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Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
映像紹介「鏡の中の人」
すこし映像を紹介します。時間のある時に、リラックスして見ていただけるとうれしいです。

大阪大学コミュニケーションデザインセンターで「からだトーク」というシリーズをやっています。
西村ユミさん(看護学)、本間直樹さん(哲学・映像)、玉地雅浩(理学療法士)さん、佐久間新(ダンス)が案内役をしています。

この回は、マイケル・ジャクソンの曲をもじって「鏡の中の人」というサブタイトルにしました。タイトルにひかれてかダンス好きの人がたくさん集まってくれました。会場は、阪大の中庭に面した部屋だったのですが、中庭で学生たちがダンスやジャグリングの練習をしています。集まってだべっているグループもいます。

撮影は本間直樹さんが行っているのですが、タイトルの影響か、この日はガラスを撮り続けています。ガラスに映る部屋の中とガラスの向こう側の中庭の両方が映像に映っています。また、この日は、本間さんがパソコンに入った曲をDJになって即興的に選んでいます。MJのメドレーやクラシックが流れます。

最後に「Man in the ミラー」がかかって、ペアのダンスから全員のダンスに広がっていきます。ここは、僕もお気に入りのシーンなのですが、You tubeにアップした途端に、アメリカから警告が入ったそうです。残念ながら、全く関係の無いダンス曲が入っています。

僕は、ダンスのワークショップで音楽を使うことはあまりありませんでした。特に録音されたものは。でも、去年からたんぽぽの家の定期ワークショップで、「ダンス音楽はほんとに踊りたくなるか?」というテーマで、パヒュームやマッチから、ジャズ、ジョン・ケージ、邦楽、ガムランなど、いろんな曲でやってみました。意外と、ジョン・ケージにダンス心を刺激されました。MJは別格で、曲自体がダンスしているので、もはや何をやってもダンスになる、という感じでした。

しかし、録音でダンスするのは悲しい面もあります。ダンスに反応してくれないからです。そして、録音は、ささいなきっかけでストップされたり、早回しされたりします。生身の人間がやっているのとは異なります。でも、録音だからこそ、無くなったMJやジョン・ケージの音楽でダンスできたりもする訳です。

そんな意味では、警告が入ったというのも、おもしろい事態だと思います。録音音源とのダンスのはかなさを味わせてくれました。ワークショップの映像を4本紹介します。いつものように、撮影は本間直樹さんで、編集はされていません。時間が切り取られているだけです。




MJです。セママサマママクサって、名前を呼ばれて気がするんです。みんなでディスコみたいに踊っています。西村ユミさんがダンスする貴重映像もあります。曲が変わり、どんどんとメンバーが変わって、ダンスが変わっていきます。



ダンスや演劇をしている芸達者な3人の女性が登場するシーンです。曲は、MJから一転して深刻な感じですが、ダンスには笑いが。



「からだトーク」のレギュラーKさんとのデュエット。現場では、この途中からman in the ミラーが流れてたんですが、upした途端警告が入ったので、全然関係ない曲が入ってます。徐々に人数が増えて、最後はみんなで、なぜか仲良くダンスしています。おそるべきMJパワーです。その魔術に気づいたのか、中庭の学生たちが驚いています。



オマケ。これは別の会の映像です。一緒にman in the ミラーを踊ったKさんとのラストダンス。「からだトーク」の常連さんで、阪大事務職員。ワークショップが終わって、みんな帰りがけにダンスが始まりましたが、終電が無くなりそうで、もう、だれも構ってくれません。「西村先生、追い出さないで!」
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「うまれる」ことば
2月2日にならまちセンターでやった「うまれる」の映像を見ています。2台あったカメラの1台分ですが・・・。後々、編集してDVDにする予定。相当、おもしろいです。即興なので、本番中も長さは決まっていないし、どこで終わってもいいんですが、ある場面で、客席の女性が声を上げます。文字にするとたいしたことはないのですが、これによって、パフォーマンスは熱を帯びていきます。

前回の日記にも書いたのですが、本番の記憶を頼りに書いたので、ちょっと思い違いもあったようです。「じぶんのこだけが、かわいいんです。」っていうのは、本番が終わってから言ってたのかなあ?

昨年の8月6日に芦屋市立美術博物館で行った「うまれる」の初演の映像はすでに編集が終わっています。販売しようと思っています。近々宣伝しますので、よろしくお願いします。2作品とも、全く違った状況がうまれています。

・・・ ・・・

(母)
りっぱ、りっぱ。
りっぱ、りっぱ。 ??
もう、お母さん・・・。
さくまさん、ありがとう。

(母)
りっぱ、りっぱ。

(母)
終わってなかった・・・、すみません。

(佐久間)
今から踊りますよ。

(母)
まだ、これから・・・、 さくまさん、終わったんかとおもたなあ、やってください。

(佐久間)
踊りますよ。

(晴美)
イチ、ニ、サン、

(母)
ガンバレ。

(晴美)
ガンバレ。
 
(晴美)
おにいちゃん。

(母)
すみません、わたしがぶちこわしましたね。

(佐久間)
大丈夫です。大丈夫。

(佐久間)
ありがとうございます。

(佐久間)
おかあさん、おかあさんでしょ。

(母)
こんな子、産んだ覚えないけどね。

(晴美)
おかあさん、おかあさん。

(佐久間)
おかあさん、ありがとうございます。

(母)
さくまさん、ご苦労さまです。
??でて、よかったね。

(男)
ガンバレ、ガンバレ。

(母)
すみません、ありがとうございます。

(男)
ガンバレ。

(佐久間)
ありがとう。

(晴美)
おにいちゃん。

(母)
すみません、ぶちこわし専門ですので・・・。

(佐久間)
ぶちこわれてないと思います。

(母)
ごめんなさい。
もう終わるかと、終わるかと・・・。

(佐久間)
なにか言ってますよ。

(母)
はやく終わってくれたらうれしくて・・・。

(晴美)
おかあさん、おにいちゃん。

(母)
おにいちゃん、いいぞ。
がんばろう。

(晴美)
おにいちゃん、おぶって。

(母)
これを待ってました。

(佐久間)
重いぞ。

出演者;奥谷晴美、佐久間新、ジェリー・ゴードン
母:奥谷晴美の母 僕は、一度会ったことはあったけど、途中まではわからなかった。
男:客席の男の観客 誰かはわからないが、大きな声をかけてくれた。

・・・ ・・・

伊藤愛子の世界
「さあ!トーマス」の最初の練習でダンスしたのはもう8年前。以来、たんぽぽの家の伊藤愛子さんとは何度となく一緒にダンスをしている。クルクルと変わる表情、感情の起伏に機敏に従う身体、人にまっすぐ向き合って伝える力。ものすごくいいパフォーマーで、語り部としても大活躍している。

先日は、奈良文化会館の展覧会会場で即興ダンスをした。愛ちゃんは、もっともっと踊りたそうだった。愛ちゃんは、即興ダンスでもすごくいい表情や動きが出るんだけど、ある程度ストーリーや動きを決めたダンスがあってるのかもしれない。今度は、そんなダンスにもチェレンジしてみようか、と声をかけたらとてもいい顔になった。

たんぽぽの家が制作した愛ちゃんのプロモーションビデオです。

伊藤愛子の仕事
語り、伊藤愛子×佐久間新×ウォン・ジクス(2007年京都文化博物館での即興パフォーマンス)、佐久間新インタビュー、伊藤愛子インタビューなど。
プラネタリウムに桟敷席を!
1月20日
日記の日が前後します。すみません。
イウィンさんとブナと3人で出発。名神、中央道を経て、岐阜あたりから雪景色。長いトンネルの手前でチェーン規制。諏訪のSAは一面雪景色。ガソリンがかつかつになったので韮崎でおりて、地道で甲府へ。予定時刻の16時ぴったりに、山梨県立科学館に到着。学芸員の高橋真理子さんと8月以来の再会。

閉館後、プラネタリウムでダンスワークショップの打ち合わせ。つまり、プラネタリウムを貸し切り状態!で、真理子さんがリクエストに応えてなんでもしてくれる。まずは、僕のこどもの頃にあったような雪だるま型ではないけれど光学式のプラネタリウムで、夕方から朝までの星空を出してもらう。その間中、ホールのあちこちを散歩してみる。星が上がってくる壁に張り付いたり、月が降りてくる床に寝転んだり、北極星の下の柱に登ったり、前の小さなステージで星にあわせてゆっくりゴロリと回ったり。ああ、幸せ!

それから、ユニビューという最新機材を見せてもらう。これは、デジタルの映像で、宇宙のあらゆる場所から、あらゆる方向の、あらゆる時間の映像が見られる。厳密に言うと違うのかもしれないが・・・。たとえば、2012年1月20日19時の宇宙ステーションから見た地球の姿とか、1000年後の冥王星から見た太陽系とか、縦に回る太陽系とか、なんでもリクエストすると、「ちょっと待ってくださいよ・・・、」とマリコスモス(真理子さんのこと)さんが言って数秒後には、大きなドームに、ジャーン!とあらわれるのだ。「なんか、カミサマになった気がするんじゃないですか?」って聞いたら、「神になった気はしないけど、なんでも動かせる気にはなりますよ。」って、それって神じゃないですか・・・。

現在わかっている太陽系の小惑星は26万個くらいあって・・・、カタカタカタ(ラップトップのキーボードを叩く)、ジャン!おおおお!!無数の軌道が繭のように太陽を回っている。地球などの惑星は、ほぼ同一水平面状を動いているんだけど、小惑星はもっと自由な方向に、でも、太陽に引っ張られて、円軌道を動いている。学者達は、小惑星が地球に衝突する可能性が無いか、日々新しい惑星を探したり、軌道を計算しているそうだ。映像を見てると当たらないの不思議なくらい。太陽系から、さらに天の川銀河系、そしてさらに・・・、と俯瞰していく。最後には、何億個もの銀河が形作る不思議な、だけど見たことあるような形が見えてくる。現在わかっている、見ることのできる135億光年の広がりを持つ宇宙の姿。不思議だけど、何億個もの銀河が無秩序に散らばらずに、渦巻きや植物のようななんらかの形を作っていく働きをするのが、ダークマターという仮定上の物質だそうだ。

ここまで見たところで、ワークショップの下準備は終了。ロビーに出ると寺原太郎さんと百合子さんの夫妻が来ていた。太郎さんはインドの笛バーンスリー奏者、百合子さんはプロデュースとかいろいろ、ふたりとも大学時代からの友人、僕は中退だけど・・・。千葉に住んでいるんだけど、太郎さんが大の星好きなのでかけつけてくれた。5人でご飯を食べて、八ヶ岳の麓の真理子さんのログハウス「あるり舎」へ。その前に、近くの温泉へ寄る。ヌルヌルしたお湯が最高。最後の1キロくらいで段々雪が深くなってきた。僕のカローラランクスはスタッドレス、太郎さんのVWはチェーンだけど、住宅地を抜けて林に入った最後の100メートルで、車が進まなくなった。スリップして坂を上らない。ブナも一緒になって除雪して、代わる代わる車を押して、なんとか到着。

1月21日
朝はゆっくりして、昼前にほうとうを食べに行く。おいしかった。麺類というか、鍋物ですね、ナンキンの入った。山梨駅でベリーダンスの内藤カヒナ久美さんと合流して、ほったらかしの湯へ。山をずんずん上がって行くと、頂上に駐車場がある。700円也を払って、露天風呂へ。湯船から流れ落ちる向こうが雲になっている。湯気と雲と向いの山が溶け合っている。お湯もいい。なんたる開放感、ブナと太郎さんは、デッキに積もった雪の上ではだかでゴロゴロしている。僕はおとななので、湯船で湯気ダンス。

科学館へ。18時からWS開始。20名近い参加者。国立天文台の人、気象台の人、朗読サークルの人、星好きの人、はじめて科学館へ来た人、こども、視覚障害の人、いろんな方が集まった。まずは、光学式の星空の下、思い思いの場所で寝転がった。20分近く、黙って、それぞれで楽しんだ。それから、水になってみるワーク、上昇したり下降したりするワーク、天体と一体となるトークなど。それから、みんなで話をしながらユニビューを見た。最後は、135億光年の映像。果てしない宇宙の広がりに、ことばを失う。からだの感覚も失われる感じ。それでも、ここで終わってはいけないと、からだが言っている。太郎さんに笛を吹いてもらって、両手を伸ばす動きから、みんなでやってみる。両手を伸ばしていくと、やがて右手と左手が、からだの真ん中で出会う、出会った手を顔の前に持ってくると、祈りになる。あわせた手に息を吹き込み、力を抜くとそこに水がたまる。たまった水を持って、すこしずつ動いてみる。笛の音にあわせて、みんなでゆっくり動いてみる。最後は、静かになって、すこしダンスが残った。

マリコスモスさん曰く、止まっている星は無いそうだ。星は、みんな回っている。
そして、その星はみんな引き合っている。きっと、静かな音楽を奏でて。
地球はものすごい勢いで回っている。もちろんエンジンも無いのに。太陽と引き合いながら、傾いた地軸などでバランスを取りながら。その地軸も、傾いた独楽のようにゆっくりと回っている。2万6千年(そんなに長くはない)で1周するそうだ。北極星はずっと北に見える訳ではないのだ。
地球と太陽のある太陽系だって、天の川銀河の中を回っている。2億5千万年程で1周するそうだ。その天の川銀河も数十億年後には、別の銀河とぶつかるらしい。そういった、銀河が何億個もある!!途方も無い話なんだけど、全部はつながっている。だとすれば、僕らのからだの動きも、ダンスの始まりも、宇宙とつながっているはず。

ユニビューのような映像は見られなかっただろうけど、きっとジャワの昔の人、ジャワだけじゃなくて世界中の大昔の人たちは、いろんな方法でこういったことを知っていたんじゃないかな。直観的だったり、呪術的だったり、からだを通してだったり、自然を通してだったり。そのひとつのかたちがダンスなのかもしれない。
現代の僕らは、ユニビューのようなテクノロジーや科学の発展によって、視覚を通じて、イメージをとらえることができる。以前だったら、つい僕がこどもの頃でさえ、想像もつかないような視点を手に入れることができる。これは、すごいことだと思う。でも、リクライニングシートに座って、まんじりともせず、目だけを見開いているだけじゃつまらない。五感を使って、からだを使って、もっともっとプラネタリウムを楽しめると思う。もっともっと宇宙を感じられると思う。

参加してくださった方の一部が感想を書いてくれています。

http://hoshinokataribe.main.jp/new/index.php?activity2012


プラネタリウムに桟敷席を!
僕からの提案です。

1月22日
朝起きて、なぜかサッカーゲームをして、ブナをこてんぱんにやっつけて、アルリ舎を出発。ありがとう、マリコスモスさん。また来ます。

八ヶ岳山麓の雪のきれいな道をドライブ。近くにあった平山郁夫シルクロード美術館へ。星の次にシルクロードの仏像を見ると、なんだか感慨深い。最後の部屋には、砂漠をいくラクダの隊列の絵。左右に対照的な屏風風の絵がある。青い月が沈む絵と、オレンジの日が上がる絵。つながっているなあ。美術館から少し行くと、泉があった。南アルプスと富士山がよく見えている。おいしいそばを食べた。いい旅だった。


ホールでダンス事故を。
2月2日
この日はプログラムが3つあり、僕らは2番目。森田かずよさんと砂連尾理さんの作品の間。最後には、大谷燠X砂連尾理X佐久間新のトーク。

奈良障害者芸術祭HAPPY SPOT NARA の一環で、パフォーミングアーツを集めたのが「鹿の劇場」。それがさらに、音楽、ダンス、演劇に別れている。この日は、ダンスの日で「からだの発見」と題されていて、3つの作品が上演される。芸術祭全体の制作はたんぽぽの家が行っており、ダンスの部分はDANCE BOX の大谷燠さんがディレクター。

大谷さんはDANCE BOXの代表で、日本のコンテンポラリーダンス界で中心的に活躍している人。僕はジャワ舞踊をやっているが、ジャワの古典舞踊を踊っているかぎりはあまり接点がない。ジャワ舞踊、バリ舞踊、インド舞踊、フラメンコ、フラ、ベリーダンスといったエスニック舞踊をしている人や、日本舞踊や神楽や能をしている人もあまり接点はないだろう。ヒップホップとかをやっている若い人は、接点があるのかなあ。

僕自身は、2004年にダルマブダヤと由良部正美さんとのガムランを使った新作の発表を、まだフェスティバルゲートにあったDANCE BOXでやった。僕にとっては、創作したダンスをコンテンポラリーダンスの人の前で踊るはじめての機会だった。それまでにも、野村誠さんの「セミ」やマルガサリの「桃太郎」で創作したダンスを人前で踊っていたとはいえ、すこし違う意識が働いた。ダンスを専門にやっている人に対するコンプレックスかな。僕のダンスをダンスって言っていいんですか、って。

2005年だっただろうか。立命館大学で、ジョグジャカルタ州と京都府の友好提携コンサートがあり、スルタンも列席する中でジャワの古典舞踊を踊った。その後で、来日していたジャワのコンテンポラリーダンスのブサールさんとJCDN(Japan Contemporary Dance Network)の水野立子さんとお茶をした。「あなたもいつまでも、こんな王子様のダンスを踊ってないで・・・。」とハッパをかけられた。ベン・スハルトやピチェ・クランチェンがアメリカへ留学した際にも、「お前が伝統舞踊の達人であることはわかった。で、お前のダンスはなんなんだ。」ということをしきりに問われたと聞いたことがある。伝統舞踊に中に、すでにすべてがあると思っているふたりの達人や、その端っこにいる僕にとってさえ、返す言葉はあるのだが、そのハッパにあえて乗って飛び出したい衝動もあったのかもしれない。

その後、僕のダンスは、王子様のダンスから、鬼、障がい者、おっさん、花嫁、湯気、ペットボトル、坂道、詩の朗読などへ広がって行った。そして段々と、コンテンポラリーダンスの人とも出会うようになった。それ以外にも、ダンスを通じて、哲学者、介護職員、エイブルアート関係者、理学療法士、詩人、宗教家、学生、フリーターなどさまざまな人と出会い、からだを動かし、おしゃべりをした。からだを通じた接点がいっぱいみつかった。

僕は、今、ダンスの可能性を探っている。ジャワ舞踊の宇宙がどこまで広がっているのかを確かめている。
その中で、いろんなダンスがいろんな場にあらわれることを実感している。
たとえば、たんぽぽの家などでやっているワークショップの中で、時としてあらわれる参加者とのほんとにいいダンスの瞬間、からだトークでの湯気や煙とのダンス、インドネシアの断崖絶壁にキャンプしてやったi-picnicでの野外ダンス、京都文化博物館で展示物や見学者と関わりながらやった伊藤愛子Xウォン・ジクスX佐久間新のパフォーマンス、家の近所の泉でシラサギと出会った時の誰も見てないダンス、などなど。ダンスにはいろんな表現があり、いろんな可能性がある。当たり前だけど、ホール以外のところにもダンスはあふれている。そしてコンテンポラリーダンス自体も、同時代のダンスと言う字義通りにさまざまな現代のダンスがあらわれはじめて、ホールからはみ出して、境界がなくなりつつあるようにみえる。

逆説的だけど、僕だって、ホールだからできる、あるいはホールだからこそいきるダンスもあると思っている。照明があって、セットがあって、集中してみる観客がいるような場。みんなが息を殺して見続けるような場。環境から切り離された独特の空間だからこそいきるダンス。

僕がやっているダンスの中にも、ホールでもやれるダンスがあると思う。ホールでのダンスの世界にも入って行きながら、そこに風穴を空けるようなダンスをやってみたい。晴美さんとのダンスはそのひとつだろう。彼女の存在の強さ、出てくる動きの繊細さと強さは、ホールでも映えるだろう。僕は、あまりホールで踊るのは好きじゃないと言ってきたけど、晴美さんとのダンスならば、ホールでやるのはいいのかもしれないと思っている。ホールに、彼女の生が持ち込まれ、事故が起き、いろんなものを揺るがせて行く。その今を生きる晴美さんと、即興でダンスできることは、僕にとって変えがたい喜びである。強烈な生、事故を受け入れる受容性と即興力、繊細でダイナミックなからだ。自分の力を総動員して、闘える場がうまれてくるのがダンス事故「うまれる」の舞台。
うまれた、叫ばずに。
2月2日
最高だった。

楽屋で白いドレスに着替えている晴美さんを見ながら、
今日、この場所で、この人とダンスができる奇跡を感じて、
ジェリーさんの音とともに
ある、
ことだけを踊ろうと決めた。

ほの明るい光と闇がつくる輪のはざまでたゆたうと、からだが滑りはじめた。
きっと、もうひとつの光の輪では、晴美さんが踊っているのだろう。

感じるままに、気ままに踊った。

光がひとつの大きな輪になった。すこし晴美さんを探ってみると、
ヴェールの向こうで、目がらんらんとし、ぐふふと笑っていた。
いいですか、おにいちゃん、おどりましょう、おもいっきりやりましょう、
って言ってるのがわかった。

僕は、ますます気ままに踊った。
前回とは違った。開始直後に発作が起こったあの時とは。

四方を囲んだ下手側の客席から拍手が聞こえた。叫び声も聞こえる。どうやら晴美さんのお母さんのようだった。
「わたしは、じぶんのこだけがかわいいんです。」「よかったよ。」「サクマさん、ありがとう。」「こんなこをわたしはうんだんですか。しんじられない。」「ぶちこわして、ごめんなさいね。」

間欠泉のように、感情の泉が高まるたびに、お母さんは何度も登場した。

「ありがとうございます、はるみさんのおかあさんですね、まだなんです、ここからなんです、まだまだおどるんですよ、だいじょうぶです、ありがとうおかあさん。」

と、僕も叫んでいた。
晴美さんを車椅子から下ろした。どんどん踊り出した。イチ、ニ、サン、シ、ゴッ、ロック、歌いながらダンスした。ぐるぐる、ひょこひょこ踊りながら、
わたしいいでしょ、みんなみてる、いけてるでしょ、すごいでしょ、
ダンスの渦。

僕が飛び跳ねると、晴美さんも魂ごとジャンプして終わった。崩れ落ちた晴美さんをお姫さまだっこして、くるりくるりと回った。
「それを待ってたんや!」「ウォー」
ことばにならない叫びが聞こえてきた。拍手の中での退場。

なにかがうまれたようだった。いつも毎日毎日何年も「うまれた」を叫び続けたのに、舞台では叫ばなかった。ほんとにうまれるときは、うまれたとは言わないんだろう。この日まで、想像妊娠のような状態になっていた。ほんきで狂気で、踊り狂うひと。僕は、晴美さんにあこがれ続けているのだろう。彼女と一緒に、自分の力を総動員して闘えるダンス事故。ダンスの力、ダンスの可能性。ひとの力、ひとの可能性。

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