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Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
ウロコ通信 108書きました
夜更けに目を覚ますと、青い光の中に音のヴェールが降り注いできました。遠くの方から、そして不意に近くからも。しばらくすると夜の蝉だということが分かりました。翌日、もう一度聞いてみようと早朝に起きると、国道のオレンジ色の街灯が滲む靄の向こうから、響きがじんわりと近づいてきました。合唱が20分程続くと、いつの間にか靄は晴れ、いつもの夏の朝の風景に戻っていました。ヒグラシは、ヨアカシでもあったようです。

さて、公演・ワークショップや冊子のご案内です。

目次
・ダンスパフォーマンス「うまれる」 8月6日 芦屋 芦屋市立美術博物館 エントランスホール
・ジャワ舞踊ワークショップ 「まずは からだから vol.2」  9月3日 札幌 
・「こども創造音楽祭2011」報告会 9月22日 大阪 天神橋アートセントー
・「作曲家の個展2011ー三輪眞弘」 愛の賛歌 10月2日 東京 サントリーホール
・「言語から身振りへ」冊子の紹介

ーコンテンツー

1件目
アートピクニックー美術を楽しむ と題した展覧会が始まります。奈良の「たんぽぽの家」のメンバーの作品ををはじめとして、全国の障碍ある人の美術作品が集合します。関連イベントとして、「たんぽぽの家」のメンバーでとびっきりの存在感を持つダンサーである奥谷晴美さんとパフォーマンスをします。音楽はジェリー・ゴードンさん、衣装は堀井拓也さんです。真っ白なエントランスホールに衣装が映えると思います。66回目の広島原爆の記念日でもありますね。
http://ashiya-museum.jp/

日時:8月6日 11:30~12:00
会場:芦屋市立美術博物館 エントランスホール
http://ashiya-museum.jp/
入場:無料(ただし、展覧会チケットが必要です。)
   一般300円、大高生200、中学生以下無料
主催:芦屋市立美術博物館
共催:財団法人たんぽぽの家、社会福祉法人三田谷治療教育院

2件目
2月に続いて北海道教育大学岩見沢校で集中講義を行います。今回は雪は無いと思いますが、8月の終わりはもう秋だそうです。せっかくの北海道なので、と教育大で講師をしているタイ舞踊の岩澤孝子さんが、こちらも前回に引き続きワークショップを企画してくれました。今回は、ジャワ舞踊を出発点にしますが、いろいろな表現に広げられることをやりたいと思っています。

まずは からだから vol.2
ジャワ舞踊ワークショップ 
日時:2011年9月3日(土)
1部 ジャワ舞踊のデモンストレーション・レクチャー
2部 ジャワ舞踊ワークショップ
   *動きやすい服装でお越し下さい
場所:未定
参加費:未定
申し込みe-mail:kakako0777@hotmail.com

3件目
7月にインドネシアへ行って「こども創造音楽祭2011」に参加してきました。このプログラムは、2006年の中部ジャワ震災のときにできたガムランエイドの活動が出発点になっています。新しい音楽を目指す音楽祭の報告、ユニークな教育を行っている小学校のこと、総合的なアートの創造とアジアのアートを核にした教育改革のことなどをお話ししたいと思います。また、そこから今後、ガムランエイドで何がやっていけるのかに関しても、みんなで考えられればと思っています。現地での写真や映像も見たいと思います。
ブログに、音楽祭に関する日記を書いています。
http://margasari01.blog63.fc2.com/blog-entry-439.html

ガムランエイドの報告会
「こども創造音楽祭2011」について

日時:9月22日(木)18:30~21:00
場所:天神橋アートセントー
   アクセス:地下鉄谷町線/堺筋線「天神橋六丁目」出口⑥より北へ徒歩7分
   http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=210327135746162305346.0004a5ab047ced815b8be&msa=0&ie=UTF8&brcurrent=3,0x6000e6c73f7e93c5:0xe98885bd17c8633b,1&ll=34.714384,135.511578&spn=0,0&source=embed
参加費:無料
主催:ガムランエイド

4件目
作曲家三輪眞弘さんの個展コンサートです。オーケストラ2作品とガムラン1作品が上演されます。「愛の賛歌」は、これまでにも大阪、滋賀、横浜などで演奏されてきましたが、毎回バージョンが異なっています。今回は、イウィンさんとふたりでダンスをする予定です。なんとなんとのサントリーホールです。

「作曲家の個展2011ー三輪眞弘」
http://www.suntory.co.jp/news/2011/11116.html

日時:2011年10月2日(日)
   14:20~ プレコンサート・トーク
          聞き手:中ザワヒデキ(美術家)
   15:00 開演
会場:サントリーホール大ホール
曲目:村松ギヤ・エンジンによるボレロ(2003)
   愛の賛歌ーガムランアンサンブルのための(2007)
   「永遠の光・・」"Lux aeterna luceat eis, Machina" オーケストラとCDプレーヤーのための(2011)
     (サントリー芸術財団委嘱作品・世界初演)
出演:指揮 野平一郎
   管弦楽 東京都交響楽団
   ガムランアンサンブル マルガサリ(舞踊 佐久間ウィヤンタリ、佐久間新)
入場料:S 4,000円 A3,000円 B2,000円
主催:公益財団法人サントリー芸術財団
お問い合わせ・電話予約:東京コンサーツ 03-3226-9755
            http://www.tokyo-concerts.co.jp
前売り:サントリーホール・チケットセンター  03-3584-9999
    チケットぴあ             0570-02-9999
ローソンチケット           0570-000-9999
東京文化会館チケットサービス     03-5815-5452
e+(イープラス)           eplus.jp

5件目
以前もご紹介しましたが、もう一度。たんぽぽの家とともに、ケアの現場とダンスの出会いによる可能性を探っています。特別養護老人ホームへも出かけ、ダンスワークショップを行いました。老人との出会いから思わぬいいダンスが生まれています。このプログラムで作成した冊子が完成しました。僕は、対談と座談会に登場しています。また、滋賀県立大学のかえるさんこと細馬宏通さんが、僕とおばあさんのダンスについて書いています。ほんの数秒のやり取りを克明に分析しているんですが、ダンスしている僕自身の感覚を超えている部分もあります。細馬さんとは、いずれ公開対談&パフォーマンスをしたいと思っています。

言語から身振りへ ーからだを読み解く
ケアする人のケアハンドブック

・ワークショップレポート:祥の郷/佐久間新 グレイスヴィルまいづる/砂連尾理
・対談:佐久間新×本間直樹
・座談会:荒井英夫×佐久間新×砂連尾理 聞き手:西川勝
・インタビュー:淡路由紀子/細川鉄平/五島智子
・Q&A ケアの現場でダンスワークショップをしたいと思ったら
・感じる身体、応える身体:細馬宏通
・コラム:竹下秀子/細溝良和/もりながまこと/岩橋由莉/塚原成幸

*ご覧になりたい方はメールに返信を下されば、数に限りはありますが郵送いたします。

またまた、長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。
今年のお盆は、ブナと八ヶ岳の登る予定です。星が楽しみだなあ・・・。
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無意識の出会い
7月10日
8時30分、ISI大学院オーディトリウム集合。リハをすませて、忘れ物を取りに我が家へ戻る。ついでに、プラウィロタマン通りにあるカフェへ。なんとカフェラッテとクロワッサンの朝食。おしゃれなカフェは、無線LANがあるのであちらこちらでラップトップの花。隣のテーブルでは、元日本海軍のおじさんが英字新聞片手にコーヒーを飲んでいる。公美子さんが、ラックからコンパス(インドネシア最大のキリスト教系新聞)を取って来た。

「あれ!佐久間さん載ってるよ。」
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確かに、僕が載っている。前日にやったSLB(特別支援学校)の写真だ。しかし、人相が悪いなあ。次のページを開くと、ジャカルタで日本人が御神輿を担いでる写真。両方が同じ新聞に載っているところがいいんだろうなあ。

オーディトリウムに戻る。小学生たちのコンサートが始まっている。段ボールを床に落として音を作ったり、いろいろ工夫している。でも、ちょっと元気が無いかなあ。今年は、10校が参加している。

僕たちの順番が回って来た。10の小学校は、子どもたちだけでコンサート。僕らは、ジャワの小学生+日本人アーティスト+ジャワ人アーティストチームとしてのゲスト参加。

・ジャティラン・ダンス
・将棋作曲作品
・おとなのフリーインプロ

舞台袖で馬にまたがって待機していると、男の子たちが声をかけてくる。目は真剣だ。やってやろうという気持ちが伝わって来る。紹介とともに、僕は舞台に寝転んだ。やがて、馬にまたがった子どもたちがやってくる。馬と馬がじゃれあうシーンから。いいタイミングで、ビニールのござにまたがったエリナちゃんが客席から滑り込んで入って来た。リハも無しの完全ぶっつけなにの、さすがさすが!延々と繰り返されるリズムに気持ちが高ぶってくる。時折挟まれるブレーク、そしてまたトランスを呼ぶリズム。ジャワにも、スンダにも、バリにも、インドネシアのあちらこちらに見られる芸能のかたち。それを、あそびながらやる。舞台で思いっきりやる。

誠さんの静かなフレーズから始まる。舞台袖から、おんなのこがひとり、自分のペースで歩いて来て、そっとガンバンのところに座り、迷い無く自分で作ったメロディを弾きはじめる。かすかな音が会場を静かにさせていく。ひとりまたひとり、大きい人と小さい人が変わるが変わる登場する。しだいに流れができはじめる。ガムランだけなのに、ジャワでは聞いたことの無いようなガムランのグルーブが生まれはじめる。ふと、オーディトリウムの外を眺めると、キャンパスの掲示板の前に、作曲家のアスモロさんがジーサムスーをくゆらせながら、掲示板のガラスを眺めている。なにを聞き、なにを思うのか?15年前に彼に始めあった時、彼は孤高の現代音楽の作曲家だった。決して演奏されない難解な楽譜を、それ自体がカリグラフィの作品かのように見せてくれた。

舞台最前列に並んだ4人が、ボディパーカッションをはじめた。ボディって、からだでしょ、からだで音楽だったら、僕だって負けてないぞって思って、足を踏み鳴らしながら、出て行った。相変わらずジョハンさんの声が聞こえてくる。「音楽はダンスで、ダンスは音楽だ。」って。客席のこどもが笑っている。誠さんの声が聞こえてくる。「そこにいあわせることを感じる音楽。」生きてるダンス! 音が少なくなってきた。横田さんの声が聞こえてくる。「耳を澄ますことも大事だけど、無意識に聞こえるってことも大切。」考えない、感じるダンス!

アザーンが聞こえてきた。それからもうすこし、演奏は続いた。そして終わった。1時間を越えるパフォーマンスだった。
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終わってすこしハイになっていた。口ひげをたくわえて、含み笑いをしながら目をギラギラさせたランテップが近づいてきた。留学時代からずっと腐れ縁の舞踊家。3年近く共同生活をして、毎晩舞踊のことを語らった。ソンボン(いちびりでええかっこしい)がゆえに、孤独な仮面舞踊の名手。

「Shin, total! kamu. (新、おまえ、トータルや!」

「Ya, total gila, toh.... (ああ、トータル クレージーってことやろ。」

「Nggak, kamu sekarang total. (いや、お前は、今は、トータルだ。」

ジーファンとモーハンのいうふたりのこどもが、母親のジニーのお尻に隠れながらチラチラ見ている。韓国系アメリカ人とジャワ人の間に生まれたふたり。 ランテップのパートナーのジニーは、僕の一年後に留学に来て、それからじっとジャワにいるのだ!!

ジョグジャ名物ナシ・グドゥッ(ナンカの実の甘い煮込みとご飯)の弁当を食べながら、ジョハンさんのオフィスでおしゃべり。東京のワヤングループのメンバーでソロでオリジナルワヤンの公演をしてきた中村伸さんと深樹さん夫婦と友人夫婦、コミュニティアートをやり続けているオン・ハリ・ワフユさん、中学の音楽教師のパルジヤントさん、作曲家のアスモロさんなどなど。去年も食べたなあ、やっぱりグドゥッはおいしいなあ、と思いながら。

マリオボロ通りへ買い物に。今日で、学期の変わり目の休暇は終わりなので、国内観光客はすこしは減ったみたい。商店街の南端にあるミロタ・バティックへ。ジャワの雑貨、バティック、工芸品などのお店。すごい人である。店の規模も、客数も何年か前と比べると、倍以上に。みんな買い物を楽しんでいる。買い物するために、ものを買っているようだ。僕が留学していた頃のジャワ人は、スーパーで買い物をすること、スーパーに入ることにさえ、恥じらいや罪悪感を感じているようだったのに。

一食のご飯の何倍もする缶ジュースなんてほとんど無かったし、何度も使えるビン入りのお茶は特別のときだった。普段は屋台でビニール袋にお茶を注いでもらって、飲んでいた。屋台で買うご飯の包みにこどもの答案用紙が使われていたり、家庭の食器洗いには買い物の黒いビニール袋がスポンジ代わりに使われていた。昔からお金持ちはいたけど、みんな自分の身の丈を知って、欲望が膨らんでしまわないように、気をつけていた。その姿は、慎ましく美しかったけれど、スポイルされているように思えることもあった。しかし、タガは、はずれつつあるようだ。買い物できることがうれしい、消費が楽しい、そのためには稼がなくっちゃ、って。大きな店で買い物をすると、制服を着た女性が胸の前で手を合わせて、「Terima kasih! (ありがとう!)」って、微笑んで言った。ちょっとクラクラした。他の国に来たみたい。商品ケースの向こうで、やるきなそうに座ってて、めんどくさそうに伝票を切ってた女の子たちは・・・。スマイル イズ マネーであることが、実感として感じられのだろうか。ちょっとやる気を見せて働くこと、意外に楽しいことが分かったのか。努力がお金に変わるシステムができたのか。悪いことではないのかもしれないけど、スマイルの向こう側になにがあるのか。

19時30分、誠さんと公美子さんとピアニストの吉森信さんを迎えに空港へ。吉森さんはゲゲゲの鬼太郎の通行人のような顔して、なぜかバティックシャツを着て、登場。そして、恒例のござのアヤム・ゴレン(鳥の唐揚げ)屋さんへ。ワルン(屋台)のおじさんによると、すぐ近くの故スカスマンさん(最近亡くなったジャワでは珍しい創作ワヤンのがんこおじいさん)の家でワヤンが行われていて、日本人のヒカリとマミが出てるよ、とのことだった。そう説明しながら、ワヤンのお裾分けのお菓子をござのお客に配って回っていた。

7月11日
7時30分出発で、マングナン小学校へ。雨森さんが腹痛ということで、横田さんと林朋子さんと。8時すぎに到着すると、小学校の始業式と今年から開く幼稚園の開校式が行われていた。職員室には、大きなナシ・トゥンプン(共食儀礼用の山型に盛ったご飯)が供えられていた。ダルーさんの案内で、1年生から6年生までの教室を見て回った。土の地面が広がる住宅街の家屋を村人から借りて教室にしている。学校と住宅に境界が無い。横田さんがダルーさんにいろいろとインタビュー。

この学校を開いたのは、ロモ・マングン(マングン翁)という建築家で、図書室とビデオ室だけが彼の設計になっている。簡素な素材だけど、こどもが隠れ家にしたいような、早く言えばジブリのアニメに出てきそうなそんな感じ。マングンさんの設計した教会がジョグジャ市内にもあるというので、そちらに回ることに。その前に、ナシ・トゥンプンをおよばれする。とにかく、あっちこっちでご飯が出される。ありがたいなあ。豊かだなあ。

トゥグ塔の北側にある教会へ。事務の女性が案内してくれる。こちらは機能的で、すっきりとしたデザインの建築。1970年代くらいのものかな?数百人は礼拝ができる大きな教会なんだけど、もっと大きな礼拝所が必要だとかで、建て替えの計画があると言う。もったいないなあ。

いよいよ帰国。僕の滞在中、イウィンさんのお母さん、弟のアンバル夫婦と赤ちゃん、姪っ子が家に滞在してくれた。普段は、別の家で暮らしていたりするのに。お父さんも毎日のように、自転車に乗って様子を見にきてくれた。誠さん、公美子さん、横田さん、エリナちゃん、吉森さん、僕と合わせたら11人である。でも、そんなにいっぱいいるようにも感じない。家が日本より広いってこともあるけど、人の距離がいい感じなのかもしれない。近からず、遠からず。このいい感じの距離が取れるようになるまでは、少し時間がかかった。とにかく、これで今回の滞在は終了。アスモロさんとヒカリさんも遊びにきた。みんなバイバイ。

同じ日に東京へ帰る横田さんとは、バリまで一緒。最後の数時間をいろいろおしゃべり。多言語、多文化、無意識のこと、どれも僕にも関係がありそう。無意識のうちに、出会うべくして人や場所とは出会うんですよね、横田さん。あれ!バリの空港のロビーで、見たような顔が。ずいぶんと貫禄が出てきたバリ舞踊家の小谷野哲郎さん。彼とは、同期の奨学生だった。あの頃は、眼鏡をかけた好青年で・・・、まあ、おたがいさまですから・・・。おしまい。
(佐久間新)
怒らないジャワ人が怒るとき
7月8日
今日も、10時にマングナン小学校のみんなが我が家へやって来る。日曜日のコンサートに向けて、ジャティラン・ダンスと将棋作曲を深める。

昼前に、ISIのダルニさんが訪ねて来る。留学してすぐの授業でスンダ舞踊を習った先生。ベンさんたちと一緒に、ISIと横浜ボートシアターの合作「カルノ・タンディン」にも出演した。その時には、見事な即興芝居を見せてくれた。ダンスでも、芝居でも、なんでもできる女の人。

みんなで、ナシ・ブンクス(お弁当)。人数が少しくらい増えたって大丈夫なのはジャワスタイル。

昼からは、横田さんがISI大学院の先生のジョハン・サリムさんにインタビュー。ジョハンさんは、ISIの西洋音楽学科を卒業し、音楽心理学が専門。7月10日に行われる「こども創造音楽祭」のディレクター。始めて会ったのは、イウィンさんの妊娠7ヶ月の儀式ミトニの時だった。横田さんは教育学が専門で、今回は多文化多言語による教材開発の研究プロジェクトでやってきている。彼女のインタビューに、誠さん、公美子さんとともに、通訳役もかねて参加。

インドネシアでは、2006年に教育改革が行われた。その際に、特に芸術文化は、鑑賞と創造を通して、西洋志向から自国の文化を見直すことに柱が据えられた。ジョハンさんは、芸術文化の新カリキュラム作りの中心人物だった。特に、創造の部分では、音楽とダンスと美術とを分けずに、関連付けながら教育していくという新しい考え方が導入された。そして、教科書の作成は、全国の教師による公募制にした。採択された個人やグループには十分な賞金が与えられ、これで採択された教科書が現在インドネシア全国の小中高で使われている。

教科書の中身は、野村誠さんのブログの2011年5月22日の日記でも見られる。
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/?of=30

インドネシアのアカデミズムや官僚の世界では、アメリカへ留学して学位を取った人が発言力を持つことが多い。アメリカ化を目指すそういった人々とジョハンさんは闘った。ジャカルタのカリキュラム改革チームは、ほぼ全員がイスラム教徒のジャワ人。彼は、スマトラ出身の中華系でクリスチャンである。とかく、和を大事とする、悪く言えば、長いものに巻かれるジャワ人の会議の中で、彼は持ち前の迫力と低音の声で、「インドネシア全土はまだまだ貧しくアメリカ式の教育は馴染まない!自国や自分の地域の文化を見直すことこそが何よりの基本だ!芸術は全部つながっていて、楽しむことや創造性が大事なんだ!」ってことを主張しまくったそうだ。

西洋楽器の導入を前提とした案を主張する人たちに、会議室で机や椅子を叩かせて、即興の音楽ワークショップをしたそうだ。彼は、誠さんの「あいのて」とか全部見ているし、お手の物。みんなでさんざん盛り上がった後、「どうだ楽しかったか?」と聞く。これに、「はい!」とうなずいてしまうのも、ジャワ人のいいところ。で、それ以降、彼の意見がバンバン通るようになったそうだ。

ジョハンさんは、ロモ・マングンさんとも共鳴して、マングナン小学校でも教えていた時期もある。しかし、カリキュラム改革にも課題がある。その新しい教育を、現場の先生がどうやって教えるのか、ということ。マングナン小学校のようにユニークな教育方針があり、芸術家が訪ねてくるような学校は特別だ。学校教育は、教師によってなされるのが基本である。そして、その教師は教育大学で教育を受ける。しかし、そこでの教育がおしきせの教育になりきっている。ということで、教育大学の改革も始まったそうだ。

でも、改革の過渡期は大変だろうと思う。楽器無しで、決められた振り付け無しに、どうやって音楽やダンスをすればいいの?絵画と音楽って、どうやってつなげたらいいの?そんな教育をできる先生をどうやったら、育てられるの?

ジョハンさんとのインタビューは3時間以上続いた。彼とは、8年くらいの付き合いだけど、こんなにゆっくり話したのははじめて。この日は、横田さんがいたからだけど、新しい人、多文化の人、多言語の人が交わると、いい機会ができることが多い。普段聞けない話が聞ける。今まで、芸術家でないジョハンさんとは1枚隔てた壁があり、どちらかというと、役人的でセッティングはしてくれるけど、中身にはそんなに興味が無いのかと思っていた。だが実際は、すごく熱い人だったのだ。

夕方、タマンブダヤ(文化会館)へ向かう。ガムラン・フェスティバルの2日目で、アレックスさんの作品に参加するため。60人の参加者が控え室に集まっていた。こども、おじいさん、おばあさん、アメリカ人、日本人、マレーシア人・・・。アレックスさんが指揮者の位置に座り、スレンドロの2の音から演奏が始まった。途中からどんどん音が重なっていき、最後にはガムラン楽器のすべての音が交じりあう。40年近くガムランにかかわり続けたアレックスさんのガムランへの信頼が元になった作品。舞踏や能を日本で習う彼のからだが、この作品のもうひとつのポイント。彼のからだの動きや気に合わせて、60人が思わず動きや息を合わせ、音が変容していく。ああ、カエルのようなのか・・・。二つのパートだけが、遊んでいる。スボウォさんと公美子さんは古典の様式を使いながら踊るようにボナンを叩き、長髪のジジットさんともうひとりのそっくりさんは掛け合いするようにサロンで音の雨を降らせた。

7月9日
9時にSLB(特別支援学校)へ。真さんが、車座の中心で話を始めていた。去年一緒にやった子もいる。言葉はあまり要らない。次から次へとダンスがつながった。昨日長くしゃべったジョハンさんの声が頭に響いた。歌うようにダンスし、踊るように音を叩け。自分でも思っていることだけど、他にもそんな風に言う人の声を聞くと勇気づけられる。そして、その勇気がダンスになって、さらにまわりの人に伝わっていく。

帰り際に、ローバーの窓から校長先生に手を振ると、投げキッスして返してくれた。

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モールへ出かけた。明日の衣装のお買い物。ジャティラン・ダンスと即興舞踊。この日にやって来た元留学生で筑波大学へ復学した奥村エリナちゃんも飛び入り出演することになったので、彼女の分も。バティック・クリスでいいワンピースが見つかった。店員に訳を言って、試着させてもらったら、なんとかぴったし入った。無精髭の40過ぎのおっさんがひとりでワンピースの試着・・・。

タマン・シスワ通りの我が家へ戻る前に、マングン・サルコロ通りにある作曲家のアスモロさんの家へよった。扉の前まで、234(ジーサムスー:丁字たばこの銘柄)の甘い香りが漂っていた。未だにジョグジャでは携帯電話を持つ気になれず、いきなり訪問することにしている。薄暗い部屋で食卓に座っておしゃべり。留学時代から、政治や哲学や芸術やセックスやいろんな話を気兼ねなくできる貴重な友人。話題はやはり原発事故だった。

16時30分、誠さん、公美子さん、横田さん、エリナちゃんを乗せて、カリウラン通りの方にある遠藤ゆうさんと聖子さん夫婦の家へ。リングロード(市内の環状道路)より北側にあって、田んぼが広がった住宅地にあるすてきなお宅。料理嫌いだけど、まずいものを食べるくらいなら自分で作るというゆうさん自作のガスレンジ直置きオーブンにもびっくり。すでにジョグジャに8年住んでふたりとも大学院で学位も取ってしまって、で、赤ちゃんもできて、なんのかんのあって、今年の末には東京へ帰るとのこと。ジョグジャの田舎に8年住んで、東京か・・・。ゆうさんはワヤンを、聖子さんは美術を勉強していた。おしゃべりにすっかり花が咲いて、気がついたら19時。

19時30分から、スルヨディニングラタン通りのISI大学院キャンパスで、大学院卒業制作コンサートを見に行くことにしていた。ムラピ山の麓からまっすぐ下って、王宮の南門を越えたところまで約30分。オーディトリウムに入ると、コンサートは始まったばかり。ジョグジャきっての太鼓の名手トルストさんの息子アナンくんの卒業制作。小編成ガムラン、西洋楽器、音具、石などを6人で演奏、本人も太鼓に入っている。緻密な演奏で、曲も洗練されている。アナンくんは、オーストラリアにも長くいたので、そんな影響があるのかもしれない。学生にとってはとても大きなイベントで、芸術家としてのデビューという意味合いもある。ガムランの持つエネルギーやジャワ人の持つ即興性やユーモアがもう少しあったらなあ、と思った。客席は、ジョグジャのアーティストがたくさんだった。

終了後、みんなで食事に。真さんが5月に還暦を迎えたので、そのお祝いもかねて。キャンパスからほど近いピザ屋さんのKmealへ。ちゃんとした釜がある本格的なお店。留学中の田淵ひかりさん、富岡みちさん、岡戸香里さんも加わった。ひかりさんとは、今回の旅行中にいろいろ話をした。帰国後のこととか悩みも抱えているようだったけど、いい目をしていた。この時ではなかったけれど、ひかりさんや誠さんとして印象に残った話。

ジャワ人はあまり怒らない。ガムランや舞踊を習っている時でも、先生たちはとても忍耐強い。仮に怒った人がいると、感情をコントロールできない人として見なされる。怒るが負けの社会である。いかに、けんかすること無く落としどころを見つけるか、というのがジャワ人の言うビジャクサナ(配慮/知恵)である。ところが、誠さんが開いた東日本震災のイベントで、ツルツルさんことスワルトさんが怒ったというのだ。しかも相手は、王様の弟のグスティ・ユド。目の前に詰め寄って詰問した。

「あなたは王の一族だ。王たるもの、困っている、危機に瀕している人がいれば、助けなければならない。国境や民族の隔たりは無いのだ。それが王のつとめだ。あなたは、今なにをしているのか!」

これは、もはや個人の怒りではない。きっと、その時の彼は、彼個人でもないのだろう、なにかが乗り移った集合の怒りの代弁。しかし、こんなことを、王に向かって、直接詰問できる人がいるだろうか。怒らないジャワ人も、時に怒ることがある。それは、個人の怒りではなく、道理に背いたことへの怒りである。だから、とても強い怒りなのだ。ジャワ舞踊を志して以来、僕は自分の感情や怒りをなるべく荒立てないようにしてきた。それは、とても大変なことであり、ジャワ人の誇るべき美徳でもある。しかし、どうしよもない悪や不正にであったときに、どうやって立ち向かうべきなのかに対して、僕自身、悩んでいたところでもある。ああ、こんな怒りがあるのか!こんな勇気を持った人がいるのか!いい話を聞いた。

さて、ジャワの滞在は後二日。日記も後少しかな?
(佐久間新)
タマゴ大王の陰謀
7月6日
コタ・バルにあるBOSA高校へ。野村誠さんが東日本震災のイベントを行ったときに参加した舞踊家のスワルトさんが勤めている高校。スキンヘッドにしている彼を誠さんはツルツルさんと呼んで、頻繁に会っているらしかった。なのに、不思議なことに僕はまったく面識が無かった。隣町のソロ出身とはいえ、イウィンさんとはISIで同級だったし、ベン・スハルトさんとも親交が厚い。交わりそうで交わらないとなりの宇宙にいたのだろうか。

BOSA高校は、週末に行われるガムラン・フェスティバルに出演することになっていて、演目の一部を僕らとコラボすることになっていた。それで、誠さんと公美子さんが事前にマルガサリ版「桃太郎」の楽曲の一部を仕込んでおいてくれたのだ。11時に到着すると、講堂では、リハーサルが行われていた。高校生だけの演目は、インドネシアの創世をテーマにしたような感じで、ジャワ舞踊やヒップホップやなんやかのダンスと、ガムランとサックスとギターとドラムなどの音楽とが入り混じりなんとも言えない高校生的雰囲気を出していた。

「桃太郎」では、僕とスワルトさんが戦い、音楽がそれに合わせる場面と、中川真さんがタマゴ大王に扮して即興芝居をする場面とをすることになった。ダンスで音楽を動かす部分を練習してみた。スワルトさんもすぐに感じをつかんでくれた。高校生たちは、すぐにこつをつかんでくれる子もいるし、いつまでも楽譜に首っ引きでダンスを見てくれない子もいた。その後の真さんが扮するタマゴ大王の場面を見ていて、ふつふつと思いが立ち上がって来た。

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今時のジャワの高校生と日本人のガムラン演奏家やジャワ舞踊家と作曲家が、ガムランを使って交わっている不思議。2009年に、ガムランエイドのジャワツアーで、タマゴ大王は、田舎のガムランとも共演した。田舎のワヤンに飛び入り出演したのだった。手練手管のダラン(人形遣)にいらわれまくって、ジャワの観客がどっと笑う。これはこれで面白いんだけど、ジャワ人しか楽しめない。ジャワのガムランやワヤンは、何百年もの間、濃厚なコミュニティの中で極限まで発展した。物語も、人形も、音楽も洗練されまくっていて、かっこいい。外国人の僕らは、必死でそこにくらいついて、そのテクニックを、精神を、芸の豊かさを、芸を育んだ文化やコミュニティを理解しようとした。何人かの外国人は、そのコミュニティに入る事にも成功した。僕も、舞踊の世界で、ジャワ人に肉薄したいと思い続けている。

しかし、BOSA高校の生徒たちを見ていると、もはや大半の子は、ワヤンの世界には入っていけないだろうと思う。観客として楽しむ事はできるかもしれないけれど、プレーヤーとして参加するのは難しいだろう。ガムランを学んだ外国人の大学教授がからだを張ってガムランに飛び込んで、楽器の真ん中で即興芝居をしていることは、どんな意味を持つのだろう。ガムランの楽しみを、ジャワ人自身から解放しているのかもしれない。高度に発達しすぎたコードから。タマゴ大王の寒いギャクや冷や汗や脂汗は、変わり続ける社会の中で、ガムランの持つ可能性を、もっともっとみんなで探ろうともがいている姿なんじゃないかと。

ガムランの響きにギターとドラムが入ると、高校生のにおいが流れはじめた。2009年に、オーストリアのクレムスの音楽高校で聞いた響きと重なった。あの時は、ブラスバンドを、真さんとタイの音楽家のアナンさんがガムラン風にアレンジしたのだった。オーストリアの高校がブラスバンドで奏でるガムラン。ジャワの高校生がガムランで奏でるロック。

この日の夜は、大阪市大から東南アジアのアートマネージメントを研究する雨森信さんと林朋子さんと、東京から多文化多言語による教材開発を研究している横田和子さんが到着の予定だった。誠さんと空港へ迎えにいった。到着した3人をローバーと言う名のジャワの愛車にのせて、アリーズで雨森さんと林さんを下ろして、我が家へ戻った。誠さん、公美子さん、横田さんと僕の4人で、近所の屋台へ遅い晩ご飯へ出かけた。路上のござでナシゴレンを食べた。横田さんは、僕と同時期にモンゴルへ留学していたのだった。南十字星が上がっていた。ナシゴレンとお茶で6000ルピア(60円)。

7月7日
10時に、マングナン小学校のみんなが我が家へやって来る。まずは、張り型の馬を使ったダンスの練習。おとなだってそうだけど、自由に踊れったって、なかなか難しい。だけど、何かとっかかりがあれば、意外とうまくいく。馬にまたがっていれば、すこし落ち着くのだ。すこしずつ、いつもやっている形から崩していく。最後には、馬が無くても踊れるようになればいいけどなあ、と思いながらWS。

女の子グループ4人とは、将棋作曲の続き。誠さん、公美子さん、ISIの西洋音楽学科卒の作曲家ギギーさん、ISIのガムラン学科卒の作曲家ウェリーさんが加わる。僕は、音に合わせてダンスし続ける役。将棋作曲は、音と人間に信頼を置いた作曲法だと思う。今回はガムラン楽器を使ってやってみることに。女の子たちは、生まれて始めてガムランを触る。誠さんが短いフレーズをスレンテムで弾く。何度も繰り返す。ひとり目の女の子が、楽器を選んで、誠さんの音を聞いて、自分の音を探る。気に入ったのができれば、自分なりの方法で、大きな紙にメモをする。結局、ガンバン(木琴)で静かなきれいな旋律を作った。次は、ウェリーさんがボナンを選んで、踊るように演奏する。そして、それを大きな紙に記譜する。といった具合に、どんどん回していく。それを3周やってみた。演奏は、静かな響きから、徐々に豊かな響きになり、やがてあふれ流れ始めた。ガムランの伝統音楽とは違うけれど、ものすごくグルーブがある。僕はずっと踊り続けているが、楽器に無い音も聞こえ始めた。伝統音楽のときにも、いい演奏のときには起こる現象だ。演奏は1時間以上続いた。女の子たちも、音楽を楽しんでいた。最後は、ひとりずつ消えていって、西洋人とインドネシア人のハーフの女の子が演奏するパキンの透明な旋律が残った。

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小学生のお母さんが作った魚と野菜の入ったナシ・ブンクス(お弁当)の昼食。

16時に、タマン・ブダヤ(文化会館)へ。ガムラン・フェスティバルの初日。BOSA高校の公演のリハ。1000人以上入るホールは、イラストのあるインタビューゾーンとかもあって、フェスティバルの雰囲気になっている。控え室に入ると、ここでもご飯。ビュッフェスタイルになっている。給仕のボランティアがいて、食後にゴミの分類をするようになっている。とにかく出演者が多い、この日はBOSA高校とプジョクスマン舞踊団とまだ他にも。100人以上の出演者。

リハが終わった後、控え室でスワルトさんと即興で踊った。とてもよかった。彼も、何かを感じてくれたようだった。ベン・スハルトさんの話を少しした。ねじれていた宇宙が交わった。

本番は、超満員だった。僕の踊りよりも、真さんのタマゴ大王が受けていた。この日は、ギャグも冴えていた、というか会場が楽しみ方を知っているようだった。たくみなMCの進行にも、ドッと沸いていた。10代や20代の観客が多かったような気がする。

ガムラン・フェスティバルは、今年で16回目。僕が留学した年に始まったことになる。まだ、ジョグジャで何も知らなかった僕に、フェスティバルの主催者のサプト・ラハルジョさんが、当時僕が所属していた大阪のガムラングループのダルマブダヤに出演してほしいと、声をかけて来た。その彼も、今はもう亡くなってしまった。その翌年、ダルマブダヤはタマン・ブダヤで単独公演を行った。あの頃のジョグジャの観客は、やじったり、飛び入りで出演したりする若者がたくさんいた。僕も飛び入りで踊り、そこへ出て来た長髪にジーパンの観客ともくんずほぐれつで踊った。

同じ年にあった第2回ガムラン・フェスティバルでは、オランダのガムラングループが指揮者を使っていて、観客に思いっきりやじられていた。段々と指揮者が怒り出し、観客はますますやじり、ヒヤヒヤした最後の最後には、観客も指揮者も笑い出したのだった。ついこの間のことのようでもあるし、独裁政権下独特の空気が渦巻いていただいぶ前の出来事のような気もする。

フェスティバル終了後、すぐ近くにあるスルタンの弟のグスティ・ユドのプンドポへ向かった。滅多に出さないという古いきらびやかなガムランを並べて、隣町ソロとエジンバラ公演用の練習をしていた。何台も並んだサロンを、年配のおじさんたちが一糸乱れぬ息で叩き続けていた。力強い音が夜更けのプンドポに響いた。

(まだまだ続く)

(佐久間新)

ありえへ~ん 一口1000キロ
7月3日
9時すぎに関空で、中川真さんと待ち合わせ。イミグレーションを通過後も、真さんはマックを開いて、「助成金ムニャムニャ、霞ヶ関のゴチャゴチャ・・・、」とか言いながらパチパチやっている。ガルーダは定刻出発。阪急電車と原発関連本を交互に見ていると、デンパサール到着。国内線ロビーは大混雑。ジャカルタへの便は、一度下りたけど同じ飛行機だった。ちょっとした印を覚えていたのだ。なので、途中だった阪急電車を見るが、やっぱり眠たくなってしまう。

タクシーでジャカルタ市内のチキニを目指すが、運転が異常に荒っぽい。高速の測道!!をガンガン飛ばす。荒い運転には慣れているけど、思わず真さんとシートベルトを探した。結局無かったけど・・・。でも、運ちゃんは悪い人ではなかったみたい。ドメスティックな感じのホテルにチェックイン。シャワーをして、ホテルの前で、クイチャウ・クア(きしめんの具沢山風)を食べる。

7月4日
早朝に、アザーンで目が覚める。ジャカルタのは、ジャワよりずっとうまいなあ。節回しも違ったみたい。寝直して、8時前に起きる。真さんがベッドでムニャムニャ言っている。「ありえへん、ありえへ~ん。」聞いてみると、日本でふとんでゴロゴロするなんて、「ありえへん」そうなのだ。たかだか20分程の事なのに。おじさん、働き過ぎでっせ。

朝食ビュッフェ。ドメスティックなビジネスマンと家族連れ。学校が、年度の変わり目の休暇中なのだ。10時にIKJ(ジャカルタ芸術大学)でアポイントがあったので、荷物をホテルに預けて、バジャイ(インド由来のバイクタクシー)で向かう。が、ほんとは歩いていけるくらいの距離だったみたい。でも、久々のバジャイだった。

TIM(イスマイル・マルズキ公園)の中にある小さなキャンパス。TIMに前に来たのは、20年近く前にテアトル・コマの芝居を見た時だったか・・・。オフィスでは、学長以下、先生と学生が迎えてくれた。秋に、マルガサリと合同公演をするので、その打ち合わせ。階下の図書館では、ISI(インドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校)で一緒だったリニさんが働いていたので、再会。facebookのおかげ。リニさんがfacebookに写真をアップしてくれたので、連絡ができなかったイウィンさんにも、これから行くジョグジャの人にもジャカルタの様子が伝わった。

先生たちと、植民地時代のオランダ人宅を改装したレストランへ。インドネシア料理という事だけど、トムヤムクン風スープなどがおいしかった。らっきょのサラダなんて、インドネシアでは始めて食べた。一旦ホテルへ戻って荷物をピックアップして、ジャカルタの目抜き通りにある国際交流基金へ。かつてガムランもやっていたボスの金井さんと会うはずだったが、うまく会えなかった。なぜか、ジョグジャの現代音楽作曲家のアスモロさんの親戚の女の子が受付嬢をしていて盛り上がった。うー、狭い世界。

国内線に乗ってやっと我がカンプンへ。珍しくイウィンさんの弟のアンバルが迎えに来てくれていた。ジョグジャの我が家では、下宿している野村誠さんと公美子さんと若き作曲家のギギーさんが待っていてくれた。誠さんと公美子さんと3人で、真さんの定宿アリーズへ。ミー・ゴレンを食べながら、明日以降の予定を確認。

7月5日
今回の旅の一番の目的は、野村誠さんと一緒に、ジョグジャの小学生とアーティストとWSを通して作品を制作し、Festival Musik Kreatif Anak-anak(こども創造音楽祭)にゲスト出演する事だ。誠さんが事前に何度も訪れていたマングナン小学校のこどもと、西洋音楽の作曲家のギギーさんとガムランの作曲家のウェリーさんと、コラボする予定。

9時に、ジョグジャ郊外のカラサンにあるマングナン小学校着。まずは、受け入れの先生であるダルーさんと校長先生にインタビュー。ロモ・マングン(マングン翁)という建築家が設立したユニークな教育をしている学校。民家を借り受けて、教室にしている。学校と近所の家の間には、柵も無い。制服も無い。貧しい家のこどもは、授業料も無いそうだ。生徒数は百数十人。この間訪問した元教員の音楽家池田邦太郎さんはマングナン小学校にきて、「ここは先生の天国だ!」と叫んだそうだ。先生がそう思える学校じゃなきゃ、生徒はもっとつらいだろう。

今回一緒にやるのは、高学年の十数人。中庭で、男の子たちと一緒に踊ろうと試みたけど、ちょっと恥ずかしいみたい。いつも自分たちがやっているジャティランという張り型の馬にまたがってするダンスを見せてくれる。そこに絡んで、すこしずつ一緒に踊れるようになった。誠さんの案で、女の子たちとは将棋作曲をやってみる。こっちは、すんなりドンドン曲ができた。

真さん、誠さん、公美子さんと僕の4人で、ティモホ通りにある「コロニアル」というインド料理屋へ。ここは、別にコロニアル風という訳ではなく、日本にあるようなインド音楽がかかるインド人コックのいるカレー屋さん。ナンもあって、ほうれん草とチーズのカレーとかマトンのカレーとか、とてもおいしい。なのに、何を勘違いしたか、真さんが「ビーフン」を頼んでしまい、せっかくインドまで行った舌が、一口食べるごとにインド洋を1000キロ引き返して来て、3口でジャワに戻ってしまった。

15時からは、ガムランの神様だった故チョクロワシトさんの家へ。1970年代からガムランを勉強している中国系アメリカ人のアレックスさんの新曲の練習。演奏する人が60人必要らしく、いろんな人がかり出されている。スボウォさんや留学中の大石まみちゃんもボナンのところに座っている。スレンドロ音階の2の音から始まり、最終的には全鍵盤が同時に打ち叩かれる作品。とてもいい音だった。アレックスさんが、時間表示を出すところはホセ・マセダの「ウドロウドロ」のようだったが、アレックスさん自身のからだが鍵を握る作品のようだった。

(まだまだ続く)
(佐久間新)


ウロコ通信 107書きました。
梅雨だというのに暑い日が続きます。標高400メートルの我が家も昼間は結構暑いのです。それでも、夜8時を回ると、田んぼからひんやりとした風が寝室に流れ込んできます。カエルの声が、タマゴを産み終えたからか落ち着いた響きで谷に広がります。干したばかりのふとんとシーツの上で、ブナが扇風機のようにクルクル回って寝ています。
日が経つにつれて、後だしじゃんけんで、原発事故の真相が発表されていきます。それでも、マスコミや企業の多くが、脱原発を言い始めたのは大きな変化ですね。ただ、身の回りにあふれ始めている危険に対しても、鈍感になり始めていることに恐怖を感じます。放射能の影響は、後だしじゃんけんで若い人たちを、未来を、蝕んでいくのでしょう。たゆまず、声を上げ続けていきたいです、カエルのように。


さて、公演・ワークショップや冊子・映像のご案内です。

目次
・「こどもの創造音楽祭」 7月10日 ジョグジャカルタ インドネシア芸術大学 ISI大学院ホール
・「からだトーク/鏡の中の人」 7月14日 大阪 大阪大学 豊中キャンパス
・身体と環境のワークショップ 7月22、23、24日 京都 上徳寺
・ジャワ・ガムランの世界 7月23日 浜松 アクトシティ浜松音楽工房ホール
・カマココまつりの映像紹介 

ーコンテンツー

1件目
昨年に続いて、インドネシアのジョグジャカルタで行われている「こどもの創造音楽祭」に出演します。作曲家の野村誠さんと公美子さん夫妻、中川真さん、インドネシア芸術大学のGigihさん、Wellyさんと、ジョグジャの小学校でワークショップを通じた作品制作を行い、フェスティバルで公演をします。また、公演はしませんが、ジョグジャの特別支援学校でもワークショップを行います。

日時:2011年7月10日 9:00~12:00(予定)
会場:インドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校大学院ホール Jl. Suryodiningratan
入場:無料
主催:Panitia Festival Musik Kreatif Anak-anak
共催:大阪市立大学

2件目
今回のテーマは「鏡の中の人」。水銀灯が光る夜の大学のキャンパスには、ガラスに映る姿を見ながらひたすらに踊る人たちがいます。鏡には、何が映っているのでしょうか。
ガラスのこちらの人?あるいはあちらの人?自分?あるいは自分を見る自分?
能役者は、仮面をつける前に、鏡の間で仮面と向き合ってから舞台に上がるんだとか。
ジャワ舞踊の名手だったベン・スハルトさんは、白熱灯に照らされる自分の影を見て、稽古をしたんだとか。
鏡と影とは、すこし違うのでしょうか。
鏡で、横顔を見たいと、横目で見ても、横顔は見られない。
影は、自分にへばりついていて、振り切って逃げ切れそうな気がするけど、逃げ切れない。
もどかしいまやかしのすがた。
奈良の春日大社にある鏡は、日本を揺るがすような出来事が起こるときには、何かを映し出すんだとか。
さてさて、
鏡よ、鏡よ、鏡さん。テクマクマヤコン、テクマクマヤコン。
みなさん!魔法の力を使って、夜のキャンパスで踊りませんか?

オレンジカフェ「からだトーク/鏡の中の人」
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/
(すみません、まだ今回の情報がアップされていません。7月5日にアップ予定。)
日時:2011年7月14日(木)18:30~21:30
場所:大阪大学  豊中キャンパス 大学教育実践センターカフェ周辺(ウェブ内の地図10番周辺)
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/access/toyonaka.html
ゲスト:佐久間新・玉地雅浩
カフェマスター:西村ユミ・本間直樹
主催:大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)
※どなたでも参加できます。

3件目
フェルデンクライス・メソッドの小林三悠さんが企画するワークショップの講師をやります。小林さんはアメリカ留学中に、田中泯さんの提唱する身体気象とも出会い、現在は環境とからだをテーマに活動を行っています。京都五条にある上徳寺の本堂や境内で、ダンスの基礎トレーニング・ワークをしたり、本堂や野外で即興ダンスをしたいと思っています。僕は、22日と24日を担当しています。

身体と環境のワークショップ with 小林三悠・佐久間新
3day集中トレーニング
http://blog.goo.ne.jp/bwlkyoto
日時:A からだ基礎作り 小林三悠、佐久間新 : 7月22日(金)19:00~22:00
B からだ基礎作り 小林三悠 : 7月23日(土)10:00~13:00
C 野外実践ラボ 小林三悠 : 7月23日(土)15:00~18:00
D 野外からだ基礎作り 佐久間新 :7月24日(日)10:00~13:00
E 実践ラボ&振り返り 佐久間新、小林三悠:7月24日(日)15:00~18:00
場所:京都五条 上徳時
   京阪清水五条駅より徒歩5分 市営地下鉄烏丸線五条駅より徒歩5分
参加費:9,000円 学生500円割引 1コマ2,500円 (5月1日までに申し込みの場合、500円の早期割あり)
定員:20名
お問い合わせ:身体と環境のワークショップ(担当:小林)
       fax (0774)77-8487 e-mail felcafe@mail.goo.ne.jp 

4件目
ジャワのガムランセットを持つ浜松楽器博物館が主催する公演です。ガムラン、舞踊、ワヤン(影絵芝居)を2日間に渡って上演します。僕とイウィンさんは、1日目に登場します。演目は、ジョグジャの宮廷舞踊「スリカンディvsビスモ」です。演奏は、西日本のガムラングループの混成チームとジャワの演奏家です。2日目には、ワヤンが上演されます。

ジャワ・ガムランの世界 
http://www.gakkihaku.jp/lecture/115-116java-gamelan.html
演奏:ガムランネット・ジャパンウエスト、スマルヨノ、アナント・ウィチャクソノ、ワヒュー・クシスナワティ
舞踊:佐久間ウィヤンタリ、佐久間新
日時:2011年7月23日 14:00~
入場料:おとな2000円 学生1000円(二日通し券は、おとな3000円)
会場:アクトシティ浜松音楽工房ホール
チケット取り扱い:浜松楽器博物館、アクトシティチケットセンター
問い合わせ・チケット予約:浜松楽器博物館(053-451-1128)
主催:浜松楽器博物館

5件目
大阪のディープタウン西成にあるココルームとカマン!メディアセンターが、「カマココまつり」というイベント行いました。3月に大阪市大で共演した釜ヶ崎のおっちゃんのマエダさんとマツイさんに再会できました。この日は、その場で会った人たちをダンスに巻き込んでいきました。商店街を挟むココルームとカマメの前には、通行人の邪魔にならないようにと、パフォーミングを示す養生テープが貼られていました。線の内側と外側で、ダンスのこちらとあちら、わたしとあなたのこちらとあちら、からだとまわりのこちらとあちら、といった境界があやふやになっていく時間でした。
http://www.kama-media.org/japanese/blog/2011/06/post-1167.html

当日は、ほんまなおきさんや映画監督の山崎都世子さんが撮影していましたが、釜ヶ崎でいろいろ映像を撮っている大河原万唆博さんがいち早くyou tubeにアップしてくれたので、どうぞご覧下さい。なぜか、軽快な音楽がかぶせられてポップな雰囲気になっています。
釜カチャーシー
http://youtu.be/rOXC5LWlzsw


またまた、長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。
明日からジャワへ行ってきますが、日本より涼しいんだろうなあ。みなさんもお元気で!
季節のつぶやき 2011年4月から6月
2011年4月から6月までの季節のつぶやきです。原発がだだもれだったことが、どんどん明らかになっています。脱原発の声は広がっているけれど、広まる被ばくにもなれっこになりつつあり、怖い日々です。思いっきり外で遊んだり、踊ったりできる自由を!!
つぶやき中の方はこちらでも。
http://twitter.com/#!/kasakuman

4月1日
椿のん?たぶん載せていくおっさんもたくさん、落としていくおっさんもたくさんいるんでしょね。世界が、椿を載せる人と落としていく人でいっぱいになればいいね。@onakamushi すごくいい話だ!と思います。

4月2日
長命寺の岩、港の風速計、水郷のふてぶてしい鴨のあと、国民宿舎の近くの浜へ。靴下脱いで、ズボンをまくって、砂と波と打ち寄せられる水草と浮かぶ水鳥の羽と丸くなったビンのかけらと戯れる。芽吹き始めた柳、反対岸の雪の稜線、島へ向かう船の音、雲一つない空。ダンスX映像、幸弘さんと1回目。

地名は分からないんですうが、砂浜でゴロゴロしました。沖島が見えていました。2ヶ月に1度くらい野村幸弘さんとダンス+映像のピクニックをするつもりです。オススメポイントがあったら、教えてください。鬼の所にも行ってみます。@shinobu_3tree 宮が浜辺りまで行かれたんですね。

4月5日
昨日の朝からずっと机の前で翻訳作業。インドネシアの法律です。締め切りは今日の夕方、間に合うかどうか。足がしんしんと冷えます。

昨日はえずこホールのスタッフにメールをした。ジョグジャのみんながメッセージを書いた布がうちにあると。これは、マルガサリのみんなで翻訳して送ろう。12日はホールで、震災後初の演劇公演があり、それに間に合うように。ホールは避難所にもなってるみたいなんだけど、スタッフは張り切っている。

4月6日
きょうは、おもいっきり晴天なのに、おもいっきり空気を吸い込んだり、走り回ったりできない気分。ピクニックしたけど・・・。空気と水のありがたさをかみしめたい。[もし3月15日、東京に“なごり雪”が降っていたら…] http://t.co/WSGv33n

からだで感じることから、声を上げていきたい。当たり前のことがそうでなくなっていく恐ろしさ。全然違うんだけど、小学校の頃、光化学スモッグがでると、深呼吸すると胸の奥がキーンと痛んだのを思い出します。ひどさで校舎の上の旗の色が変わりました。@moongene外で大きく深呼吸したい!

4月15日
生駒山の麓でロウソクの火に誘われて踊りはじめると、一緒に踊っていたスウォンの女性はいつしか泣き始めていて、最後は深い慟哭だった。けもののように祈り、人間のように身もだえて。帰ってくると、雲の向こうの月が、桜の満開の花びらを浮き立たせていた。小枝がビヨンビヨンと揺れている。

4月16日
記者の女性が電話で話したいとメールをしてきたので返信したんだけど、電話番号を間違えた。しばらくすると、番号間違ってませんか?とメールが。あれっ?と書き直していると、電話がかかってきた。「間違っている場所が見えたんです。きっとこの番号が入れ違ってるんだろうって・・・。」すごい直感。

田んぼに水が入り始めた。今年は乾いていてすぐしみ込んでしまうらしい。制服になったみゆきちゃんが小さく見える。荒波に向かい出したばかりの小舟みたい。畦に糸巻きが差してあって糸が伸びている。Nじいさんに聞くと、苗代がピタッと収まるようにするためと。田んぼの下まで水はたまっているんだ。

4月18日
江坂の大きな布地屋さんへ。イウィンさんの生徒さん用の衣装の生地を買いに行ったんだけど、ついつい自分のも見てしまう。普段あんまり買い物しないんだけど、生地はいいのを見るとダメですね。衣装用に藍染めの布を買いました。高いってほどじゃないけど・・・。商売道具だからね。巻いて使います。

4月20日
田んぼに水が入り始めたし、雨が降ったし、ふふふふ。いよいよ始まりました、カエルさん。月の移る田んぼで、静かにココココッ。今晩は、水が冷たいだろうなあ。今年も、夜明けのカエルを聞く会をやろうかな。我が家の前のクレーターのような棚田で、一晩かけて到達する最高のアンサンブル。

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