場でも熱血施設長になったと感想を聞かせてくれた。誰かに話したかったと。
仕事と生活を分けることは出来ないと、施設長を辞めた彼は、自分の哲学を貫ける施設を準備中。介護する側とされる側という二項対立を作らない施設。シンプルな施設で関係性を大切にするということかな。でも、奥さんとは対立中とか、焼きそばの作り方で。介護って、生きているとみんな関わることよね。
この前の日に、家でブナと遊んでいた時にメガネが壊れた。そのことを振り返りながら、たんぽぽでのWSでのダンスことも振り返っている。我ながら、わかりにくいつぶやきである。
もがれたバッタの足のようなメガネのつるが食卓の上に。おとといブナに四の字固めをしようと外してじゅうたんに置いたところへイウィンさんが洗濯物を持ってやってきた。そうです、置いた方が悪いんですけど、足の裏に感じた瞬間に力を抜いて・・・、とは思うけど、そんなことで怒ることはできない。
今日は世界が傾いている。ついてくるかと言うとうんと言うのでのんびりしていると、真っ赤になって怒りだして、弁当はまだかと。しょうがないのパパッと作ると、あっコロッケや、と。昨晩のWSでいつものようにYさんが雄叫びを上げて体当たりをしてきた。そこからのダンス。
傾いたメガネがよくないことは、メガネが商標のKジマさんでなくても分かる。輪ゴムで留めてるとまたいつもおしゃれなNビルさんに怒られる。あきらめて新調するか。昨晩の映像、YさんはWSに毎回お金を払って参加している。
と書いていると、鉄平さんのつぶやきがタイムラインに登場するので、リアクション。
鉄平
昨日は本当にありがとうございました!沢山の話を聞かせて頂き、また聞いて頂き嬉しかったです!ワークショップもあの頃のワクワクそのままでした。まだまだ遊んで下さい!ちなみに新しいアカウントです。よろしくお願いします!
佐久間
いい時間でした。からだを張って、止める必要があることもある。からだを合わせ続けているうちに、僕も段々とYさんのからだの声が聞こえるようになってきた気がします。関係するダンス、自分を超えるダンス、限界は無い。
佐久間
今度はカエルナイトかな。ああ、もちろん木曜ナイトもいつでもどうぞ!愛の深い奥様にもよろしく、僕も肉は、もちろん最後に切ります。
カエルの声が最高になる頃、一晩中鳴き声を聞く会をしている。鉄平さんは、去年参加してくれたのだ。そうこうしていると、一緒に夜のだれでも参加できるWSをしている本間直樹さんもつぶやいている。
本間
昨晩は不思議だった。そこで起きていることすべてが音楽に聴こえ、それに身を沿わせること以外、なにもすることがないかのような、そういう時間だった。
佐久間
流れる時間が手からこぼれ落ちて砂の上で乾いてしまうのではなく、流れの手触りを味わいながら、伸びた帯をたぐり寄せるようなダンスでした。
本間
行き帰りの佐久間新さんの運転もなんともいえない心地よさだった。彼のダンスのように無駄がなく流暢で、それでいて遊び心に溢れ、偶然を楽しみ、そして流れる。彼はダンサーに生まれ変わる前からライダーだった。
佐久間
ありがとう。昨日は、僕もいつもよりそんな風に運転した気がする。
この日は、たんぽぽの家のスタッフ3名、障がいのあるアーティストYさん、鉄平さん、本間さん、佐久間が参加した。岡部さんが考案した「服に着られるダンス」をきっかけに、行き当たりばったりで1時間ほど即興をしたのだった。
このつぶやきに刺激されて、20代にやっていたバイク便のことを書いてみたくなった。
20代前半に3年くらいバイク便をしていた。500キロ以上や、阪神高速に10回以上乗る日もあれば、船場のオフィス街を100件以上回る日もあった。無数に走る道路にメッセージが見えるようになってきた。街にデッサンするような気分でバイクを走らせた。いくつかある選択肢を常にキープしながら。
大きく移動する時は伸びのある線を引くように幹線道を使ったが、単純な線は美しくなかった。川や線路や高架は街を分断していたが抜け道の隠し場所だった。いけずな一方通行や信号をどう欺き返すか、抜け道を行く車のずる賢い顔、轍に刻まれた近道の答え、関所のような必ず止まる交差点、そこから、
次の到達地点などを瞬時に判断しながら、トラックの動きを潜望鏡にして渋滞の流れを読み、タンクの上の地図や無線も参考にし即興のデッサンをする。頭には幹線道路と蒲生4とか緑3とかの結節点、自動的に行ける主要な行き先のルートが入っている。無線で仕事が入ると、荷受け場所まで最短ルートと時間
を計算する。朝から走りっぱなしのこともあったが、時には木陰で背中の箱にもたれて缶コーヒーで煙草をぷかり。休憩場所探しの名人のBは箱にウサギを連れて帰ってきたこともあった。アメリカ領事館前から青信号スタートでどこまで行けるかなんてバカな競争もした。疾走し続けるしかない日々だった。
シートの下に歯ブラシとタオルを入れたベチャ引きのように、僕らもひとりで街を流したが、週末競馬新聞の工場には鳩のように集まった。群れて走る時は戦闘機の飛行機雲をトレースするようにコーナーを曲がっていった。今でもバックミラーに映るのがバイク便ライダーかそうでないかはすぐ分かる。力が
抜けてるのだ。きっと寝ながら乗ってたBはカーブに張り付いていた。Nはミズスマシのようだったし、ギタリストのMの肘使いはかっこよかった。どんな単車もハーレーになった。自分じゃなくバイクを走らせる。膝や足首や足の裏でバイクに話しかける。慣性、遠心力が作る見えないベクトルを感じながら。
大学に行く気がなくなり、バイトをするようになった。それまでの人生で出会わなかったような人たちと出会った。危険と隣り合わせの感覚にしびれるながら、この先どうなるのだろうと言う不安を振り払うようにひたすら飛ばした。この時の経験は、今の僕の即興ダンスに影響を与えている。まあ、元々、非常事態とかが好きだったんだろう。焦りながらも最善策を考えわくわくしている瞬間が。この仕事を辞める半年前、ジャワへ留学する年に、阪神大震災が起こり、ほんとの非常事態に直面した。その日から、毎日神戸と大阪とを往復した。はじめの2ヶ月くらいは、信号も全くなく、交通法規的には無法地帯だった。
バイクの疾走感記憶が、ブナと一緒に見た映画へとつながって行く。
ブナとブタのヒコーキ乗りの映画を見た。空中を飛ぶ姿に刺激を受けた。美しかったが、何か整理されすぎている気がした。絵にすることで抽象化するからだろうか。いつかどこかで見たシーンが心地よさを作るけれど。上空の一筋の白い線が飛行機であることは、8歳のブナでも予感した、整理、典型、抽象。
アニメとダンスも多いに関係している。これは、機会を改めて。
いっぱいつぶやいたので、ちょっと試みにやってみた日記です、読みにくかったかもしれません、ごめんさない。
2012年1月から3月までのつぶやきです。ワークショップをたくさんやってます。ひとりのダンス、みんなとのダンス、違いはあるのだろうか。ジャワ舞踊はひとりでするダンスが多いですが、ジャワの人たちは、人と人との境目が曖昧な感じもします。集団のからだや意識やノリというものを強く感じます。
つぶやき中の方はこちらでも。
http://twitter.com/#!/kasakuman
1月2日
あけましたね。昨日は、日付が変わってもおせち作ってました。母と分担ですが、お煮染めと鶏肉とブリとエビをしました。いいコンブと鰹でしっかりダシを取ると、ほんとに金色に光っておいしい。近所で取れた野菜にじっくり染み込ませる。しみじみとうまい。こんな贅沢はないなあ。今年もよろしくね。
1月5日
明朝8時の飛行機で岩手へ。花巻空港から盛岡~宮古経由で普代村まで3時間レンタカーで。面積は四国ぐらいあるんだって、途中マイナス30度になる地域があるとか。神戸で公演した鵜鳥神楽のメンバーと再会します。さて、今から荷造り、パッチとか、手袋とか、帽子とか、ゴーグルはいらないか。
1月9日
岩手の沿岸部をあっちこっち行ってきました。普代村の鵜鳥神楽はやっぱりすごかった。ジャワやスンダの仮面舞踊とほんとに共通点がたくさん。篠木神楽の獅子にはびっくり。獅子じゃなくて猫やん。凍った峠を越えて、薮川でそばを食べて、盛岡まで戻ってきました。明日は、るんびに美術館へ行くつもり。
1月10日
午後からは、あさってのための薪を拾いに近所の山に入ります。CSCD http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/ver2/2012/000351.php@CSCD_Handai RTさんから
@stillsmile12 うれしいよね、そういうのって。学生さんになにかいいパワーを送ったんじゃないかな?
1月11日
@OGmk2 下半身の使い方、首の動かし方、いくつかの決めポーズを使いながら即興的に組み立てていくところ、太鼓奏者と息を合わせるところ、などが似ているように感じられました。また見る機会があるので、もっと発見があると思います。
写真家武壮隆志さんのブログに、12月23日の太子ホールでの公演民衆劇かまがさき「あんこかて人間や!~おっちゃん達の人間宣言」
明日13時30分からたんぽぽの家で、去年8月芦屋美術博物館でした「うまれる」奥谷晴美+佐久間新+ジェリー・ゴードンの上映会をします。終わってから少しトークもする予定。滋賀から鳥井新平さんときむきがんさんもやってきます。ある事故が起こって、この作品はとても面白くなったのでした。
1月12日
お地蔵さんの前で、超高速でパンパン、パンパンと手を打つブナ。お宮さんと方向を変えて。「そんなに早かったらお願いでけへんやろ。」「えっ?行ってきます、って言うだけやん。」空からはチラチラと、小さいのは少し早く、大きいのはゆっくりと。山の向こうの日は、雲を下から黄色く照らしています。
つぶやき中の方はこちらでも。
http://twitter.com/#!/kasakuman
1月2日
あけましたね。昨日は、日付が変わってもおせち作ってました。母と分担ですが、お煮染めと鶏肉とブリとエビをしました。いいコンブと鰹でしっかりダシを取ると、ほんとに金色に光っておいしい。近所で取れた野菜にじっくり染み込ませる。しみじみとうまい。こんな贅沢はないなあ。今年もよろしくね。
1月5日
明朝8時の飛行機で岩手へ。花巻空港から盛岡~宮古経由で普代村まで3時間レンタカーで。面積は四国ぐらいあるんだって、途中マイナス30度になる地域があるとか。神戸で公演した鵜鳥神楽のメンバーと再会します。さて、今から荷造り、パッチとか、手袋とか、帽子とか、ゴーグルはいらないか。
1月9日
岩手の沿岸部をあっちこっち行ってきました。普代村の鵜鳥神楽はやっぱりすごかった。ジャワやスンダの仮面舞踊とほんとに共通点がたくさん。篠木神楽の獅子にはびっくり。獅子じゃなくて猫やん。凍った峠を越えて、薮川でそばを食べて、盛岡まで戻ってきました。明日は、るんびに美術館へ行くつもり。
1月10日
午後からは、あさってのための薪を拾いに近所の山に入ります。CSCD http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/ver2/2012/000351.php@CSCD_Handai RTさんから
@stillsmile12 うれしいよね、そういうのって。学生さんになにかいいパワーを送ったんじゃないかな?
1月11日
@OGmk2 下半身の使い方、首の動かし方、いくつかの決めポーズを使いながら即興的に組み立てていくところ、太鼓奏者と息を合わせるところ、などが似ているように感じられました。また見る機会があるので、もっと発見があると思います。
写真家武壮隆志さんのブログに、12月23日の太子ホールでの公演民衆劇かまがさき「あんこかて人間や!~おっちゃん達の人間宣言」
明日13時30分からたんぽぽの家で、去年8月芦屋美術博物館でした「うまれる」奥谷晴美+佐久間新+ジェリー・ゴードンの上映会をします。終わってから少しトークもする予定。滋賀から鳥井新平さんときむきがんさんもやってきます。ある事故が起こって、この作品はとても面白くなったのでした。
1月12日
お地蔵さんの前で、超高速でパンパン、パンパンと手を打つブナ。お宮さんと方向を変えて。「そんなに早かったらお願いでけへんやろ。」「えっ?行ってきます、って言うだけやん。」空からはチラチラと、小さいのは少し早く、大きいのはゆっくりと。山の向こうの日は、雲を下から黄色く照らしています。
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