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Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
さらに詩 民衆劇かまがさきに向けて
10月の「こころのたね」の時に、詩を朗読した後に走りよってきて早口で、
「サクマさんは、有名なんですか?忙しいんですか?ギャラは高いんですか?」
とまくしたてた、きむきがんさんが主催する劇団石(トル)の公演に出ることになった。

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クリスマス022


きがんさんのブログ
http://blog.livedoor.jp/kigang/

とてもすてきなチラシ。これは、以前から縁のあった畑佐よしみさんのパートナーの実さんが作ってくれた。よんちゃんこと、よしみさんも2部のバンドで出演する。

きがんさんと出会ったときに一緒にいたのがとりいしん平さん。しん平さんもバンドの仲間だ。バンド仲間には、絵本作家の市居みかさんもいる。なんだみんなつながっているんじゃないですか!

「こころのたね」で作った「汚れた世界」を読んで、詩のコラボをしてくれたのが、三上真知さん。そして、それを読んで、さらに詩を読んだのが、しん平さん。そういえば、真知さんの詩のタイトルは「エンドレス」だった。


しん平さんの詩

・・・ ・・・
さらに詩

しはしばいにつながり
しばいにおどりはつきもので
けいさつやきどうたいが
かんししてきた かまがさきに
しじんや ぶとうかが
まちのこきゅうに みみをすます

たたずまい いでたち とわずがたり
かりずまい あおだだみ ワンカップ

毛布かけられ
ムシロかけられ
灯油かけられ

あきらめる?
あるいてみる?
アルミ缶

地下鉄も
通天閣も
太陽の塔も
原発も
新幹線も
高速も

ダンボール集めるリヤカーの
タイヤよろしくまわるおもいで

おもいでひろいながら
呪文のように つぶやいてみる
アンコかて人間や………

・・・ ・・・

つながる 詩

きょうみしんしんで、かけつけた
飛田会館
詩人やラッパーとともに
ステージにあがった舞踏家は
最初は舞踏家には見えず
しんそこ おどろいた

じょうはんしん裸の
障がいをもった釜ヶ崎の住人だと思ってた
住人は十人十色
それが釜ヶ崎
圧巻の詩とパフォーマンスに釘づけになり
気がつけば
となりにすわっていたキガンちゃんが
しんさんのところに はしっていってた

しんしんと釜ヶ崎の町にも
雪はふりつもり
洗い髪もしんまでひえて
えんぴつのしんをなめながら
あたらしい しを かきとめておこう

・・・ ・・・

公演に向けて、月曜日にきがんさんが我が家へやってきます。さてさて、どんな公演なりますか、楽しみです。
(佐久間新)
 
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「千恵さんになってみる」ピクニック
大阪ピクニックというプロジェクトをやっている。平野町の船場アートカフェに隠れ家がある。

自分のまわりの環境、自然や街や人や音や光やにおいや湿気や風など、いろんな刺激を五官で感じて動きが生まれ出す、ということがダンスにはある。気持ちのいい場所にいって、風や光を感じて、気のあった友人や動物や自然とダンスできたら、どんなに気持ちがいいだろう。

ジャワ舞踊のベースにも、自分のからだの軸を感じて、その延長線上を意識し、建物や街や天体と一体化していくという感覚がある。その一方で、ジャワやバリの人たちにとって、ダンスや音楽は、生活となだらかにつながっている。

からだを、五感を、目一杯研ぎすませて、自然や街を味わいたい、一体化したい、という思いから「大阪ピクニック」は出発している。これまでのピクニックの中で、坂道を転がったり、マンホールの下を味わったり、塀に絡まるツタを愛でたり、とからだで街を味わってきた。

しかし、原子力発電所が壊れてしまった現在、そうやって、からだで街を味わって、ダンスが生まれてくるのを待つということが、自らのからだを危険にさらす行為になってしまっている。放射能が際限なく広がる世界で、どうやってダンスを続けていったらいいのだろうか。

今回のピクニックでは、すこし前の日記に書いた乾千恵さんのことをヒントにして、いくつかのポイントで「千恵さんになってみる」を試みた。
http://margasari01.blog63.fc2.com/blog-entry-457.html

サングラスをして、耳栓をして、それからビニール合羽や手袋に身を包んで、感覚にそっとふたをして、街を感じてみる。「見えない/見えにくいもの」「聞こえない/聞こえにくいもの」「触れられない/触れにくいもの」の存在を感じながら、いつものピクニックとは違った感覚を探ってみる。

11月5日
すべてをつなく水を感じようと、大阪の浄水場がある柴島からスタートした。
阪急柴島駅のすぐ近くの高架下で、おそるおそる試しに「千恵さんになってみる1」をスタート。電車が通ると頭上のコンクリート天井が揺れ、低周波がからだに響いた。誰も入ることの無い高架下の地面には、無数の鳩の足跡がゆっくりと風化しながら見事な模様を作っていた。
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淀川の堤防へ上がると、太い滔々とした流れがあった。鉄とコンクリートから出来た無数の橋が架かっている。しばらく歩くと、堤防の内側に茂った指が切れる葉っぱと葉っぱに着いた雨粒を味わってみたくなり、草に分け入った。
ひとたび濡れてしまえば、大胆な気持ちになる。寝転ぶと別の景色が見える、別の気分になる。放射能まみれかもしれない危険な遊び=ダンス?
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Osaka Picnic 4: Is Dancing Savage after FUKUSHIMA?
http://www.youtube.com/watch?v=sv1H5Rnfukw


横に伸びる木に登って、一体化。
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すこし行くと、レンガ造りの建物があらわれた。看板があり、「もし魚が大量に死んで浮かんでいれば連絡するように」と書いてある。ああ、ここは取水口なんだ。大阪の人間が飲む水は、ここから取られているんだ。川縁まで降りてみた。ゴミが散乱し、ブイが浮かんでいる。手ですくって飲んでみた。いや、飲んでみるふりをした。顔だけ洗ってみるのが精一杯だった。
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Osaka Picnic 4: The River
http://www.youtube.com/watch?v=3sf1SvO6VJw


河原のアスファルトの上で、「千恵ちゃんになってみる2」。かなり雨に濡れたせいか、気持ちは安らかになり、からだもリラックスしている、不思議だけど。サングラスとイヤーマスクをし、手袋をはめる。目もつぶる。見えない、聞こえない。手探りで前に進む。普段即興ダンスをしている時のような、感覚が生まれない。もどかしい、ただもどかしい。あきらめて、上を仰ぎ見る。雨粒が顔に当たる。少し、感覚が変わって、手探りをやめてみる。それでも、やっぱり宙ぶらりん。どこにいるのか、どっちを向いているのか、ほとんどわからない。思いもよらないところで、雑草に触れる、雑草を踏む。それが、さらに感覚を混乱させる。不意に、背中が押された。人の手の感触。感触に感謝、感触に委ねる。そこからすこし、感覚が流れはじめ、ダンスが生まれている。

もう一度ひとりになり、ゆっくりとふたたび感覚を研ぎすませてみた。一枚隔てたその向こうを感じてみる。ゆっくりと回ってみる。うっすらとした明かり、からだに響く音、顔に触れる風、におい、緩やかな傾斜に、感覚をそばだてる。さっき見た、鉄橋の上の鳥の群れはどちらだろうかと、探りながら回る。ああ、ここだ、と思って、ゆっくりとまぶたの線を切り取って、はがしてみる。光が入り込むと、見る前に見えていた光景が、ゆっくりとあらわれた。イヤーマスクをゆっくりと耳から離していくと、鳴り響いていたらしいサイレンが鮮やかに響きはじめた。
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Osaka Picnic 4: No sound No sight No skin after FUKUSHIMA 02
http://www.youtube.com/watch?v=KpCA2ZrvAbE


この映像は、地味で長い(約20分)ので、見るのが大変だと思います。でも、なかなか味わい深いので、時間のあるときにゆっくり見ていただければ、うれしいです。途中で、なにをやっているんだろうって、鷹が不審に思っているのか、鳴き声もたくさん入っています。
参加者:田中みょん、田中晶平、檜垣平太、高岡伸一、寺岡文、ほんまなおき、佐久間新
映像:ほんまなおき
写真:Aya Teraoka

さて、これからどうやって、その後の世界で、生きていくのか、ダンスしていくのか。まだまだ暗澹とした絶望の中にいます。それでも、鉛のような雲の向こうにわずかな光が見えているかもしれないと、思えはじめました。これからの第一歩目のピクニック。
(佐久間新)
詩が詩を生んだ
何年前だったか、ジョグジャの我が家でこの方に会った。たまたま帰りの飛行機の便が一緒だったので、ガルーダの機内で舞踊のことなどを明け方近くまで話した。帰国して、しばらくして、その時のことを詩に書いたとメールが送られてきた。真知さんは詩を書く人だった。

奇妙な縁がつながっていて、ジョグジャとも、マルガサリとも、僕の出身高校とも、釜ヶ崎とも、つながっていた。その真知さんが、僕の「汚れた世界」を読んだといってメールを送ってくれた。詩が詩を生んだのだった。

まずは、送られてきたメール。

・・・ ・・・

詩を拝見して、私も佐久間さんとコラボレーションをしてみたくなり添付のようになりました。


私は16歳で飛田へ父に連れて行かれ、
それからは釜ヶ崎が気になりはじめ足を運ぶようになりました。

高校1年生の秋頃から拒食症・登校拒否に陥りましたが、
半世紀近く前の当時は「拒食症・登校拒否」という言葉もなく、
たんなる我が儘だと周囲は片付け症状は悪化しする一方でした。
(幼い頃から家庭がかなり複雑な環境でしたので・・)

そんな私をみて父が思いついたのが飛田でした。

冬だというのにどの家の引き戸も開けっ放しで、
玄関の板敷きに毛布を膝にかけた2,3人の女の子が正座していました。
彼女たちは当時の私と同い年くらいで、青白く痩せている姿も似ていました。
父は私に、
「こんなにまでして生きていかなあかん子らがいてるんや」と、言ったきり黙っていました。

私はなぜか、通りを行き交う男達に奇妙な存在感があるのを不思議に思いました。

それから70年安保闘争などで「釜ヶ崎」という愛隣地区をしるようになりました。

今は外部から多くの人が出入りしてNPOやボランティアグループも様々な活動していますが、
当時は孤島同然の地区で西成署員も手配師も遣りたい放題をニコヨン達にしていました。
酷い話をやまほど聞かされ、当時の愛隣地区では行路死亡者年間300人以上も出ていました。

マザーテレサが訪れた頃から徐々に変わりはじめましたが、
花博以降はドヤがホテルに変わってしまいアオカンが一気に増えてしまいました。

私は大きな手術をしてからもう10年ほど訪れていませんが、
佐久間さんの詩を拝見して懐かしくなりコラボレーションしてみました。
佐久間さんの詩から岡山さんとの関わりを外したので、
本当に不本意な思いでおいででしょうがご容赦くださいませ。

・・・ ・・・

で、ここからが詩です。一字落とした部分が真知さんの詩の部分です。

・・・ ・・・



エンドレス  佐久間新さんへ  三上 真知



靴の中の僕の足の指は、ジャワ舞踊を踊る時のように反り

かえっている。手の指は、重ねた手の甲のでっぱりをなぜ



タバコ屋のおばさんに、

 ドヤのおばはんを

自転車のおっちゃんに、

 一膳めし屋のおやっさんを

ホルモン焼き屋のにいちゃんに、

 屋台のあんちゃんを

ペンギンやお猿の看板に、

 三角公園の野良犬を

軽く手をあげたり、

 ゆうべのゲロを避けながら

鋭く体をひるがえしたりしながら、

 横目でやりすごそうとしても

話しかけ、触れていく。

 他所者の視野を鷲づかみにしてしまう



汚れた街、

 生ゴミと汚物の臭がしみついた地区

汚れた空、

 しかし……空は群青

汚れた服、

 小便臭い襤褸

汚れた体、

 べとついた髪どす黒い爪

汚れた心、

 いじけた蜆目

に生きながら、

 死ねもせず

息をし、歩き、しゃべり、

 咳き込み足を引きずり呂律は回らず

働き、食べて、飲んで、

 手配師、あぶれ、残飯、呑んだくれ

暮らしている。

 その日が暮れる



汚れることで、

 腸まで垢じみれば

交われることが、

 気配がコトッとはずれ

触れられることが、

 かえり見られる一瞬が

あるのだろう。

 ある。



釜ヶ崎の人たちに、

 釜のアオカンたちに *

僕のからだは反応する。

一緒に踊りたいと。

 わたしの魂が鎮められる



土から立ち上る朝靄や

白い葉の裏を見せて風に踊る木と、

水平線を見渡せる切り立った崖の上や

こぼれ落ちそうな満天の星の下で、

息を吸い込んだ空気が

からだとこころに染み渡っていくのを味わって、

目に見えない風やにおいの流れに波長を合わせることから

ダンスを始めてきた僕のからだは、

 芋名月の十三夜

 萩芒桔梗撫子女郎花葛藤袴

 夜ながを鳴きとおす虫の音も

 かおる金木犀もうすれ 

 花水木が街路を錦に染めかえた

 水子を連れた若いわたしは

 地面に落ちた南京櫨の白い実を

 グシャッグシャッと踏み潰して歩いていた



右足の足首に少し力を入れて、

膝があまり曲がらないようにしながら、

靴底を地面から引き上げる。

やや前屈みの重心を利用して、

振り子のように放り出された足が着地する。

腰骨と肩の右側に一瞬あらわれたバランスを、

左足が追いかける。

 ココデ何ガ起キテ

 ココデ何ガ葬ラレテ

 苦シミガ生マレテルカ

 外ニハ何モ知ラサレイマセン

 何デモイイカラ

 誰デモイイカラ

 伝エテクダサイ

 水子のために

 祈りを乞いに訪れたわたしに

 シュヌーデンベルク神父は諭された



キャップの下で結ばれた口元は、

沸き上がる言葉を道端へこぼしている。

 愛隣地区の周りには

 奇妙なことに宝飾店がいくつもあった

 「それだけ釜はええ儲けになるとこなんや

 日雇いをクイモンにしたらなんばでも稼げるんや」

 飯場の金をくすねた

 前歴不詳の男が吹聴していた



 懐に抱いた西洋人形の金髪カールを

 指に絡めながら

 壊れた機械のように喋る肺病み男が

 最期は『マッチ売りの少女』のように

 お母さんと逝きたいと繰り返した



 邯鄲の夢一炊の夢黄粱の夢邯鄲夢の枕邯鄲の歩



(注)

    佐久間新=ジャワ舞踏家・王宮の嘱託舞踊家活動・現在は

ガムラングループ「マルガサリ」に所属し公演活動  

アオカン(青邯)=野宿(中国の『枕中記』より)

・・・ ・・・

さらに詩が生まれた人があれば、どうぞ。

と書いていたら、きむきがんさんからメールが来た。

どうやら台本が出来たらしい。詩は、芝居へもつながった。

(佐久間新)
 


ダンス詩 汚れた世界
上田假奈代さんから電話があって、詩を作るように言われたのは、春頃だったか。気楽に引き受けてしまったが、一緒に谷川俊太郎も出るとのこと、後になってことの大変さを感じはじめた。「こころのたねとして」というココルームがやっているプロジェクトで、釜ヶ崎に暮らす人にインタビューして、そこから詩を作るという。僕は、岡山さんという方のペアになった。

イベントの概要は
http://arts-npo.org/anf2011_osaka.html

ココルームのもう一人のウエダさん、こっちも和服美人の植田裕子さんも含めて、岡山さんと釜ヶ崎を散歩した。散歩の達人だった。インタビューして、詩を作るはずだったんだけど、僕の場合は、からだを動かしながらの方がいいと思い、岡山さんに寄り添って、からだをなぞりながら、ゆっくりと釜ヶ崎や飛田や阿倍野や新世界を歩いた。

詩はなかなか出来なかった。締め切りの催促を受けた後、徹夜でなんとかひねり出した。苦し紛れのツーアウト満塁フルカウントのど真ん中直球か?どうも、変化球が投げられない。そろそろかわすピッチングを覚えないと行けない年齢だろうに。まあ、これからの課題。

当日は雨だった。飛田会館に着くと、雨の日の中学校のようなくすぶった高まりが建物に満ちていた。控え室にいた詩を朗読する岩淵拓郎さんもSHINGO☆西成さんもすこし落ち着かない様子だった。ふたりとも、アートやロックの世界で、独特の覚めた視線の持ち主なのに。谷川さんは、後に鼎談をする平田オリザさんや栗原涁さんと別室にいるようだった。

時間が来て講堂へ上がると、満員の熱気だった。谷川さんもいる。小柄だけど、老かいなレスラーのようないい体をしていた。すぐ隣のパイプイスに座っている。押しつぶされそうだったので、雨に当たることにした。ジャワのサロン(腰巻き)だけになってすこし頭とからだを冷やした。岡山さんがやって来たので、ふたりで客席から歩いていこうと誘った。後は成り行き次第。

舞台上では、なぜか落ち着いてできた。岡山さんとダンスしながらの朗読。次に詩を読む谷川さんがいいコメントを付けてくれた。休憩時間に、客席から女性が迫ってきた。いきなり、「サクマさんは、有名なんですか?忙しいんですか?ギャラは高いんですか?」と早口でまくしたててきた。劇団石(トル)を主催するきむきがんさんだった。自分でも釜ヶ崎のおっちゃんたちと芝居を作っていて、すごく刺激になったということだった。せっかくなので、劇団へWSに行こうということになった。その後のメールののやりとりで、彼女の芝居にも出ることになった。

きむきがんさんのブログにもその時のことが書かれている。
http://blog.livedoor.jp/kigang/archives/3093421.html

さて、詩をここへ載せるかどうか迷ったけど、載せることにしました。





汚れた世界                          佐久間新


右足の足首に少し力を入れて、
膝があまり曲がらないようにしながら、
靴底を地面から引き上げる。

やや前屈みの重心を利用して、
振り子のように放り出された足が着地する。

腰骨と肩の右側に一瞬あらわれたバランスを、
左足が追いかける。

(岡山さんとダンサーの足音)

重ねあわされた手はへその前に置かれ、
人の流れにブレーキをかけている。

キャップの下で結ばれた口元は、
沸き上がる言葉を道端へこぼしている。

靴の中の僕の足の指は、ジャワ舞踊を踊る時のように反りかえっている。手の指は、重ねた手の甲のでっぱりをなぜている。岡山さんのピンクのクロックスもどきの中の足と手の指は、リウマチで変形している。雨の日は滑ってしまうという。

(岡山さんとダンサーの足音)


右足を内側へ深く切り込ませて全身を反転させるや、
「この公衆電話は、なんで傾いとるか知っとるか?」
って。眉の端がつり上がり、目が見開かれている。
「ここの王将は日本橋から移ってきて、まだ新しくて、食べるのは2階。」
とか、
「もう120円入れると、コーヒーの他に何が出てくるでしょうか?」
とか、
「米は買わないの。野菜を買ってポイント貯めるとね、もらえるバッテン!」
とかとか。

岡山さんが買ってくれたチョコクランチバーを、植え込みのタイルに座って、裕子さんも一緒に3人で食べた。黄緑のプラスチックケースに入った淡い緑のタバコに火が灯る。
「ケースがいいですね。」と、僕。
「・・・ ・・・。」
「聞いてないですよ。」と、裕子さん。
しばらくあって、
「聞いてるよ。」と、岡山さん。口元が心無しか緩んでいる。

(岡山さんとダンサーの足音)

タバコ屋のおばさんに、
自転車のおっちゃんに、
ホルモン焼き屋のにいちゃんに、
道端に腰掛けてる薄着のおばちゃんに、
破れ放題のアーケードの屋根や音の出る公衆便所に、
ペンギンやお猿の看板に、

軽く手をあげたり、
鋭く体をひるがえしたりしながら、
話しかけ、触れていく。

汚れた街、
汚れた空、
汚れた服、
汚れた体、
汚れた心、
に生きながら、

息をし、歩き、しゃべり、
働き、食べて、飲んで、
暮らしている。

汚れることで、
交われることが、触れられることが、
あるのだろう。


きっと、この世界には、
目を閉じ、耳を塞ぐことで、
見えたり、聞こえたりするものが、

狂い、衝動に身を任せることで、
あらわれたり、到達したりできる世界が、
あるのだろう。

釜ヶ崎の人たちに、
サングラスと耳栓をする車いすの彼女に、
よだれを垂らし目を爛々とさせて踊る彼女に、
僕のからだは反応する。一緒に踊りたいと。


土から立ち上る朝靄や
白い葉の裏を見せて風に踊る木と、
水平線を見渡せる切り立った崖の上や
こぼれ落ちそうな満天の星の下で、

息を吸い込んだ空気が
からだとこころに染み渡っていくのを味わって、
目に見えない風やにおいの流れに波長を合わせることから
ダンスを始めてきた僕のからだは、
今、放射能が際限なくどこまでも広がり続ける世界で、
行き先を見失って困っている。

世界の果てまで行けば、逃げられるのか。
あるいは、ここで息をひそめて、生き延びられるのか。
こういった世界を生みだしたものの正体は何なのか。
自分もその一員であるとしたら、一体何をすべきなのか。

(岡山さんとダンサーの足音)

あきらめる?
忘れる?
慣れる?

(            )
ムーンウォーク・月面遊泳
大阪大学コミュニケーションデザインセンターの主催で「からだトーク」のシリーズをやっています。これまでに、湯気、水、煙、風、花、鏡などをテーマにやってきました。毎回、ほんまなおきさんが映像を撮っています。たくさんの面白い映像がたまりはじめています。映像を撮ることによる発見や、その発見からうまれる動きがあります。

10月は、月・ムーンウォークをテーマにしました。前半は、室内でいろいろ歩き、後半に、野外へ出て行きました。
キャンパスにある池の端のデッキで、WSの間だけ出ていた月に手をかざしました。ほんのりと暖かさを感じました。その暖かみをたずさえて、池のまわりをぐるりと巡る即興散歩に出かけました。

いつもそうですが、何も決めないし、何も説明しません。何かが起こるかもしれないし、何も起こらないかもしれません。
この日は、月の力で少し不思議な散歩になりました。でも参加者の方は、どんどん歩いていってしまっていたので、あまり気づいていなかったかもしれません。

ひとつ目は、池の横の森にいた夜の鳥との会話からはじまります。(映像:ほんまなおき)


二つ目は、柵音楽から木とのダンス。お月さんがずっと着いてきています。(映像:ほんまなおき)


たわいもない散歩なんですが、なにかが生まれる瞬間です。
(佐久間新)
 
ウロコ通信110書きました。
ジャカルタ芸術大学の一行に引き続き、ジョグジャカルタ王宮舞踊団がやって来て、帰って行きました。世界は狭くなっているようです。放射性物質まじりの空気や水に国境はありません。この狭い世界を巡りはじめていることでしょう。あきらめず、忘れず、この状況に慣れること無く、声を上げ続けていきたいです。

さて、公演・ワークショップのご案内です。今回は、なぜかワークショップが多いです。

目次
・「合わせる」 11月8日 大阪大学 吹田キャンパス
・大阪ピクニック「その後の世界で」第3日 11月11日 大阪 船場アートカフェ
・「からだで感じるコミュニケーション」 11月19日 徳島 生涯福祉センター
・「からだで感じるコミュニケーション」 11月25日 広島 廿日市商工保健会館
・「文化的多様性と国際理解教育」第2回公開講演会 11月26日 東京 早稲田大学文学部(戸山キャンパス)
・映像紹介「ケアラーズジャパン internet tv インタビュー」

ーコンテンツー

1件目
身体ワークショップ「合わせる」
前週にやったからだを使ったワークショップを、からだと言葉で振り返ります。大阪大学の保健学科の学生さんが中心ですが、どなたでも参加できます。
http://wwwcscd.osaka-u.ac.jp/ver2/2011/000309.php

日時:11月8日(火) 16時20分~17時50分
場所:大阪大学保健学科学舎2階第8講義室
http://sahswww.med.osaka-u.ac.jp/www/access/index.html

2件目
大阪ピクニック04「その後の世界で」第3日
日時:11月11日(金)午後6時30分~午後9時30分
場所:船場アートカフェ(注:移転しました。)
ナビゲーター:佐久間新(舞踊家)
ゲスト:田中みょん(ダンサー)
大阪ピクニック:岡部太郎、御中虫、高岡伸一
主催:船場アートカフェ(大阪市立大学都市研究プラザ)
料金:参加無料(当日先着順受付)
お問い合わせ:船場アートカフェ tel/fax 06-4308-4900
e-mail art-cafe@ur-plaza.osaka-cu.ac.jp(船場アートカフェ事務局:高岡宛)
参加される方は、当日までに佐久間宛にメールをいただいても結構です。

<内容予定>
第3日 感じるからうまれる新しいからだ、新しい街(場所:船場アートカフェ)
最終日は第2日の映像や写真を鑑賞しながら、そこにどんなからだの感覚や街がうまれているか?「その後の世界」と、これからどうやって関わっていくのか。生き延びていくためにどんなダンスを踊るかを、みんなでディスカッションしたいと思います。

3件目
ケアする人のケアセミナーin徳島の中でワークショップをします。どなたでも参加できます。 
http://popo.or.jp/info/2011/11/post-66.html

日時:11月19日(土)10時20分~15時30分
場所:徳島市生涯福祉センター「ふれあい健康館」
主催:財団法人住友生命社会福祉事業団 財団法人たんぽぽの家
参加無料・要申し込み
申し込み・問い合わせ:美馬市社会福祉協議会(担当:佐和・井口)
           tel 0883-53-6490

4件目
ケアする人のケアセミナーin広島の中でワークショップをします。どなたでも参加できます。
http://popo.or.jp/info/2011/11/in-1.html

日時:11月25日(金) 10時20分~15時30分
場所:廿日市商工保健会館
主催:財団法人住友生命社会福祉事業団 財団法人たんぽぽの家
参加無料・要申し込み
申し込み・問い合わせ:NPO法人ふくし文化塾はつかいち
           tel 0829-34-4833
  
5件目
「文化的多様性と国際理解教育」の第2回公開講演会
かたいタイトルですが、実際にからだを動かして、からだと言葉でテーマに迫ってみたいと思います。どなたでも参加できます。

日時:11月26日(土) 13時~15時
場所:早稲田大学文学部(戸山キャンパス) 39号館6階第7会議室
参加無料・事前申し込み不要
連絡先:文化的多様性と国際理解教育」研究会世話人 横田和子 
info_bunta2011@yahoo.co.jp

6件目
映像紹介「ケアラーズジャパン internet tv インタビュー」
ケアとダンスについて、ワークショップ、即興ダンス、テキトーダンスのことをじっくり1時間しゃべっています。インタビュアーは井尻貴子さん。
http://www.ustream.tv/recorded/18009597

またまた、長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。
秋ですが、生暖かい日が続きますね。今日は、放射性物質まじりの雨を除けつつ、ピクニックへ出かけます。みなさまも、お気をつけ下さい。
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