Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
大阪ピクニック通信 vol.9 書きました
大阪ピクニック、東京ピクニックに参加されたみなさまへ

今年もよろしくお願いします。

1月24日日曜日に,船場アートカフェで高岡伸一さんと、大阪ピクニックに関する打ち合わせをしました。去年行った船場アートカフェ主催の二つのピクニックに関する印刷物を作成することになりました。また、2月15日にも船場アートカフェのマンスリー・アート・カフェで、大阪ピクニック夜編を行うので、その件も少し打ち合わせしました。

印刷物がどんな形式になるかは、これから皆さんと一緒に考えたいと思っています。パンフレットになるかレポートになるかマニュアルになるかイラスト地図になるか。分量としては,A4で8ページ,フルカラーという予定です。3月末の完成を目指すので,2月中に原稿,写真,イラストをそろえる必要があります。その後のレイアウト等の作業は,いつもチラシを作っているデザイナーの檜垣さんの作業になります。

ついては,興味がある方に一度集まってもらって,いろいろと意見交換ができればいいなあ,と思っています。お茶でも飲みながらの会議にしたいと思っていますので、お気軽に参加してください。今まで,ピクニックに参加されていない方でも,興味があれば,どなたでも参加大歓迎です。

日時:2月7日19時?21時 
場所:船場アートカフェ(大阪市中央区)
http://art-cafe.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/access.html

参加希望の方は,コメントを残してください。
*参加費はもちろん無料ですが,編集謝礼等はございません。

なるべく多くの方に関わってほしいと思っています。集まりに来られなくても,短い文章,イラスト,写真などでの参加は大歓迎です。

船場アートカフェは地下にあり、1階の鍵が閉まっています。また、携帯電話の電波が入りにくいです。事前に到着時間をお知らせいただければ、迎えに上がります。よろしくお願いします。

大阪ピクニック02の記事を書きました。この回は,たくさんの方が写真を撮りましたが,手元にデータがありましたので,西純一さんの写真を掲載しました。印刷物には、みなさんのお気に入り写真を掲載したいと思います。

それから、2月15日月曜日に大阪ピクニック夜編を行います。

船場アートカフェのウェブに詳細が載っています。
http://art-cafe.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/main_monthly.html

日時:2月15日(月) 19時?21時
集合場所:船場アートカフェ その後、船場界隈をピクニック。
参加費:無料

船場アートカフェでウォーミングアップをして、夜の商店街へ猫になって出かけたいと思っています。冷え込むと思いますので,暖かくしてお越し下さい。

また、ひとりでピクニックしてきたよ、という方がいれば、ご報告をお持ちしています。写真、映像、文字なんでもOKです。

大阪ピクニック
佐久間新
スポンサーサイト
短くて近いけど遠い旅 大阪ピクニック02
この間の日曜日は,船場アートカフェで高岡伸一さんと、大阪ピクニックに関する打ち合わせ。去年した船場アートカフェ主催の二つのピクニックに関する印刷物を作成することに。また、2月15日にも船場アートカフェのマンスリーワークショップで、大阪ピクニック夜編を行うのでその件も少し。印刷物がどんな形式になるかは、これからみんなで考える。パンフレットになるかレポートになるかマニュアルになるかイラスト地図になるか。

まずは,この日記でも途中になっていた大阪ピクニック02 坂編 天王寺?帝塚山 の振り返りをしておこう。これはあくまでも僕の視点。参加したそれぞれが自分の体験をしている。そういったことが反映されるものを作りたいなあ。

10月12日
13時,JR天王寺駅1階コンコース 551蓬莱前に集合。僕は、車を駐車場に入れるのに手間取って5分遅刻してしまった。
すでに集まってくれていたのは、建築の高岡伸一さん、エイブルアートの岡部太郎さん、映像担当の本間直樹さん、街歩きのOさん、美術+パフォーマーの池上純子さん、美術の西純一さんとNAOさん、音の専門家のかつふじたまこさん、寝てても方角の分かるHさん、そのお友達のYさん、写真家のTさん、染色会社に勤めるFさん、そしてイウィンさんとブナ。それから、遅刻して途中で合流した小島剛(音の専門家)を入れると総勢15名。

まずは、JR、近鉄百貨店、アポロビルを結ぶ歩道橋へ。歩道橋の上の南東側で、50代から70代のおじさんたち6、7人が見物にふけっているのを眺める。おじさんたちが眺めているのは、巨大な工事現場。異様に背の高いクレーンが何台も動いていて、地下がむき出しになっている。チンチン電車(阪堺電軌)に沿って立ち並んでいた味のあるアーケードが取り壊されていた。高村薫の「神の火」という小説の舞台にもなっており、留学中ジャワで何度も読み返していた僕にとっては、猥雑だけれどもほんのりと暖かいイメージのある場所だった。

アポロビルの前を西へ向かい、大阪市大病院を左へ曲がる。先ほどの味のあるアーケードの裏手に当たる。巨大なマンション群が建っている。Oさんいわく「とても紛らわしいイタリア語風の名前」がすべてのマンションにつけられている。この辺りは、ゆっくりと西へ傾斜している。上町台地の西端だ。今回のピクニックは、この台地の西端を天王寺から帝塚山へかけて南下するのが主なルートだ。阿倍野区と西成区の境界にもなっている。崖の上が東、下が西。天王寺から帝塚山へと南下していく。土地の変容とともに、風景、建物、人、植物、動物、音、におい、あらゆるものが変化していく。

阿倍野マルシェを越えたところで、時計台が現れる。塀があり、崖になっている。階段の下は、飛田新地だ。明治時代にできた赤線地帯だ。階段をおり、飛田新地を南下する。時代が逆行する感じ。新地の南端に「鯛よし百番」がある。元遊郭が今は料理屋さんになっている。15年以上前に、大宴会をしたことがある。新地が途切れたところに、短いトンネルがある。西さんの提案で、上の道に連なる階段に並んで恒例の記念撮影。この辺りは、南北に狭い筋が走り、東側の崖の所々に階段がある。崖際に立つアパートには、崖の下と上の両方に入り口があったりする。階段を上がると、市営南霊園。風が霊園を横切っているのを,みんなでバンザイして味わった。
DSC00673.jpg


階段を再び下りて行くと,玄関が共同の古いアパートが斜面に建っている。高岡さんの説明を聞きながら,タイルや装飾を観察。太ったツヤツヤの猫がたくさんいる。アパートの横に小さな公園があったので一休み。木陰が気持ちいい。鳩が間隔を空けてたたずんでいる。小島さんの提案で,全員1分間音に集中する。近い音,遠い音,大きな音,小さな音。中空に響く高速道路のドローン,鳩の声,切り裂くような鳥の声,自転車のブレーキ,薄暗い窓の向こうのAMラジオに、耳を澄ます。感覚が開いてくるのが分かる。僕は,西さんに聞いてみた。「このアパートと西さんはどっちが年いってますか?」しばらく考えた西さんは,「アパートかな。小さな頃にこんな感じのアパートを見たことがあるし・・・。」

アパートの側面はつぎはぎだらけだった。木の窓枠,サッシ,クーラーの室外機,洗濯干し用の支え,何種類ものガラス・・・。自分と同じくらいの年齢のものを探してみようと提案した。答え合わせは、高岡さんがしてくる。子供の頃の記憶の引き出しを呼び覚まして,アパートの質感をじっくりと味わった。木の窓の横滑りさせる時のひっかかり。薄く粘りのないガラスの小刻みに震える音。クーラー室外機のホースが壁を突き抜ける周りに塞ぐ粘土のようなもののにおい。牛乳瓶に表面に残された傷の数々。

再び崖の上に上がって,大谷高校の裏を南下する。ガードレールの音楽,猫じゃらしのダンス。聖天山公園に到着。こんもりとした古墳の上にアメリカ軍も切り倒すことできなかったクスノキがある。Oさんは、本当に故事来歴から地理,地質学まで街歩きに関することは何でも知っているのでうれしい。クスノキの根っこの周りで,自分のベッド探し遊びをやった。ブナが一番上手だった。根っこのベッド。「日本人の観光客なん?」子供たちがしゃべりかけてくる。コンクリートのベンチの裏に敷かれた座布団に猫が何匹も寝ている。
DSC00712_convert_20100126151625.jpg

DSC00760.jpg


正圓寺の手前のコンクリートの塀に、雨と風がアラビア文字を作ってる。アッサラームアライクム。境内の桜の老木をそっと揺すってみる。門前にある柄杓で水をすくって,流してみる。水は微妙な線を描き階段の方へ伸びていき、川になる。みんなで川になってみる。足首を柔らかくして,体重の移動を感じて下へ下へ引っ張られるのを感じる。ポケットから携帯とカメラと財布をそっと出して,僕は階段を転がった。

松虫通りを松虫塚へ向かってずんずんと歩いた。傾きかけた日差しが作る影も一緒にずんずん歩いた。影と双子になった。影に近づいてみたり、離れてみたり。その内,影と影が接近すると影同士がスイッと近づくのを発見した。電柱の影にすっと忍び込んだり,ぬわっと出てきたり。からだの質感が変わるのが、おもしろい。やがて、松虫塚到着。Oさんによると、塚というのは、街歩きで外せないポイントだという。

阪堺電軌の踏切を越え、松虫交差点の手前を南へ曲がり,熊野街道へ入る。雰囲気のある通り。入ってすぐ右手の家に何人かの人が反応している。僕は,すこし時間を気にしながら歩いていたので,見落としたポイント。みんなで歩いているといろんな発見があって楽しい。少し行くと安倍晴明神社。小島さんおすすめのものすごく狭い路地を西へ入る。ひとりずつ肝試しのように入っていく。踏切を越えて,住宅街を進む。不意に坂道があらわれた。池上さんが家の近くの田んぼの土で作った団子がたくさん入った風呂敷を広げた。祈りとともに,団子が転がりはじめた。コロコロコロコロコロコロ。

徂親坂を下り,さくら坂を上がる。日が傾いてきた。ヘルメット,多肉植物のインスタレーション。ゴールは無いんだけど,ゴールに近づいている感じ。一緒に過ごした時間が層になって生まれる何か。短くて近いけど遠い旅の終わり。阿倍野神社東門を抜けて,阪堺電軌天神ノ森駅到着。チンチン電車に揺られて,南霞町駅で解散になった。(写真は,西純一さん)
(佐久間新)
湯気ダンス,影ダンス
1月21日
10時,近鉄喜志駅。ISIのヘルサパンディさんたちと待ち合わせ。だが、来ない。電車を乗り過ごしたそう。リハがあるので,先に大阪芸大へ。ピアノの加納さん、ガムランの長田さん,バレエの松島さんと最終リハ。段々いい感じになってきた。ヘルサパンディさんたちもなんとか自力で到着。

13時20分、3号ホールでコンサート開始。出番は,14時30分。ピアノとボナンがテーマの旋律で呼び掛け合う部分から始まる。ピアノがひとりで走り始めると、バレエダンサーが登場。さらにピアノが挑発的に鳴り響くと,僕が扮する鬼がゆっくりゆっくりはらりはらりとあらわれる。ビシビシと雷鳴,太鼓とピアノが勢いよく走り始め、追いかけ合う。バレエダンサーと鬼も走り回り、追いかけ合う。しずかなゆっくりとした時間が流れる始まると、ピアノもガムランも,バレエも鬼も,すべてが混じり合いそうになる。と、鐘が打ち鳴らされる,混じり合いは巻き戻され,それぞれの方向へ伸び始める。音になって,気持ちよく,踊れた。ISIの先生たちも楽しんでくれたようだ。七ツ矢先生、退官おめでとうございます。すぐに着替えて,アートセントーへ。

16時,天神橋筋7丁目近くの元銭湯のアートセントーを発見。みたところ銭湯そのもの。一緒にパフォーマンスをする小島剛さんがすでにラップトップとスピーカーをセッティングしている。軽く打ち合わせ。僕は,銭湯のあちこちを探検。あこがれの番台にも座ってみる。古い木製で、馬蹄形の手すりの内側には引き出しがあって,いろいろ入っている。そろばんとか,押しピンとか、もちろんシャンプーや石けんも。番台前の男湯と女湯の境界は、なんだか見えないバリアがあるようだ。近づいていくと,からだにビリビリと電波が走る。銭湯の磁場。もちろん、今は女湯も入りたい放題。入ってしまえば,おんなじ構造なので,ドキドキ感は無い。小さなタイル,転がる洗面器,脱衣場の床の竹製ござ、天井のファン,映画館の張り紙、非常ベル、遊べるものがたくさん。

17時すぎ、パフォーマンス開始、観客は30名ほど。観客というか,立会人というか、参加者。みんなで銭湯を探索するゆるい場面から始める。途中で,参加者の集中が途切れ,バラバラな感じになってきたので,ちょっとがんばってみんなを引きつける。参加者にも絡んでいくと,思いのほか,ノリノリである。服を脱ぎだす人や,僕とくんずほぐれつで脱衣場でダンスする人があらわれる。ツツミさんといったか、この方はすごかった。終了後,僕の中には踊りたい衝動が隠れているのかもしれないと告白してくれた。即興パフォーマンスは45分くらい続いた。その後,フォーラム。18時30分に抜け出す。この日は、もう一本、奈良でワークショップ。

19時30分、たんぽぽの家到着。月2回の定期ワークショップ。まずは,台湾のウーロン茶とおいしいラスクでなごみながらおしゃべり。影と水を使って,からだのワークショップ。影と影とが近くづくと,影どうしが引っ付くのと,水面に指を近づけていくと最後に水が吸い付いてくるのを,楽しみながらからだを動かしてみる。後半は,本間直樹さんのガムランワークショップ。僕は,床暖房の上でうつらうつら。22時30分終了。またまた、DVD入りのかばんの忘れ物をしたので,アートセントーへ寄って,中川真さんに会って,阪急淡路駅まで送ってから帰宅。ふ?、長い一日。

1月22日
17時30分、阪大のオレンジショップに到着。西村ユミさんが掃除機をかけてくれている。DVDのセッティング,ご飯のセッティングなどなど。18時過ぎから、I-Picnicの映像「Bukit Pnjong(ポンジョンの丘)」を流す。参加者が集まってくる。18時30分,ワークショップ開始、タイトルは「湯気ダンス」。まずは、自己紹介。阪大の工学部の学生がふたり,脳神経の専門家,理学療法士,ダンス大好きの大学職員,人類学者,看護学の専門家、臨床哲学者、看護学と現象学の専門家などなど。ジャワ舞踊の話から始める。ジャワ舞踊のコンセプトは、Banyu Mili(水が流れる)。僕のワークショップは、進行も即興。まずはごろんと寝転がって、水のようにリラックスしてみる。理学療法士の玉地さんがいたので,寝転がっている人を指1本で、寝返りするように1回転させるの見せてもらう。僕も、自分のワークショップでもやることがあるが、うまくリラックスした人だと,人差し指やかかとやこめかみなどをつんつんとつついていくと,からだ全体が動き始め,1回転するのだ。

そうこうしていると、炊飯器から湯気が出始めた。湯気を愛でる。今日の主役は湯気なのだ。湯気と煙の違い,僕がなぜ湯気に引かれるか、などを話していると,ご飯が炊けた。ふたを開ける儀式,ほあ?と湯気が立ち上る。そして、混ぜる、ますます湯気が出る。しばし、湯気を触ったり,湯気と踊ったり。お皿にとって,動いたり,ご飯を指につけてみたり。勝手に動くんじゃなくて,湯気に踊ってもらうのがみそ。みんな一心不乱に湯気と遊んでいる。西村さんが持ってきてくれたお惣菜や海苔でご飯を食べる。うまい!湯気を見るために,照明をあてていたんだけど,きれいな影が出来ていたので,そこから影遊びに。みんな完全に踊るモードに入っている。湯気ダンス、そして影ダンス。語って、踊って,食べて、を3回戦まで行った。

最後に,I-PicnicのDVDを見た。「STAMPOK PARK」、「BY THE DANUBE」、「Impro-Garden」。そこにいる人,もの,環境,時間を感じての即興。上映後も,参加してくれたメンバーの話はなかなか尽きなかった。4時間近いワークショップになった。
(佐久間新)

Q2の忘れ物をとりにY3へ
1月20日
朝,霜が下りた田んぼから水蒸気が上がっていた。すごく暖かいと思ったが,0度。でも、日差しが強かったので,毛布と布団を干した。昼からは,日曜日のアクト・コウベの集まりのときに忘れてきたDVDの入ったをかばん取りに神戸へ。うー、遠いが仕方が無い。あさってのオレンジショップのワークショップで流すつもりのDVDが入っている。I-PicnicのDVD。1時間半かけて,かばんを預かってくれている下田さんがいるY3に到着。下田さんは、CAP(芸術と計画会議)のオフィスにいた。かばんも無事あった。下田さんがCAPのブログに、1月17日のことを書いていている。写真も見られるのでどうぞ。

http://www.cap-kobe.com/club_q2/2010/01/19144216.html

みんなカンロクが出てきたなあ。鈴木昭男さんにも会えた。
この日,一緒に踊ったYangjahさんも、ブログに書いていた。

http://emptybody.exblog.jp/13523285/

彼女とは、また一緒に踊りたいなあ。とても気持ちのいい時間だった。僕らの後に歌った下田さんのライブもとてもよかった。花の名前だけが歌詞になった歌とかとか。オフィスで下田さんのCDを買って,サインしてもらった。その後、Y3やQ2で、僕がやりたいことをいろいろやってみようか、という話になった。I-Picnicの映像上映かとか,振り子奏法のワークショップとか、ピクニック神戸編とか、いろいろ。とりあえず、企画書を書いてみようと言うことになった。今年は,神戸でもいろいろやってみようかな。

明日は、大阪芸大で七ツ矢さんの作品を踊って,天神橋筋6丁目のアートセントーで小島剛さんとパフォーマンスをして、夜は奈良のたんぽぽの家でワークショップ。なぜか、予定が重なって忙しい一日になりそうだ。
(佐久間新)
15年経った
1月16日
ISI(インドネシア芸術大学)のヘルサパンディ先生とスリ・ヘンダルト先生が我が家へ泊りにきた。お二人とも政府のプログラムで日本へ調査に来られた。この日は,マルガサリの練習にきて,そのまま我が家へ。とても寒いので、電気カーペットの上に布団を敷いて寝てもらった。

1月17日
6時頃から,となりでモゾモゾ聞こえる。起きていくと先生たちが震えていた。電気カーペットが6時間タイマーで切れたのだ。説明したんだけど,忘れてしまったようだ。ストーブをつけて,ジャワティで暖をとる。僕は、もう一眠り。もう一度起きて,家の前に出る朝市へ。寒い。この日は夜に集まりがあって,豚汁を作ることになっていたので,材料を購入。大根,人参,特大ごぼう,ネギ,里芋,椎茸,近所のおばあさんが作っている味噌と漬け物。ついでに餅も買った。後,厚揚げも買いたかったので,近所のたまご屋さんへ行くために,車に乗った。温度計はマイナス4度。9時前なのに・・・。たまご屋さんには、たまご以外にも,鶏肉や地元野菜などが売られている。しめじと厚揚げを購入。家へ戻って,ストーブで餅を焼いて食べる。ジャワの先生たちは家の中なのに毛糸の帽子をかぶっている。キャンプみたいで楽しい。朝食後,先生たちを大阪市大のゲストハウスまで送って行く。

15時、六甲アイランドにある神戸ベイシェラトンへ。3月に、ホテルとインドネシア領事館の共催で,ジャワの結婚式をテーマにしたパーティをするので、その打ち合わせ。3月13日(土)の昼間にランチパーティ。詳細が決まれば,またお知らせします。

17時,三宮から南へ下ったフェリーターミナルにあるQ2へ。神戸の震災を契機として生まれたグループ、アクト・コウベの集まり。マルセイユのベーシスト、バール・フィリップさんが神戸のニュースを見て,義援金集め、困っているであろう神戸の芸術家にカンパを持って来た。そのことをきっかけにして生まれたアートに関わる人たちのグループ。僕とイウィンさんも2000年から参加している。最近は、ほとんど活動を起こっていないが,15年を記念して久々に集まった。

僕が届けておいた野菜は,すでに下準備が終わっていた。料理やお酒を持ち寄ってのパーティになった。バールが呼びかけて出来たアクト・コウベ・フランスのメンバーのアラン・パパローンさんがスカイプでつながっていたので、豚汁の匂いを味わってもらった・・・。ひとしきり料理を食べた後,HIROSさんが何かすっぺか、佐久間君、といって石笛を吹き出した。ボウォボウォと炎のような低い音が鳴りはじめた。僕ものっそりと動き始めた。僕の左手でも,誰かが踊りに加わった。ヤンジャさんだった。3人で,結構長く、パフォーマンスをした。


1995年1月17日のことも思い出した。
20代半ばだった僕は,5年半通った大学をやめて,バイク便で働きながら留学の資金をためていた。連休明けのその朝,家は結構揺れたが,大阪市北区にあった事務所へバイクで出勤した。次次と被害が伝わるニュースを聞きながらも仕事をしていた。夕方になると,神戸の病院へパンと水を運んでほしいという要請が入った。何台かのバイクを連ねて,夕方、長田にあった鐘紡病院へ向かった。すごい風景だった。それから半年間,大阪ガスとか関西電力とかいろんな関係の荷物を運ぶために,毎日何度も神戸と大阪を往復した。その年の8月、ジャワ留学へ旅立つ直前まで,そんな日が続いた。


1月18日
朝から,大阪芸大へ。木曜日にある七ツ矢博資先生の退官記念コンサートのリハーサルがあった。ガムランの曲も書いている作曲の先生。コンサートは、無料で一般公開されているとのことなので,情報を書いておきます。

日時:1月22日(木) 13時20分?14時50分
会場:大阪芸術大学 3号館ホール
お問い合わせ:大阪芸術大学音楽学科 担当:檜垣智也、谷垣麻貴
       0721-93-3781(内線:3435)

レクチュア 「20世紀初頭のある断面?和声における色彩と機能」ードビュッシーとシェーンベルク
コンサート 
1 「に・じ・む」?独奏サイバー尺八のための?
   サイバー尺八:志村禅保 コンピュータ・プログラミング/音響技術:加登匡敏
2 「すれ合う伝統?ピアノ,ガムラン楽器と2人のだんさーのための?
   ピアノ:加納くみ子 ガムラン楽器:細田真平 バレエダンサー:松島あい ガムランダンサー:佐久間新

よろしければぜひ。鬼になって踊ります。
(佐久間新)

中国の新聞に載った
1月15日
朝から大阪芸大に行ってきた。作曲家の七つ矢博資先生の退官記念コンサートのリハがあった。「すれ合う伝統」という曲で,僕が踊るのは今回が3回目。ピアノ以外は,毎回編成が微妙に異なる。今回は,ピアノとガムラン(クンダン,ボナン,クンプール)という編成。舞踊は,バレエダンサーの松島あいさんと僕。大阪芸大60周年記念コンサート以来の再演。コンサートは,21日に大阪芸大の3号ホールで13時から。一般公開はされているのかな?もし、来たい方がいれば,コメントいただけますでしょうか。

先日,福岡の工房まるの代表、吉田さんからメールが来た。12月に、奈良のたんぽぽの家のメンバーと福岡の工房まるのメンバーと上海へ行った時のことが中国の新聞に載ったとのこと。実は、吉田さんの実家は豊能町内にあり,山は隔ているけれど,同じ町内。正月に帰省された際,吉田さんとお姉さんの家族と我が家の3人の総勢8人で近くの温泉に行ったのだ。

記事はウェブ上に。

http://xmwb.xinmin.cn/xmwb/html/2009-12/14/content_441180.htm

昨日,たんぽぽの家の岡部さんから,この時に様子の写真が届いた。みんないい顔をしている。初対面ですこしずつなごんでいく感じがいい。ダンスが生まれる瞬間だ。
日本朋友和??初?的学生快?交流3(程仁祥?)

日本朋友和??初?的学生快?交流5(程仁祥?)

?

新聞記事には,残念ながら,あまりダンスに関する記述はない。中国語は出来ないけど、想像を膨らませると何となく分かる。面白いのでちょっと書き出してみよう。

手挽手起舞 心贴心交流
手と手を取り合って,心と心の交流 (まあ、そんなところかな?)

中日残疾人艺术交流论坛在沪举行
中日 (向こうではこうなるけど 日中のことでしょう) 残疾人 (これは、障碍者のらしいです) 艺术 (字が簡単になって芸術) 交流论坛在沪举行 (そこで交流があったと)

まとめると
日中の障碍者による芸術交流会があった。

12月9日,“迎世博――‘2009大家的艺术’中日残疾人艺术交流论坛”在上海举行。来自本市各区的残疾人代表近100人出席了论坛。
迎世博 (これは万博でしょうね) 大家的艺术 (これでART FOR ALLらしいです) 上海举行 (上海であったと) 来自本市各区的残疾人代表近100人出席了论坛 (各地から代表が100人近く参加した)

まとめると
12月9日 万博のウェルカムイベント「2009 ART FOR ALL 日中障碍者芸術交流」が上海で開催され、市内各地から100人近い障碍者の代表が出席した。

12月10日,日本残疾人代表团访问了徐汇区纪勋初等职业技术学校,与学校的残疾学生交流。操场上,中日残疾朋友手挽手翩翩起舞;教室里,两国残疾朋友肩并肩挥笔作画。中午时分,日本友人津津有味地品尝了纪勋初职学生们精心制作的匹萨、酥饼和馄饨。日本代表团成员山野将志说:“来到上海太开心了!明年世博会期间,我一定再来。”

访问了徐汇区纪勋初等职业技术学校 (なんとか区にある紀勲初等職業技術学校を訪問) 与学校的残疾学生交流 (学校で障碍者の学生と交流) 操场上,中日残疾朋友手挽手翩翩起舞 (運動場で、違うかな? 日中の障碍者が友達になって,手を取り合ってヒラヒラ舞った) 教室里 (教室では) 两国残疾朋友肩并肩挥笔作画 (両国の障碍者の友達が肩を並べて、筆で絵を描いた) 中午时分 (お昼には) 日本友人津津有味地品尝了 (ここはちょっと難しい 日本の友達が地元の味を堪能した) 纪勋初职学生们精心制作的匹萨 (ここの学生が心を込めて作った) 酥饼和馄饨 (僕らが食べたのはピザとワンタンだったが、これはどっち?うどんみたいな字だな) 日本代表团成员山野将志说 (日本代表の山野君が言った) 来到上海太开心了! (上海へ来られて楽しいよ!) 明年世博会期间,我一定再来 (来年の万博の期間中に,もう一度来たい) 

まとめると
12月10日 日本の障碍者代表団がなんとか区にある紀勲初等職業技術学校を訪問。学校で障碍者と交流、運動場で、日中の障碍者が友達になって,手を取り合ってヒラヒラ舞った。教室では、両国の障碍者の友達が肩を並べて、筆で絵を描いた。お昼には、日本の友達が地元の味を堪能した。紀勲初等職業技術の学生が心を込めて作ったピザとワンタンを食べた。日本代表の山野君が言った。上海へ来られて楽しいよ!来年の万博の期間中に,もう一度来たい。

まあ、ちょっと間違っているだろうけど,大筋はこんなところだろう。自分で体験したことだからね。
(佐久間新)
ウロコ通信 94 書きました
2010年になりました。あけましておめでとうございます。新たな10年に向けての区切りですね。2000年1月に、僕はイウィンさんとジャワで結婚式を挙げました。彼女の母校であるジョグジャカルタ芸術高校のプンドポ(ジャワ風の大きな東屋)に、700人くらいの方々が集まってくれて、ガムランや舞踊もたっぷりの式でした。その1週間後に,日本へやって来ました。春には、豊能町の山里の寒天倉庫を改装しはじめて,GWからこのウロコ庵に住みはじめました。そして、9月には舞踊教室も開講しました。なので、今年は結婚も,家も,舞踊教室も10年の節目の年になります。よくぞ続いたと思います。結婚生活も,田舎生活も,舞踊教室も。綱渡りの連続,奇跡の連続でした。次の10年は、もっともっといい10年にしていきたいと思っています。皆さま、今後ともよろしくお願いします。この通信も今年中に100号達成を目指します。

さて、公演情報です。

1件目。
大阪市立大学の中川真さんは、「アートと社会包摂」に関連するさまざまなプロジェクトを推進中です。西成のカマン!メディアセンターと船場の船場アートカフェに続いて,天神橋に新しい拠点が生まれつつあります。元銭湯で、その名も天神橋アートセントー。この日は,これらの真さんのダジャレネーミングが効いた拠点を巡りながら,アートの可能性を考えていくそうです。僕は,アートセントーで,前回の大阪ピクニックにもゲストで参加してくれた音楽家の小島剛さんとパフォーマンスをします。すべて入場無料,申し込み不要です。一部だけの参加も可能ですが,トークにも参加して欲しいというのが,中川真さんからの伝言です。場所は、各ウェブをご参照ください。

2009年度プラザウィーク1月21日(木)

プログラム
12:50  集合場所 :JR 新今宮駅 東口
13:00  西成カマン!メディアセンター到着
    トーク: 原田麻以(cocoroom)
    テーマ:「カマン!メディアセンター」のこころみ
    会 場 : カマン!メディアセンター(西成プラザ)
http://www.kama-media.org/japanese/about/index.html

(移動 地下鉄堺筋線 動物園前~堺筋本町〉

15:00 船場アートカフェ到着
    トーク:嘉名光市or 高岡伸一
テーマ:「船場アートカフェ」のあゆみ(ポスター展示)
会 場:船場プラザ
http://art-cafe.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/

(移動 地下鉄堺筋線 堺筋本町~天神橋筋六丁目)

17:00 天神橋アートセントー到着
   パフォーマンス :小島剛(音響)&佐久間新(ダンス)
   トークセッション: 中川+櫻田ほかアートセントー運営委員会メンバー
テーマ:「アートセントー」の可能性
19:00 終了

2件目
大阪大学のコミュニケーションデザインセンターが中心となって企画しているオレンジショップに登場します。今年度、継続的に、僕が気になるからだのことをシリーズで
やっています。3回目までは、京阪なにわ橋駅のアートエリアB?1でしましたが、今回は大阪大学のオレンジショップで行います。ジャワ舞踊には、Banyu(水)Mili(流れる)というコンセプトがあります。寒い冬,湯気の動きがすごく気になっています。

オレンジカフェ―からだトーク「湯気ダンス」
実際に湯気を作る実験をしたり,からだを動かしたいと思っています。

雨上がり、山が折り返したところに靄が立ちこめている。乳白色の濃い部分と淡い部分が連なり、その先は消えている。
からだの気配を消して,靄のように忍び込んで踊れないだろうか。

寒い朝,炊飯器のふたを開けるとシュルシュルと湯気が次から次へと上っていく。渦を作ったり,揺らいだりしながら。
肩や腕を楽にして,湯気のように宙を舞って踊れないだろうか。

日時:1月22日(金)18:30?21:00
場所:豊中キャンパス 基礎工学部I棟1階
   コミュニケーションデザイン・センター:オレンジショップ
ゲスト:佐久間新
カフェマスター:西村ユミ、本間直樹
(参加無料,申し込み不要)

詳しくはウェブで,
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/activity/view/411?mode=0&page=1&discipline=&activity=&staff=&keyword=

3件目
船場アートカフェが主催する1ヶ月まるまるワークショップの1日を担当します。昨年始まった大阪ピクニック・プロジェクトの「夜編」になります。5感を総動員して,街を感じる試み。今回は,夜の船場を猫の視線になって,ピクニックしたいと思います。

マンスリーアートカフェ
都市とアートにまつわる知のショーケースが2月の1ヶ月間、今年も船場にオープンします。大阪市立大学が運営する船場アートカフェは、大阪の都心部にある雑居ビルの地下室を、都市とアートのインターフェースにして、日々実践的な知と感性の探求を繰り広げています。 2月はそんな船場アートカフェのショーケース月間。各方面でユニークな研究を展開する多彩なメンバー陣が、日替わりメニューで知とアートのエッジをリレーしていきます。 特別な知識や経験は必要ありません。あなたのアンテナが何かを感じとったら、アフターファイブにふらっと気軽にお立ち寄りください(参加無料)。

日時:2010年2月15日(月)19時?21時 (開場は開始の30分前)
会場:船場アートカフェ(三休橋エクセルビル北館地下1階)に集合。その後,船場界隈を歩いて,ピクニックします。
主催:船場アートカフェ(大阪市立大学都市研究プラザ)
あたたかい服装でお越しください。
詳しくはウェブで,
http://art-cafe.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/main_monthly.html

以上長くなりました。寒い日が続きますが,ぜひ一緒にからだを動かしましょう。




幸弘マジック
1月9日

I-Picnicのメンバーでイタリア美術が専門の野村幸弘さんが主催する岐阜大学芸術フォーラムへ出かける。お弁当を作って,11時前に出発。京都東まで地道で走って,高速に乗る。彦根あたりから 雪景色になってきた。伊吹山のSAで休憩。雪がたくさん積もっていたので,ブナと雪合戦。今年は、我が家の周りには、まだ雪がつもらないので,ブナは大喜び。雪に手を付けての我慢比べは,二人とも意地を張り合って,30秒。手の色が変わってしまう。冷たい冷たい。関ヶ原で高速を下りて,21号線を走って,岐阜市内を目指す。

少し迷ったが,なんとかアトリエ幻想工房に到着。古いビル丸ごとがアトリエ。1階には,美術作家としての幸弘さんの作品がたくさん。絵やインスタレーション。屋上からは,金華山にある岐阜城がよく見えた。近所の屋根の上には雪が残っていた。14時からフォーラムがゆるゆると始まる。だんだんと人が集まりながら,朝方まで続くのだ。幸弘さんからのお知らせメールによると,

岐阜大学芸術フォーラムは、2001年4月から始まり、途中、2003年、主催者野村幸弘のイタリア滞在により、1年の中断をはさみましたが、今年で10年目を迎えます。そして今年7月には、第100回記念を控えています。今年もどうか岐阜大学芸術フォーラムをよろしくお願いいたします。 さて、第94回岐阜大学芸術フォーラムは、明日1月9日(土)午後2時より、アトリエ幻想工房(岐阜市八ツ梅町2-17)にて開催します。

ということなのだ。前々から誘われていたのだけど,土曜日はマルガサリの練習があって、なかなか抜け出せなくて、今回はじめて出席できたのだった。岐阜大学の河川とか神社とかが専門の先生、通学中の子供がどこにいるかが分かるシステムを作っている先生、コピーライター,イベントプロデューサー,市役所職員で町おこしイベント企画の人といったところが最初の方の参加者だった。途中からガバッと参加者が増えてきた。おいしい野菜を持ってきてくれた人がいて、豚汁を作るというので,料理部隊に加わった。僕は,厨房作業が好きなのだ。

音響の専門家とその友人,ドイツ哲学家,書道家とその子供とその夫のパナソニックの研究員、即興パフォーマー、ジャンベ叩き,幸弘さんの元教え子,コミュニケーション音楽家とその友人も夜になってやってきた。豚汁と野菜スティックサラダ,きな粉もち、甘酒などを次々と作っていった。僕は,車なので飲めなかったが,イウィンさんは甘酒を3杯もお代わりしていた。ブナは子供がいたこともあって,大喜びだった。

フォーラムは、その回によって,内容が違うそうだが,今回は食べながら,参加者がめいめいに好きな相手と好きな話題を話すという、簡単に言うと宴会そのものだった。これが、10年100回も続いているのだ。恐るべし幸弘マジックである。本人は,料理を振る舞うわけでもなく,シャンペンを片手に,こたつの近くでゴロゴロしているだけなのだ。幸弘さんのこのリラックス能力は、去年のI-Picnicツアーでも話題になっていたのだ。

この日,唯一決まっていたのは,去年のI-Picnicのハンガリー?オーストリア編のDVDが一部完成したので,それを上映することだった。残念ながら,僕は翌日午前中から,インドネシア語の授業があるので、帰らなければならなかった。22時頃、帰ろうかと立ち上がるとなんとなく踊る雰囲気になり,そこから即興ダンスが始まった。参加メンバーの各自が音を出したり,叫んだり,動いたり,子供たちも大活躍した。いい感じの即興になった。

家に帰って,DVDを見た。ハンガリーの子供たちとのダンス,ドナウの川辺でのダンス,オーストリアの音楽学校でのワークショップ,野外での集団即興,教会のでコンサートといったラインナップ。クレムスのは未完成だった。

STAMPOK PARK

BY THE DANUBE

The Workshop in PERchtoldsdorf

Impro-Garden

The Consert in Spitals Kirche

どれも見応えがあった。一昨年は,浅草のアサヒアートスクエアで,上映会をした。今年も,I-Picnicの上映会をしたいなあ。そして、幸弘さんとは,共同でダンス作品を作ることも計画中なのだ。

(佐久間新)

さっくん!!
1月2日
高校の同窓会があった。高校を卒業してはじめての学年全体の同窓会。1987年に卒業して以来だから23年ぶり。担任だった藤上サンの退官記念パーティ,クラスの友人との小規模な集まり,僕の留学壮行会、同級生の近持クンや岩崎クンが亡くなった時の集まりなんかがあり,時々顔をあわす友人もいた。3年くらい前から,もうちょっとみんなで集まりたいね,という話が広がりはじめた。正月やゴールデンウィークに、帰省した友人を呼び出して,5人から15人くらいで集まって,何度か飲んだ。

高校時代はハニカミ屋だった別所クンが20年経っておしゃべりに変身していた。仲が良かった僕は,高校1年からその素質は見抜いていたけど・・・。彼が,大同窓会の幹事役を買って出た。ラグビー部の別所クンとサッカー部の武田ゆうきクンが中心となって、各クラスのとりまとめ役を選んで,何度かミーティングを開き,呼びかけの招待状を送った。結果,なんと卒業生の半分近い240名から出席したいと返信があった。担任の先生も12人中9人が参加してくれることになった。

16時30分、阪急豊中駅近くにあるホテルアイボリーに到着。目が合った瞬間,23年前の記憶が一気によみがえってくる顔もあれば,しばらく経って,23年分の人生の襞を少しずつかき分けながらようやく高校時代と今とが結びつく顔もあった。それでも、みんなそれぞれの人生を刻んだいい顔になっていた。ロビーには,顔が分かっても,どんなトーンでしゃべったらいいのか、あだ名で読んだらいいのか,呼び捨てにしてもいいんだろうか、という微妙なとまどいの空気も流れていた。でも、同じクラブだったラグビー部の連中の顔が見えると,僕は理屈無しに思わずお腹にパンチを入れてしまった。肉体の記憶。スクラムハーフだった田口クンがおでこに手を当てて、「佐久間は,こっから下は全然変わってないなぁ。」とニヤニヤした。彼は、やたらにフサフサだった。横にいたのは,ナンバーエイトのまっちゃんか?!まっちゃんは、僕と一緒のサビイシイ系グループ。

僕は,踊ることになっていたので,控え室で準備をした。パーティは17時に始まった。シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムから始まって,プリンス,デュラン・デュラン、ワムの曲が続いた。80年代半ばは,洋楽全盛時代だったのだ。選曲は軽音楽部の山本まさクン。司会はサッカー部の武田ゆうきクン。同級生の前で踊るのは、いつもとは違う緊張感だ。うーん、緊張とは少し違う,何か覚悟のようなものが必要だ。いろいろなことを見透かされている人たちの前で踊る覚悟。みんなそれぞれの23年間を生きてきて,社会や家庭でそれなりに大切な役割を担っているのだろう。その彼らの前で,自分がどんなダンスを磨いてきたのか,それが試されるようだった。とにかく、ほとんどの同級生は,僕がよもやダンサーになっているとは、知らなかったのだから・・・。

17時45分,笠原純子さんのピアノが始まった。ヨーロッパで賞を取ったり,世界的に活躍しているようだ。彼女のピアノの音を聞きながら,ゆっくりと味わいながら,舞台袖で,衣装を整えた。いい時間だった。会場は少しざわついていたが,ピアノの音は次第にうねりになって,響きはじめた。続いて,ガムランの前奏が始まると,僕は袖からスッと舞台へと上がった。なんと!200人が舞台を取り囲んでいて、最前列には、ラグビー部の連中が座り込んで並んでいた。高ぶる気持ちを抑え、ジャワ舞踊の世界,自分の世界へと下りていった。自分を消して舞踊自体になることとそれでも残る自分自身とをせめぎあわせながら,その交差するエッジを綱渡りして踊った。みんなが見つめる空気を感じて,楽しんで,それを揺るがし,切り裂きながら踊った。

僕らの高校は文化祭が盛んだった。どのクラスも競い合って演劇や映画を作ったし,軽音楽部のライブも窒息寸前の視聴覚室で大いに盛り上がった。僕らのクラスは、1年の時は映画,2,3年では演劇をやった。2,3年と,僕は、女子にメイクをしてもらい,衣装を着て舞台に立った。その時と今とは、つながっているのか、いないのか。見ているみんなも、それぞれの記憶をよみがえらせていたかもしれなかった。ダンスの後,何人もが声をかけてくれた。20代や30代ではなく,40代になった今,届くメッセージというのがあるのかもしれない。

2次会も,引き続き同じ会場だった。170名が残った。この日,僕はひそかな希望を持っていた。僕は,小学校6年の途中で引っ越し,同じ市内の別の校区の中学校へ行った。高校へ入ると,小学校の時の友達も見かけた。しかし、なぜかしゃべりかけることが出来なかった。中学の3年間で出来た自分の伸びシロの差異が,小学生のもっと無邪気で純真だった自分を知っている友達と話すことを邪魔していたのかもしれない。15歳の自意識は,垂直にどこまでも伸びて,自らを不自由にしていた。今日だったら,「あの頃は,なんとくしゃべりにくかったよなぁ。」と話しかけられそうな気がしていたのだ。

隣のテーブルに、ててサンの顔を発見した。後藤田さん。ててと呼ばれていた。ハニカミ屋だった僕は,女子をあだ名では読んでいなかったような気もするが、今だったら,「ててサン!」と呼びかけられる気がしていた。テーブルへ近づいて行くと,

「あっ、さっくん!!さっくん、久しぶりやな。」

と、ててサンから声をかけてきた。そうや、僕はさっくんと呼ばれていた。ててサンは、「さっくん、さっくん!」と連発した。ててサンと僕は、同じ仲良しグループで,交換日記もしていた。「さっくんは、お母さんに見られるのがいやで,トイレで書いてたんやで。」と言った。僕は,そんなことは覚えていないけど,交換日記のことはよく覚えている。小学校以来だから,ほぼ30年ぶり。浅井まりチャン,河合かずなりクン、坂和サンともしゃべったり,写真を撮ったり。「さっくんって、おかっぱの長髪で、運動神経の固まりって感じで,でもちょっと悪かったよな。」ふーん、そんなイメージが残っているんだ・・・。

翌々日来たててサンからのメールによると、どうやら彼女は,高校時代に僕としゃべっていなかったのを忘れていたらしい。小学校の時のイメージがものすごく強く残っていたから、全然違和感無く「さっくん、さっくん。」と呼びかけられたそうだ。

3次会は、駅前の居酒屋。最後は,20人くらいになった。高校1年の時に,同じ文化委員で一緒に映画を作った上畑じゅんチャンは、実にいろんなことを覚えている。やっぱり翌々日に来たじゅんチャンからのメールによると,

文化祭の打ち上げの中華料理店で、回転テーブルをいきおいよくまわしてしまい、醤油がこぼれ、「おまえ、はしゃぎすぎ!」と佐久間くんに叱られたこととか。(笑)

っていうことがあったらしい。僕は結構昔のことを覚えている方だが,この記憶は無い。同じ時を過ごしたみんなが、それぞれに記憶に留めていることがある。久々に出会って、みんなの記憶の中のいる自分に出会うのは楽しいことだ。三周目の20年に入った今,ちょっと立ち止まって自分の歩いてきた道を眺めて,これからの道を進み始めるのも悪くないと思っている。30年前には,トイレで日記を書いていたのに,今ではこんな公開日記を書いている。年を取るって,すごいなぁ。
(佐久間新)
Copyright © 2010 Marga Sari All Rights reserved.
Designed by aykm
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。