Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
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寄せ場と原発もつながっている
3月14日
14時30分、大阪市立大学でコンサートの打ち合わせ。スペース天から楽器を運ぶので、軽ワゴンで本間さんと移動。18時30分、西成ブラザへ楽器の搬入。ラッパーのシンゴ☆西成さんも来る予定だが、連絡の行き違いがあって、彼は船場アートカフェへ。釜ヶ崎ダンサーズのマエダさんとマッちゃんは来ている。マッちゃんは、前回の練習に参加できなかったので参加をあきらめていたが、どうやら踊りたいらしい。シンゴさんがだいぶ遅れて到着。いろいろあってなんだか重たい雰囲気。

シンゴさんとのセッションの部分を練習するが、「こんなんだったら、 僕は入らん方が・・・」と、彼はノッてこない。練習時間はタイムオーバーだし、空気は重たいし・・・。あと1回だけやろうって言って、 最後のセッションをもう一度。僕は、意識的にダンスで分かりやすく音楽に合図を送った。音楽が少し流れ始め、ダンスと一体化し始めた。気づくと、シンゴさんがラップをはじめ、マッちゃんがインドネシアのタンバリン片手に踊り始めていた。上田カナヨさんとイタリアの劇団チームも部屋に
入ってきた。なんとかいい感じで練習終了。即興やコラボって、ほんとスリリング。ドキドキヒヤヒヤですが、大興奮です。

3月16日
10時にココルームでマサオさんと待ち合わせ。少し早く着いたマサオさんが携帯電話で「もう着いてます。」と連絡してくれる。僕も早く着いて新今宮の駐車場にいたので、すぐ合流。ココルームからすぐの西成プラザへ移動。大きい方の部屋では、イタリアから来ている劇団のマッシモさんたちが練習しているので、小さい方の部屋へ。まずは、机と椅子を移動して掃き掃除。

イタリアの即興仮面喜劇コンメディア・デッラルテの流れを汲むフラテルナル劇団のマッシモさんのワークショップが始まった。練習を中断して、マサオさんと見学。まじめな労働者、怠け者の市民、エッチな権力者(ベルルスコー二みたいだとマッシモさん)、無責任な知識人といったキャラクターを、皮でできた精巧な仮面を付け替えてマッシモさんが演じ分けて行く。下半身の重心の落とし方や力の入れ具合でキャラクターが変わるのがおもしろい。

マサオさんと小さい部屋へ移動。前回は、組合のさらに小さな部屋で立ったままからだを動かすワークだったので、今回は、もっと動こうとやってみた。でも、ふたりともダンスを意識しすぎてちょっとぎこちない感じになった。しばらくやっているうちに、少し思い切って、マサオさんのからだに僕のからだを沿わせてみた。それがしっくりきた。すこしずつ体重をかけたり、おんぶをしてみたりした。ふたりのからだが会話をはじめた。マサオさんのからだは、開いている感じがしたが、一方
で確固たる自分のペースを持っている感じもした。だんだんと、マサオさんも乗ってきた。いい感じ、いい感じ。

ココルームからスタッフのみんながランチのケータリングを運んでくれる。ハヤシライスとサラダ。イタリアチーム、釜ヶ崎ダンサーチーム、みんなでご飯。マエダさんとマッちゃんも来ている。4人で、衣装の話し合い。僕が家から持ってきた服をいろいろ合わせてみる。衣装以外でも気に入ったのがあれば持って帰ってもらおうと思って、いっぱい持ってきた。そして、そ
のまま、西成の街へ買い物に出かける。職人の店で、靴やズボンを買う。

マエダさんは、マッシモさんとの練習が楽しかったようだ。パントマイムや芝居を少ししたことのある彼は、意味やストーリーを伝えることに興味があるようだった。父親に障碍があったせいで、小学校の頃にできないというレッテルを張られ、自信を失ったそうだ。おとなになって、クレーン免許を取ることができ、そのコンプレックスから少し解放されたという。今は、手仕事が好きで縫製の小さなお店で働いている。しかし、貧しいドヤ生活では、寝ているときに盗難にあったりするせいで、大事なものを始終腹に巻き付けて生活をしている。なので、風呂や着替えもままならない。当然、においもする。舞台衣装に着替える前に、銭湯に行こうとすすめたら、鍵の着く部屋で着替えることができるならという条件付きで賛成してくれた。マッちゃんもマサオさんも喜んで、4人でコンサート前日に銭湯へ行くことになった。

マッちゃんは、障害者手帳を持っている。普通にしゃべっていると、何の障碍なのかはよくわからない。平成3年に釜ヶ崎へ来たらしいので、もう20年選手。そのせいか路上を歩くと、よく声をかけられる。酒場へ繰り出すまっきっきの頭のにいちゃんにも、「なんかあんのん?一 緒に行けへんか?」と、僕があまりしゃべりかけられたくないような人にも声をかけられている。この日は、やや色の抜けた紺の職人ズボン。職人ズボンというのは、僕が勝手に言っているだけだが、横にポッケの着いたズボンで、裾をしぼることができるタイプもある。マッちゃんのは、やや丈が短い裾をしぼらないタイプの職人ズボン。1000円くらいなので、釜ヶ崎の多くの人がはいている。黒のTシャツ、黒のフードの付いたトレーナーに、アディダスの黒のフードの付いたジャンパー。長髪をまとめて黒のキャップに入れている。顔はおばちゃんみたい。そしてマスク、それに白の軍手。カッコイイ!まさにラッパーではないか!

一方、マサオさんと言えば、長目で裾をしぼった濃紺の職人ズボンに、黒のハイネックの薄手のトレーナー、そして頭に白のタオル。ヘソがぐっと下がって、ややガニ股になっていて、仕事ができるって言う感じで、こっちもほんとにカッコイイ!白髪の無精髭の顔が、時折にやっと笑うと鼻の上にしわがいっぱいできて、シブいのだ。

マエダさんは、職人ズボンは似合わない。丸い敏捷な体で、分厚い器用な手をしている。もっと文系の感じ。大事なもんが詰まったメッシュのチョッキの上に、ネルのチェックのシャツ、そしてジャンパー。白髪で、やや垂れ下がった眉とやや離れ気味の目が、なんとも温かでかつ知的な風貌を作っている。風呂に入って、すっきりとしたシャツとセーターでも着れば、クラフトマンって感じでほんとにすてきだろうなあ。

衣装のイメージが決まった。それにしても、全然違う個性を持った3人が集まったものだ。ココルームへ戻って、こもれびカフェオレを飲みながら、前日と当日の打ち合わせをした。

3月18日
ブナの誕生日。家族でランチを食べて、プレゼントも渡してココルームへ。プレゼントはサッカー関係、最近サッカーの練習に通っているのだ。マサオさんは来ているけど、マエダさんとマッちゃんがいない。あれだけ確認したのに・・・。西成ブラザへ行くと、しばらくしてやってきた。なんでこっちへ来るの?マッシモさんと練習があるという。「あれっ!一緒にお風呂に行く
んじゃ・・・。」マッシモさんとマエダさんとマッちゃんと僕と4人でい ろいろ話し合って、マエダさんは仮面劇、マッちゃんはダンスをすることになった。マサオさんは、もちろんはじめからダンスのみ。

しょうがないので、そもそものきっかけだったマエダさん抜きで3人で銭湯へ。女風呂のない銭湯。女性客が少ないので、壁を取っ払ったらしい。釜ヶ崎は男社会、ひとつ道路挟めば飛田新地は女の世界。普通の2倍広々とした浴室でのんびり風呂につかる。いろんなからだのおっさんが入ってくる。はだかには個性があるなあ、誰と踊っても面白そうだなあ。

18時30分に大阪市立大学到着。楽器の搬入が終わって、これからリハというタイミング。照明さんと音響さんと舞台監督もいるので、進行中心のリハ。中でも、今回の公演では、映像を使うことにしていたので、その調整にも時間がかかった。本間さんと僕が映像の担当だった。「アートと生活」をテーマに、メンバー相互に担当を決めて、取材を行った。例えば、僕は自宅とその周辺で、家高さんにインタビューを受けた。4時間以上のロングインタビュー。そして、僕はバミオこと西岡美緒さんの取材を、彼女の自宅のグランドピアノがある居間で行った。ピアノの下には、グンデルやガンバンがあるのだ。メンバーの人数分×数時間=何十時間 のインタビューを、ひとり2分程度に編集して、3、4人分ごとの映像に分けて、冒頭、中頃、終盤で上映した。

冒頭の映像の後、マサオさんと僕とのデュオダンス。赤い袴ズボンと黒のタンクトップに着替えたマサオさんは立派な舞踏家のよう。舞台上でも、確固たる自分のペースを保っている。舞台や客席ではじめて見たメンバーたちはちょっとびっくりしていた。中盤の映像、声とガムランの部分。終盤の映像、声とガムランとダンスの部分。なんとかかんとか21時の完全退出に間に合った。

3月19日
14時からコンサート開始。インドネシア総領事や中川真さんの挨拶があったので、終了は16時頃。マルガサリにとっては、なかなかチャレンジの多い公演だった。この公演はDVDが作られるらしいので、詳しくはそちらで。また、イタリアチームの公演も含めた全体のテーマであるソーシャル・インクルージョン・オンステージでも冊子が作られるそうだ。

公演に見に来てくれた和田佳子さんの感想を載せておきます。和田さん、ありがとう。

・・・ ・・・

あと、ガムラン・クリスタルの印象、さきほど言い忘れた感じのすること、書きます。

音とコトバと踊りとウタと、全部が共存していて、しかも動いていく、波のように連なって、何もこぼさず、ほったらかしにしていない感じ。ぐわーっと押してくる波の勢い、それを真正面からかぶって骨抜きにされたままふらふら帰っていたら、自分はなんてガードが固いのだろう、というところに思い至りました。もっと強くなりたいなあと思いました。押し上げようとする力、がいっぱいこもっていたこと、すごくすごく伝わってきました。
何回も言いますが、よかったです、喝采喝采、みなさまに。

・・・ ・・・

そうそう、原発では釜ヶ崎などの寄せ場の労働者が数多く働いているそうです。
(佐久間新)
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つながっているもの
肉体系バイトで京都の山奥にいるときに、大震災が起こった。僕のまわりでは誰もそれを感じなかった。帰りの車を運転しながら、AMラジ オに耳を澄ませた。それから連日、テレビやインターネットでおびただしい数の映像やコメントをあびた。こころがすこしずつふさいでいくようでもあり、ネット上でなにかを表明することに対する無力感とも腹立ちとも焦燥とも言えない感覚が渦巻いていくような感じでもあった。

それでも、なにかこういった出来事が起こったときでも、あるいはそういうときにこそ、ダンスやコンサートはやり続けなければならないという思いは前から持っている。恐れたり、悲しんだり、おののいたり、憤ったり、戸惑ったり、困ったり、そういったことがすべて表現だし、表現を通じて、人は共感したり、つながったりできるんだろうし。僕にとっては、そういった表現やコミュニケーションがダンスだ。もちろん、いろんな事情で、舞台でできないこともあるし、生死の境目でそれどころではない瞬間もあるだろう。でも、生死を分けるまさにその瞬間にも、僕は踊っているだろうし、誰しもが何かを切実に表現しているんじゃないだろうか。

災害はまだ続いている。避難生活も原発事故も。その中で、僕は何をしていくのだろう。障碍のある人や老人や日雇い労働者とダンスをする僕は、これから何をしていくのだろう。どんなダンスをしていくのだろう。僕は、どうしてそういった現場に行ってダンスをしているのだろう。そこへ行くのが楽しいから。そういった場に、ほんとにスリリングなダンスがたちあらわれることがあるから。その場にいあわせる人、動物、植物、空気や土地となんとかしてコミュニケーションを取りたい、取れなくってもそのことを確認したいと思うから。からだでコミュニケーションしようとするところには、ダンスが生まれてくる。そして、ダンスという表現を通じて、そこにいない人とも、離れた土地にあるものとも、あるいはもっと大きなものとも、あるいは小さなものとも、もしかしたら時間をも超えて、つながれる可能性があると感じているから。こんな非常事態の時だからこそ、必死でコミュニケーションする中からダンスがたちあらわれる気がする。いろんな現場に出て行って踊りたい。そうやって踊ることによって、みんながつながっていけば、何かが生まれるかもしれない。ダンスして、考えて、話し合いながら、またダンスして。

被災した人はほんとに大変だっただろうし、これからもまだまだ大変だろう。津波から、生死の分け目を越えて奇跡的に助かった人が避難所で亡くなっていくという悲劇以上の悲劇もおこっている。当面は、物資や医療の援助が必要になるだろうけど、遠くにいる僕にできることは少ない。もどかしい、罪悪感にも近い思いにかられている人がたくさんいると思う。2006年のジャワ島中部地震の時は、僕が世話になっているプジョクスマン舞踊団が被災した。とにかく自分の舞踊団が壊れてしまったので、とっさの判断で動き出した。そして、みんなで協力していろんなチャリティ公演を行ったり、いろんな方々に義援金をいただいたりして、舞踊団の劇場の修復という直接的で物理的な支援に関わった。その際、多くの方々にとてもお世話になった。おかげで舞踊団の本拠地は修復され、今では伝統が息ずく場所で、こどもたちや仲間たちが、ずっと伝わってきた舞踊を学んだり、発表したりできるように復活した。みなさんに助けてもらってありがたかったし、ジャワのみんなの力になれてうれしかった。今回は、どんな関わりができるか。

原発の事故が起こっている。まだまだ広がりそうだ。いま、起こっていることには、いま起こる理由があるんだろうと思う。世界中で拡大しつづける経済や消費活動を支える電力。僕自身も、もちろんその恩恵にあずかっている。でも、この生活をなりたたせるために、担保に入れているものがあるということにあまりにも無自覚だったと思う。原発を動かしている燃料が、人間の、生物の、本能である子孫を残していく働きを破壊してしまう力をもっていることが、なにを意味しているのか。いきものは、自分の命が絶えても、自分の分身である遺伝子が生き続けることに希望を持っている。あるいは自分の遺伝子でなくとも、自分と関わったいきものが生きながらえることによって、そのいきものの記憶やからだの中にある自分が生きながらえていくことに希望を持っているのだと思う。命はつながっていく、つないでいかなければならないものだ。ジャワ舞踊には、バニュ・ミリ(水が流れる)というコンセプトがある。伝統舞踊だって、脈々と流れる水のように、ずっとずっといろんな人のからだを通り抜けて生き続けている。これを学んだ人は、次に伝えていかなければならない、というか伝えたくなってしまう。つながっていくことで舞踊も自分も生き続けていく。舞踊は数百年か数千年かもしれないが、もっともっと長い時の流れ中で、つながっているものがたくさんある。

もはや欠かすことができなくなっている、経済や生活に否応無く組み込まれている原発が、これだけ増えてしまったことの責任は、僕にもある。その恩恵にあずかったきたわけだから。でも、いまこの危機を目の前にして、僕らは否応無く、これからどうして行くのかという決断を迫られている。もしかしたら、自分たちの将来を担保に入れてでも、いまの社会システムを成り立たせていくことが大切だと考える人が大半を占めるのかもしれない。でも、そうだとするならな、それなりの覚悟を持って、細心の注意を払って、自分たちの生命を少しでも長続きするような知恵を生み出す必要があるだろう。原発を徹底的に見直す。あるいは、社会のシステムをゆるやかにシフトさせて、もう少し持続可能なエネルギーを目指すと考える人もいるだろう。僕もこの方がずいぶんいいと思うけれど。しかしこっちにも大変なことは多いだろう。どのくらい生活を変えるのか、どのくらいリサイクルできるのか、どのくらい先まで見通して考えるのか。自然エネルギーが本当に可能なのかどうか。みんなの利害をどう調整するのか。しかし、放射能の汚染を目の前にして、というかそのただ中で、もはや推進や反対のイデオロギーの対立している段階ではない。とにかくみんなでテーブルについて、具体的に動き始めなければならないタイムリミットが来ているんじゃないだろうか。なんだか大風呂敷を広げてしまったけれど、いまも不穏なニュースが流れ続けている。

とにかく僕は、いつでも、どこでも、だれとでも踊り続けるしかない。
さてさて、日記の続きへ続く。
(佐久間新)

ウロコ通信 105 書きました
一緒にダンスをするマエダさんは、とても大きなお腹をしている。ジャンパーの下には、大切なものが入っているという。ドヤという宿は安心できないらしく、最近もラジオをとられたという。一緒にからだを動かしているとき、僕がすこし動きのモードを変えていくと、不意に表情が変わってダンスの時間が流れ始めた。今度の練習のときは、お腹のものを出してくれるという。もっとジャンプできるかもしれないね、と。釜ヶ崎の労働者のマエダさんとマサオさんとダンスに取組中です。

さて、公演・ワークショップ・フォーラムや映像のご案内です。

目次
・ケアする人のケアフォーラム 「言語から身振りへ」 3月12日 大阪 應典院本堂ホール
・アート&アクセス 「ガムラン・クリスタル」 3月19日 大阪 大阪市立大学 田中記念館大ホール
・「からだトーク/風にそっと舞うよ」 3月24日 大阪 大阪大学 オレンジショップ 
・大阪ナイト・ピクニック02の映像紹介 

ーコンテンツー

1件目
たんぽぽの家とともに、ケアの現場とダンスの出会いによる可能性を探っています。昨年から特別養護老人ホームへ出かけダンスワークショップを行っています。老人との出会いから思わぬいいダンスが生まれています。このプログラムでは、冊子も作成中で4月に完成予定です。

ケアする人のケアフォーラム 言語から身振りへ ―― ふるまいを読み解く
本フォーラムでは、言葉によるコミュニケーションが優位な時代に身振りが持つ意味、そのなかの「身体知」について考えてみたいと思います。ケアをより人間的な営みにするために。
http://popo.or.jp/info/2011/03/post-35.html
日時:2011年3月12日(土)14:00?17:00 終了後、交流会を行います
会場:應典院本堂ホール(大阪)
http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=17
主催:財団法人たんぽぽの家
   独立行政法人福祉医療機構 社会福祉振興助成事業
参加費:1,000円 ※交流会費500円(いずれも当日会場にて申し受けます)
プログラム:
・パフォーマンス「竹おどり・大阪初上陸!」 竹之下亮
・講演「言語から身振りへ」 野村雅一
・事例報告1「笑いと病と生と――クリニクラウン(臨床道化師)の活動」 塚原成幸
・事例報告2「ふるまいが居場所をうみだす――常設型地域の茶の間『うちの実家』」 河田珪子
・事例報告3「身体でもって、からだに関わる――高齢者施設でのダンスワークショップ」 佐久間新
・ディスカッション「ふるまいを読み解く――ケアの現場のコミュニケーション」 
   塚原成幸×河田珪子×佐久間新×竹之下亮 進行:志賀玲子

2件目
マルガサリは、ガムランを媒体に、音楽とダンス、障碍とそうでないもの、芸術とそうでないものなど、さまざまなバリアをおぼろげにし続けています。今回は、メンバーひとり一人のバリアがテーマです。言葉を武器に際立った存在感を放つラッパーのSHINGO西成さんと生命の危機と隣り合わせで暮らす釜ヶ崎の労働者とコラボレーションします。僕は釜ヶ崎に通って、段ボール回収をしているマサオさんと縫製業をしているマエダさんとダンスに取組中です。面白くなりそうです。

アート&アクセス第3回 「ソーシャルインクルージョン(社会包摂)オンステージ」
ガムラン・クリスタル ーー映しあう声と響きあう光
http://margasari.com/
日時:2011年3月19日 13:30開場 14:00開演
出演:マルガサリ、SHINGO★西成、山田さんとマエダさん(from 釜ヶ崎)
会場:大阪市立大学 田中記念館大ホール
http://www.osaka-cu.ac.jp/info/commons/access-sugimoto.html
参加費:無料・申込不要
主催:大阪市立大学都市研究プラザ
共催:ココルーム
後援:在日大阪インドネシア共和国総領事
お問い合わせ:大阪市立大学都市研究プラザ(06-6605-2070)

3件目
今回のテーマは「花」。坂道を上がってたどり着いた丘の上のキャンパスで、夜桜を一緒に愛でませんか。ジャワには、プスポ、スカル、クスモ、サリ、クンバン、ムカルなど花 をさす言葉がたくさんあります。曲や舞踊にも、花がつくものがたくさんあります。
当日は、天気が許せば、外で夜桜を愛でながら舞ったり、お部屋でまったりと舞踊の花について、おしゃべりしたいと思います。

オレンジカフェ「からだトーク/風にそっと舞うよ」
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/activity/view/618?mode=0&page=1&discipline=&activity=&staff=&keyword=
日時:2011年3月24日(木)18:00?21:00
場所:「オレンジショップ」(大阪大学ワークショップルーム)
   豊中キャンパス 基礎工学研究科I棟 1階(下記URLをご覧下さい)
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/about/orangeshop.html
ゲスト:佐久間新・玉地雅浩
カフェマスター:西村ユミ・本間直樹
主催:大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)
※どなたでも参加できます。

4件目
2月に行った大阪ナイトピクニック02は、10数名の方が参加してくださいました。船場アートカフェを出発し、船場センタービルに沿って西へ、靭公園で少し踊って、船場アートカフェまで戻りました。その時の様子はブログにも掲載しています。参加してくれたヤスミさんと磯上さんのコメントもすてきです。また、岡部太郎さんが映像をアップしてくれています。
ブログ
http://margasari01.blog63.fc2.com/blog-entry-420.html
映像
http://gallery.me.com/urourota#100034

季節の変わり目です。風に飛ばされて踊りたいですが、風に舞っているものにもご注意ください。

段ボールダンス
2月28日
湯たんぽが2段重ねのふとんからコロンと落ちて、寒さで目を覚ます。朝食は大広間。高野山の昭和初期の映像がプロジェクターから投影されている。あまりにも音が大きいので、頼んで少し下げてもらった。ガムランエイドの面々がお膳を囲んでいる。広間の半分は、アメリカ人らしき若者の団体。去年や一昨年ほどおいしく感じられない朝ご飯をいただく。

年に1回のガムランエイドの高野山合宿。ようは泊まり込みのミーティング兼宴会。中川真さんだけが求心力という緩い団体なので、何か楽しみがないと集まれないのだ。ザパーンと朝風呂につかって、そのまま朝の散歩。高級ごま豆腐店で一休みして、金剛峰寺へ。ここで、僕はタイムアップになってしまったので、阪大生の秋山さんと下山。

不思議と来る時ほどは大変とは感じなかったけど、険しい山道を真っ赤なカローラで下る。この日は、2時に西成のココルームで上田カナヨさんと待ち合わせをしていた。マルガサリの公演で、釜ヶ崎の人とダンスがしたかったので、そのお手伝いを頼んでいたのだ。すこし遅れてココルームに到着。

カナヨさんのパートナーのミノルさんが案内役を買って出てくれた。ニット帽をかぶって優しい顔をしたミノルさんは、もう何十年もこの界隈で活動している活動家。すれ違うおっちゃんから、「おう委員長!」と声がかかることもある。トクソウやセンターを回る。この界隈を歩いたことはあったが、いつも少しびくびく警戒しながらの腰が引けた感じだった。この日は、シェルターという簡易宿泊所の中やセンターの奥深くまでずんずんと入って行った。

ああ、これは・・・。そうだ、ジャワに行き始めた頃の感じだ。ガムランの先生についてどんどんとディープな世界に入り込んだ時の感じ。路上で寝ているおっちゃんや段ボールの上で時代小説を読んでいるおっちゃんや紹介所の待ち合い室でワンカップの赤い液体を飲みながら俳句を詠むおっちゃんたちと、僕はなんとかコミュニケーションをはかろうとしている。すこし、ハイになっていた。

禁酒の館へ行って、時代小説のおっちゃんが、「あの人のリアカーを引く後ろ姿は、いいよお。」と推薦してくれたマサオさんに会うことができた。携帯電話!の番号を交換して、マサオさんの段ボール回収の仕事に同行する約束をした。霊場高野山と釜ヶ崎とは南海電車でつながっている。なんという1日か。

3月3日
5時に起きて窓の外を見ると、薄暗がりに雪が光っていた。東の山際には、細い細い月が上ろうとしていた。新今宮のローソンに7時の約束。ここのローソンは待ち合わせ場所になっているのだろう、次から次へとバンがやってきて、ニッカーボッカーのおっちゃんやにいちゃんたちを拾って行く。横断歩道の向こうに、リアカーを引いたマサオさんがあらわれた。手を振って合図をすると、笑っていた。

ローソンの店員とは顔なじみらしく、手際よく店内から段ボールのカートを押してきて、段ボールをリアカーに載せていく。すぐにリアカーがそこそこいっぱいになる。ここへは週に3回来ることになっているらしい。線路沿いにある資源ゴミの引き取り所へ。52キロで364円だった。トクソウへリアカーを戻し、歩いていると、マサオさんが「何飲む?」と自動販売機にお金を入れている。おごってもらう訳にもいかないんだけど・・・。サンガリアのコーヒーは50円だった。364円?50円、味わって飲まないと・・・。

僕はコーヒーを、マサオさんはロイヤルミルクティを飲みながら、おしゃべり。うどん屋、自衛隊、セメント工場の掃除夫、北海道旅行、沖縄でのデモの話を聞く。入れ替わり立ち替わり、ほかのおっちゃんも話に入ってくる。893の話、借金取りの話、博打の話、入ったら戻って来れない怖い病院の話。

マサオさんの手を握ってみた。マメのある少し固い手。手を軽く重ねあわせて動かしてみる。ああ、とてもいい感じ。関節はこわばっているけど、動きでスムーズにコミュニケーションできる感じ、繊細な感じ。手、腕、指を、丁寧に動かしていく。マサオさんは、まったく飽きる気配がない、こちらが根負けしそうなくらい。おしゃべりをはさみながら、からだでもおしゃべりをした。

一旦センターへ戻る。55歳以上の人が働ける掃除の仕事を斡旋する時間。登録書の番号順に毎日仕事が紹介される。この日は1600番台の番号が呼び上げられていく。こなれた風情のこの人も55歳以上であろう役人らしきおじさんが、拡声器を斜め45度にして口に当てながら、最小限のだみ声で番号を読み上げていく、「1650、、51、52、53、54....。」分厚いジャンパーを着た男たちが無言で列を作って、小股で進んでいく。

センターの2階の一角には、食堂がある。これ以上ないくらい煤けた壁の一部が開いてカウンターになっている。飯、味飯、卵焼き、みそ汁。厨房には湯気が舞い、おばちゃんが躍っている。おっさんが机の下の桟にがに股に開いた足を置いて、真っ白に光ったご飯をかき込んでいる。人間、食べないと生きていけない、と当たり前のことを思う。妙に、うまそうだった。

マサオさんの番号は一桁。1800番から1番に戻ったので、マサオさんは仕事をゲットした。1時から6時まで清掃の仕事をして、5千円あまり。ただし、4日に1回くらいしか、この仕事は回ってこない。センターを出て、もう一度、段ボール回収へ出た。今度は、160円ほど。

マサオさんとココルームへ行ってランチ。次回の約束をして、別れる。カナヨさんが、後ふたり踊ってくれそうな人がいるよ、と教えてくれる。ふたりで、探しにいく。ミシンが得意なMさんは、ズボンの裾上げなどをしている店で働いていた。とても繁盛していた。道ばたの露店では、300円くらいでズボンを売っているんだけど、おっちゃんたちは、ちゃんと裾上げをしてはいているのだ。そんなところもジャワみたい。薄いサングラスをかけて、マフラーとニットのセーターをうまくコーディネートしたおっちゃんが革の素材を持ってきて、パンツをオーダーしていった。漫画のまんまのおっちゃんは、ルー大柴より上等の英語をしゃべりまくり去っていった。

この日は、16時30分から、たんぽぽの家で編集会議があった。本間さん家経由で奈良へ。去年からやっている「言語から身振りへ」のプロジェクトで作成中のハンドブックの編集会議。僕がやった老人ホームでのワークショップが、ハンドブックの骨格になっている。責任重大である。あらかたそろった原稿の並べ方を巡って、ああでもないこうでもないと。

その後は、引き続きたんぽぽの家でワークショップ。この間の「臨床するアート」に来てくれていた方など、新しい参加者が5名。ペットボトルやガムランを使ったワークショップ。久々に振り子奏法をやってみた。そのまま寝てしまいそうな方もいた。終了後、亀岡に住んでいる参加者のリコさんを送って帰宅すると12時だった。ふ?、長い長い一日だった。
(佐久間新)
夜の飛行機雲、夜の高速道路、夜に集う場所
2月20日
たんぽぽの家から、本町の船場アートカフェへ。阪神高速東大阪線が工事で少しこんでいる。6時30分過ぎに到着。高岡さんが用意してくれている。7時開始。

参加者は、僕と高岡さんを入れて14名プラス犬1匹。まずは、前回のピクニックの復習。岡部太郎さんが撮ってくれた映像を見る。元ガソリンスタンドの駐車場の建物に残るESSOの痕跡、宙に浮かぶマクドナルドの2階の教室のような机の並び、などがおもしろかった。

外は暖かいし、長目に歩こうってことで、早速ピクニックへ。
岡部さんとほんまなおきさんが映像を撮ってくれたんですが、岡部さんがアップしてくれたので、こちらをどうぞ。
2011年2月20日 大阪ナイトピクニック
http://gallery.me.com/urourota/100034

また、参加してくれたヤスミさんと磯上さんがtwitterでつぶやてくれましたので、こちらもあわせてどうぞ。
夜の街が、すこし違って感じられる不思議なピクニック。

天満のこだわり雑貨店swimmy店主のヤスミさんのつぶやき

・・・ ・・・

大阪ナイトピクニック03。はじめての参加でしたが、みんなでテクテク夜の本町に浸りました。

本町・中央大通沿いは、高い街灯からのオレンジの明かりで、みんな影が長い。

船場センタービルの脇の1km続く通路を、先の人について歩いていると、薄暗さも合間って、我々はどこから来てどこへ行くのか、な気分に。 

四ツ橋筋を渡ると途端に生活っぽさが感じられて、ほっ。100円自販機も楽しげに見えた。

通りを曲がるだけでずいぶん気分が変わる。さらに靭公園では空が広くてのびのび。夜空にのびる飛行機雲。

ビルの楽しいデザインを見ながら、ほら穴みたいな船場アートカフェへ。夜に集える場所があってよかったとしみじみ思う。

帰り道にまるい月。ピクニックでいいもの見つけたような気分でした。 

今日はありがとうございました。おやすみなさい。

・・・ ・・・

こどもの頃からひとりピクニックを実践してこられた磯上さんのつぶやき


・・・ ・・・

こんにちは、先日はナイトピクニックに参加できて、とても楽しかったです。

闇に沈むビジネス街。風に誘われるように、軽くステップを踏むように、高速の高架に沿って往く。高速道路を下から見ると、大きなうわばみの腹のよう。

保護のための被いを纏う、新しく植えられた木々たちは、新しいビルを守るかのように、すっくと立ち並ぶ衛兵の如く

ふと見上げればビルの上、隠れ家のような小さな離れから漏れる灯火は、夜の街を見下ろす灯台の光

公園の木々の間に間に点々と、散り続く灯は地上の星。見上げる天には、冬の三角

夜の街、そこはなにかの、誰かの王国

不思議の国に迷い込んだような一刻でした。

・・・ ・・・

予定を超過して、9時30分頃に船場アートカフェに戻りましたが、もうちょっとみんなで一緒にいたいような感じで、すこしお話をしました。

いつもの大阪ピクニックは、4時間くらいピクニックをするんですが、この日は1時間30分くらいだったので、僕自身が、なにかを起こさないと、とすこし焦ったかもしれません。でも、参加者の皆さんの方が落ち着いていて、しっかりいろんなダンスをあちらこちらに発見してくれていたようです。次回の船場アートカフェ主催の大阪ピクニックは、秋頃の予定です。
(佐久間新)
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