10月14日
飛田会館で「汚れた世界」のダンス朗読。きむきがんさんと鳥井新平さんと知り合う。
11月12日
台本が完成ときがんさんからメール。40分くらいと。
11月14日
畑佐実さん作のチラシが完成ときがんさんからメール。快心の作と。
11月21日
きがんさんが我が家へやって来る。我が家からスペース天まで散策しながら、芝居の構想を聞いたり、すこし楽器をならしてみたり。この日は、とてもいい空気、透明感のある空気が流れた。いい出会いがある時に流れるいい空気、いい空気の時にあるいい出会い。きがんさんのミニパジェロの前輪がパンク。
12月13日
きがんさんと新平さんが我が家へ。楽器小道具大道具も運び込んで、いきなり通し練習。ふたりの様子を見ながら、自分の身の振り方、置き方をやりながら考える。作品は1時間くらいになっている。
12月19日
近江八幡にある近江金田教会へ。新平さんによると、フォークのカミサマ岡林信康がうまれ育ったところとか。山谷ブルースならぬ、釜ヶ崎ブルースか。ヴォーリズ設計の教会はかわいい外観、練習をした2階の礼拝所もいい感じ。こういうところで練習すると、気持ちがいい。夜までみっちり。だいぶ作品がからだに入って来た。段取りがある部分と即興の部分とがある。自由であるために、覚えるべきところは覚える。作品は、どうやら1時間20分くらいになりそう。
12月22日
元々八日市だった東近江市の太子ホールへ。家を出ようと思ったらパンク、途中の名神でカーナビがフリーズ、ヨウカイチ妖怪の仕業か。商店街所有のホールで、陳列ケースが客席の両サイドにある。まずは、ホールの使い方、客席の配置や舞台の位置、小道具大道具の位置を考える。床はフローリングだが、光っているのが気になる。きっと前回の教会の礼拝所の雰囲気が良かったから気になるんだろうなあ。床に新聞紙で細工をする。踊りにもいい効果が生まれた。陳列棚も、人間の陳列のシーンである博覧会の人類館のシーンや海の中のシーンに使うことにすると、しっくりし、効果も生まれた。この場所でやることへのしっくり感が出て来た。芝居の進行はすこしずつからだに入ってくるが、1時間以上あるので、忘れるところも。僕は、そもそも覚えがそんなによくはないのだ。この日も、タイヤの空気が抜けた。寂れているけれど、5人の元気な従業員がいるスタンドの店長にタイヤを見てもらう。
12月23日
クリスマスイブイブ、天皇誕生日に、なんの因果か在日韓国朝鮮人による釜ヶ崎を舞台にした芝居をすることに。ブナとイウィンさんも一緒に、太子ホールへ。名神も栗東を越えると、滋賀の懐へ入る感じ、琵琶湖と山との間に平野が広がっている。湖北の山は白く光っている。近江鉄道が走り、昔ながらの商店街がなんとか生きながらえている町の風情がいい。ホールには、朝鮮料理とコーヒーの香りが広がった。客席は、赤ちゃんから老人までの幅広い年齢層でいっぱいになった。
音が流れ出る。波の上の靄になって忍び出る。世界が汚れはじめる。ピントが合いはじめると、靄が晴れ、重力が生まれ、地上に、段ボールの上に、その奥底に、巻き戻される。ホームレスの死、薄っぺらになった新聞死が陳列棚のガラスに貼付けられる。
昔、釜ヶ崎は海だった。
流れるようなオープニングだった。
きがんさんの背中、横顔、息、熱、を感じながら。からだに入れた段取りを、滑降のスキーヤーがなんとかくぐり抜けようとする関門のフラッグのようにパスしながら、からだの熱に従っていく。
ダンスと芝居の境界というものがあったような気がする。
感じる世界と記号の世界、の間を行き来する。
壁を壊してく、曖昧にしていく、もっと広い深い海に出るために。
この芝居、民衆劇かまがさき「あんこかて人間や!~おっちゃんたちの人間宣言~」は、まだまだ上演機会がありそうです。とりあえず、次回は1月に西成でやることが決まっています。いきなり、芝居の舞台になった土地での公演です。西成の妖怪が出てくるかもしれません。
公演前に楽屋で、きむきがん+佐久間新+鳥井新平でトークしている映像があります。
飛田会館で「汚れた世界」のダンス朗読。きむきがんさんと鳥井新平さんと知り合う。
11月12日
台本が完成ときがんさんからメール。40分くらいと。
11月14日
畑佐実さん作のチラシが完成ときがんさんからメール。快心の作と。
11月21日
きがんさんが我が家へやって来る。我が家からスペース天まで散策しながら、芝居の構想を聞いたり、すこし楽器をならしてみたり。この日は、とてもいい空気、透明感のある空気が流れた。いい出会いがある時に流れるいい空気、いい空気の時にあるいい出会い。きがんさんのミニパジェロの前輪がパンク。
12月13日
きがんさんと新平さんが我が家へ。楽器小道具大道具も運び込んで、いきなり通し練習。ふたりの様子を見ながら、自分の身の振り方、置き方をやりながら考える。作品は1時間くらいになっている。
12月19日
近江八幡にある近江金田教会へ。新平さんによると、フォークのカミサマ岡林信康がうまれ育ったところとか。山谷ブルースならぬ、釜ヶ崎ブルースか。ヴォーリズ設計の教会はかわいい外観、練習をした2階の礼拝所もいい感じ。こういうところで練習すると、気持ちがいい。夜までみっちり。だいぶ作品がからだに入って来た。段取りがある部分と即興の部分とがある。自由であるために、覚えるべきところは覚える。作品は、どうやら1時間20分くらいになりそう。
12月22日
元々八日市だった東近江市の太子ホールへ。家を出ようと思ったらパンク、途中の名神でカーナビがフリーズ、ヨウカイチ妖怪の仕業か。商店街所有のホールで、陳列ケースが客席の両サイドにある。まずは、ホールの使い方、客席の配置や舞台の位置、小道具大道具の位置を考える。床はフローリングだが、光っているのが気になる。きっと前回の教会の礼拝所の雰囲気が良かったから気になるんだろうなあ。床に新聞紙で細工をする。踊りにもいい効果が生まれた。陳列棚も、人間の陳列のシーンである博覧会の人類館のシーンや海の中のシーンに使うことにすると、しっくりし、効果も生まれた。この場所でやることへのしっくり感が出て来た。芝居の進行はすこしずつからだに入ってくるが、1時間以上あるので、忘れるところも。僕は、そもそも覚えがそんなによくはないのだ。この日も、タイヤの空気が抜けた。寂れているけれど、5人の元気な従業員がいるスタンドの店長にタイヤを見てもらう。
12月23日
クリスマスイブイブ、天皇誕生日に、なんの因果か在日韓国朝鮮人による釜ヶ崎を舞台にした芝居をすることに。ブナとイウィンさんも一緒に、太子ホールへ。名神も栗東を越えると、滋賀の懐へ入る感じ、琵琶湖と山との間に平野が広がっている。湖北の山は白く光っている。近江鉄道が走り、昔ながらの商店街がなんとか生きながらえている町の風情がいい。ホールには、朝鮮料理とコーヒーの香りが広がった。客席は、赤ちゃんから老人までの幅広い年齢層でいっぱいになった。
音が流れ出る。波の上の靄になって忍び出る。世界が汚れはじめる。ピントが合いはじめると、靄が晴れ、重力が生まれ、地上に、段ボールの上に、その奥底に、巻き戻される。ホームレスの死、薄っぺらになった新聞死が陳列棚のガラスに貼付けられる。
昔、釜ヶ崎は海だった。
流れるようなオープニングだった。
きがんさんの背中、横顔、息、熱、を感じながら。からだに入れた段取りを、滑降のスキーヤーがなんとかくぐり抜けようとする関門のフラッグのようにパスしながら、からだの熱に従っていく。
ダンスと芝居の境界というものがあったような気がする。
感じる世界と記号の世界、の間を行き来する。
壁を壊してく、曖昧にしていく、もっと広い深い海に出るために。
この芝居、民衆劇かまがさき「あんこかて人間や!~おっちゃんたちの人間宣言~」は、まだまだ上演機会がありそうです。とりあえず、次回は1月に西成でやることが決まっています。いきなり、芝居の舞台になった土地での公演です。西成の妖怪が出てくるかもしれません。
公演前に楽屋で、きむきがん+佐久間新+鳥井新平でトークしている映像があります。
(佐久間新)
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