今日は8月最後の日。拍子抜けした夏が行き過ぎて、天は高くなり、もはや涼しい風が稲穂をカサカサならしています。

8月20日
毎月第1第3木曜日は、奈良のたんぽぽの家でWS。この日は、中川真さんが「中川真式ワークショップ」をしたいと言うので、僕は参加者になった。上田假奈代さんが書いた「水と女たちと5色の糸よ」を朗読し、それを聞いて感じたままに演奏してみる、というのをまずやった。
たんぽぽWSに参加している小松泰子さんが朗読し、森下静香さんがボナン(ガムランの楽器)に入った。
さいしょは 風を連れてくる
あの雲のむこうの山の連なる
幾千の谷と
幾千の川を越えて
生まれてくる風を
そして 一千行の滑走路を越えて
さんざめく色とりどりの旗をゆらし
ことばをたずさえて
女たちがやってくる
小松さんの声が心地よく響いていく。それに合わせて森下さんのボナンがつぶやくように応答する。ただ鳴らしているんだけど、一音一音に表情がある。
(中略)
目をとじていなさい
おだやかにいなさい
呼吸の音をきいていなさい
いのちのじかんを
いのちのことばを
風がはこんできます
これでおしまい。
朗読する人を代えながら、何周かやってみた。たんぽぽWSに参加してるメンバーは、何の気負いもなく、即興演奏をした。真さんがすこし驚いていた。僕は、なんだかうれしくなった。たんぽぽの家でワークショップをはじめて3年。毎回、寝返りをしたり、ペットボトルで波を作ったり、外に出て木になってみたり、坂を転がってみたり、へんてこなことばかりしていた。が、それがじんわりとみんなの中に染み込んでいるんだなあ、と感じてじんわりとうれしくなった。
8月21日
神戸のサンチカでインドネシアの観光促進イベント。イウィンさんが踊ることに、僕はマネージャー。もう一人のバリ人舞踊家と一日中サンチカ。このイベントは23日まで続く。
8月22日
朝からサンチカヘ。午後からは、こりあんコミュニティ研究会が主催するイベントへ。
<主催者のメッセージ>
桜ノ宮の「龍王宮(りゅうおうきゅう)」をご存知ですか? JR環状線桜ノ宮駅の大阪寄りホームの下、大川(旧淀川)の河川敷(毛馬桜の宮公園内)にあります。大阪に暮らす済州島(チェヂュド)出身者の女性たちの祈りの場として長く営まれてきました。そこが「不法占拠」を理由に近々立ち退きになります。
大阪市在住の作家の元秀一(ウォンスイル)さんは小説『猪飼野物語』(草風館)の中で「龍王宮」を登場させ、大阪市出身の梁石日(ヤンソギル)さんは『魂の流れゆく果て』(光文社文庫)の中で、若い頃、オモニのお供で龍王宮へ行ったことを書かれています。
大阪府と大阪市は夏から秋にかけて「水都大阪2009」という一連の企画をしています。しかし、そこには、故郷の済州島につながる水辺で大阪の文化をともに育んできた「龍王宮」のことはまったく抜け落ちています(ちなみに、今年6月に「大阪なるほど再発見!なにわなんでも大阪検定」が始まりました。橋爪紳也編『大阪の教科書?大阪検定公式テキスト?』を見ても、大阪をつくるのに大いに貢献した古代の朝鮮からの渡来人や近現代の朝鮮人についての言及はほとんどありません)。
そこで私たちは2010年の「韓国併合」100周年を前に、【龍王宮プロジェクト?もうひとつの「水都大阪2009」】として、「龍王宮」のことを知って、みんなに伝えていきたいと思います。今後、調査・研究・記録などの活動も予定しています。
この中の【龍王宮祝祭?もうひとつの「水都大阪2009」】に出演した。
僕自身、異国の王宮の舞踊をやっている。龍王宮は、訳あって異国にすむ済州島の人が河原に作ったカミサマと交信する場。そこでどんな舞が続けられてきたのか・・・。
そんな空気を少しでも感じられないかと思いながら、木に登ったり、水しぶきを空高くまき上げたり、地面に転げ回ったりしながら踊った。最後は、観客も巻き込んでの大団円になった。
出演者:中川真、西真奈美、川上春香、原田満智子(以上ジャワガムラン)、小林江美(バリガムラン)、岩澤孝子(タイ舞踊)、小林加奈(タマ トーキングドラム)、伊藤悟(中国少数民族の笛)、ティティポル(タイの弦楽器)、マイケル・サカモト(舞踏)、張+朴実(韓国打楽器)
打ち上げは、天満のホルモン系焼き肉の「岩崎塾」。店に入ると机にカンテキがのっかっていて、煙がモウモウ立ちこめている。朝鮮半島出身の人、大阪で生まれた半島の血を引く人なんだけど半島の言葉をうまくしゃべれない人、しゃべれる人、奥さんが日本人のタイの人、ロサンゼルスで生まれた日本の血を引く人で日本語がしゃべれないんだけどなぜか舞踏をしている人、日本で生まれた日本人なのになぜかジャワやバリやタイや中国やセネガルの音楽やダンスをしている人、みんながモウモウとたちこめる煙の中で飲んで食べて歌って踊った。
このイベントは、もうひとつの「水都大阪2009」。僕は、いわゆる「水都大阪2009」にも、出演することになっている。
大川を、龍王宮からもう少し下っていくと川が二股に分かれる。そこが中之島。もう始まっていて連日たくさんのWSが行われている。9月4、5日の二日間に渡って、ガムランとワヤン(影絵芝居)のワークショップをする。案内人は、中川真、ロフィット・イブラヒム、佐久間新。
詳しくは下記のサイトで。
http://www.suito-osaka2009.jp/
水辺の文化座ウェブサイト上の予約フォーム。
http://www.bunkaza.suito-osaka2009.jp/artist/form104.html

8月20日
毎月第1第3木曜日は、奈良のたんぽぽの家でWS。この日は、中川真さんが「中川真式ワークショップ」をしたいと言うので、僕は参加者になった。上田假奈代さんが書いた「水と女たちと5色の糸よ」を朗読し、それを聞いて感じたままに演奏してみる、というのをまずやった。
たんぽぽWSに参加している小松泰子さんが朗読し、森下静香さんがボナン(ガムランの楽器)に入った。
さいしょは 風を連れてくる
あの雲のむこうの山の連なる
幾千の谷と
幾千の川を越えて
生まれてくる風を
そして 一千行の滑走路を越えて
さんざめく色とりどりの旗をゆらし
ことばをたずさえて
女たちがやってくる
小松さんの声が心地よく響いていく。それに合わせて森下さんのボナンがつぶやくように応答する。ただ鳴らしているんだけど、一音一音に表情がある。
(中略)
目をとじていなさい
おだやかにいなさい
呼吸の音をきいていなさい
いのちのじかんを
いのちのことばを
風がはこんできます
これでおしまい。
朗読する人を代えながら、何周かやってみた。たんぽぽWSに参加してるメンバーは、何の気負いもなく、即興演奏をした。真さんがすこし驚いていた。僕は、なんだかうれしくなった。たんぽぽの家でワークショップをはじめて3年。毎回、寝返りをしたり、ペットボトルで波を作ったり、外に出て木になってみたり、坂を転がってみたり、へんてこなことばかりしていた。が、それがじんわりとみんなの中に染み込んでいるんだなあ、と感じてじんわりとうれしくなった。
8月21日
神戸のサンチカでインドネシアの観光促進イベント。イウィンさんが踊ることに、僕はマネージャー。もう一人のバリ人舞踊家と一日中サンチカ。このイベントは23日まで続く。
8月22日
朝からサンチカヘ。午後からは、こりあんコミュニティ研究会が主催するイベントへ。
<主催者のメッセージ>
桜ノ宮の「龍王宮(りゅうおうきゅう)」をご存知ですか? JR環状線桜ノ宮駅の大阪寄りホームの下、大川(旧淀川)の河川敷(毛馬桜の宮公園内)にあります。大阪に暮らす済州島(チェヂュド)出身者の女性たちの祈りの場として長く営まれてきました。そこが「不法占拠」を理由に近々立ち退きになります。
大阪市在住の作家の元秀一(ウォンスイル)さんは小説『猪飼野物語』(草風館)の中で「龍王宮」を登場させ、大阪市出身の梁石日(ヤンソギル)さんは『魂の流れゆく果て』(光文社文庫)の中で、若い頃、オモニのお供で龍王宮へ行ったことを書かれています。
大阪府と大阪市は夏から秋にかけて「水都大阪2009」という一連の企画をしています。しかし、そこには、故郷の済州島につながる水辺で大阪の文化をともに育んできた「龍王宮」のことはまったく抜け落ちています(ちなみに、今年6月に「大阪なるほど再発見!なにわなんでも大阪検定」が始まりました。橋爪紳也編『大阪の教科書?大阪検定公式テキスト?』を見ても、大阪をつくるのに大いに貢献した古代の朝鮮からの渡来人や近現代の朝鮮人についての言及はほとんどありません)。
そこで私たちは2010年の「韓国併合」100周年を前に、【龍王宮プロジェクト?もうひとつの「水都大阪2009」】として、「龍王宮」のことを知って、みんなに伝えていきたいと思います。今後、調査・研究・記録などの活動も予定しています。
この中の【龍王宮祝祭?もうひとつの「水都大阪2009」】に出演した。
僕自身、異国の王宮の舞踊をやっている。龍王宮は、訳あって異国にすむ済州島の人が河原に作ったカミサマと交信する場。そこでどんな舞が続けられてきたのか・・・。
そんな空気を少しでも感じられないかと思いながら、木に登ったり、水しぶきを空高くまき上げたり、地面に転げ回ったりしながら踊った。最後は、観客も巻き込んでの大団円になった。
出演者:中川真、西真奈美、川上春香、原田満智子(以上ジャワガムラン)、小林江美(バリガムラン)、岩澤孝子(タイ舞踊)、小林加奈(タマ トーキングドラム)、伊藤悟(中国少数民族の笛)、ティティポル(タイの弦楽器)、マイケル・サカモト(舞踏)、張+朴実(韓国打楽器)
打ち上げは、天満のホルモン系焼き肉の「岩崎塾」。店に入ると机にカンテキがのっかっていて、煙がモウモウ立ちこめている。朝鮮半島出身の人、大阪で生まれた半島の血を引く人なんだけど半島の言葉をうまくしゃべれない人、しゃべれる人、奥さんが日本人のタイの人、ロサンゼルスで生まれた日本の血を引く人で日本語がしゃべれないんだけどなぜか舞踏をしている人、日本で生まれた日本人なのになぜかジャワやバリやタイや中国やセネガルの音楽やダンスをしている人、みんながモウモウとたちこめる煙の中で飲んで食べて歌って踊った。
このイベントは、もうひとつの「水都大阪2009」。僕は、いわゆる「水都大阪2009」にも、出演することになっている。
大川を、龍王宮からもう少し下っていくと川が二股に分かれる。そこが中之島。もう始まっていて連日たくさんのWSが行われている。9月4、5日の二日間に渡って、ガムランとワヤン(影絵芝居)のワークショップをする。案内人は、中川真、ロフィット・イブラヒム、佐久間新。
詳しくは下記のサイトで。
http://www.suito-osaka2009.jp/
水辺の文化座ウェブサイト上の予約フォーム。
http://www.bunkaza.suito-osaka2009.jp/artist/form104.html
(佐久間新)
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8月10日
月曜日は、朝から家族3人で淡路島の奇跡の星の植物館へ。バリが特集されており、僕らもお隣のジャワ島の舞踊で花を添えることに。
ラン、ロータス、ハイビスカス、ジャスミン、プルメリア、マンゴー、バナナ、パンノキ、レモングラス、ショウガいろいろ、食虫植物など、熱帯の植物に囲まれた大きな温室が会場だった。台風がやってきそうだったので、曇天。晴れたら大変だっただろうな。時折、観客席の上からミストが降り注ぐ。
上半身裸のコスチュームで温室の片隅に立っていると、なんとも心地いい。肌が湿ってきて、土と花のにおいが空気中に漂っている。それをかき分けて踊れそうな感じ。ジャワのガムランでも舞踊でも、この湿った感じを出すのが難しい。
ジョグジャやソロでは、ジャワの暦(パサラン)が一周する35日に1回、演奏や舞踊が行われる集まりがある。夜の9時頃から12時過ぎまで、間に食事やおしゃべりも挟みながら、ゆったりと繰り広げられる。個人の家の場合はこんな感じ。路地に明かりが漏れてくるドアの前には、何十というサンダルが脱ぎ捨てられている。壁際に座った人と握手を交わしながら、部屋を奥へ進み、その日のホストへ近づいて行き、挨拶をする。揚げバナナや揚げ豆腐や茹で落花生が入ったお皿が点在している中、ガムランの近くの居心地の良さそうな場所を探し、腰を下ろす。なにしろ3時間以上の長丁場である。座るとまもなく男性が優雅に腰を屈めながらお茶を持ってやってくる。甘い甘いお茶がおいしい。丁字入りタバコの甘い煙がたなびく。シンデン(女性歌手)達が笑うとと香水がふわっと立ちこめる。
ガムランが、流れ始める。ルバーブ(擦弦楽器)の湿った響きに、シンデンのとろける声が絡んで行く。クンダン(両面太鼓)が闇を揺らす。聞いている僕の首の骨の間は、グリスが入ったようになり、だんだんとゆっくり動き始める。
8月12日
炎天下で肉体系のバイトを終え、ブナを保育所へ迎えに行き、帰宅。イウィンさんが自宅の前の坂道で涼んでいた。近所のおばさんが植えている大葉とみょうがを摘みに行く。晩ご飯は素麺に決定。それと空芯菜(カンクン)と牛肉の炒め物、近所おばさんにもらったキュウリとトマト。
水浴び(マンディ)をして、イウィンさんとブナは、家の前の坂で線香花火のミニミニ花火大会。僕は缶酎ハイ片手に少し離れた坂に寝っころがって、星を眺めた。足下からは蛙の声、左からは鈴虫の声が聞こえた。右の遠くでは、昼の暑さに狂った蝉がカサカサと羽をならし、時折鳴いていた。しばらくすると、足下からは稲の香りを含んだ涼しい風がざわわざわわと上がってきた。ベガの直角三角形がよく見えた。二人は家へ戻ってスイカを食べているようだったが、僕は、流れ星でも見えないかとしばらく粘ってみた。
月曜日は、朝から家族3人で淡路島の奇跡の星の植物館へ。バリが特集されており、僕らもお隣のジャワ島の舞踊で花を添えることに。
ラン、ロータス、ハイビスカス、ジャスミン、プルメリア、マンゴー、バナナ、パンノキ、レモングラス、ショウガいろいろ、食虫植物など、熱帯の植物に囲まれた大きな温室が会場だった。台風がやってきそうだったので、曇天。晴れたら大変だっただろうな。時折、観客席の上からミストが降り注ぐ。
上半身裸のコスチュームで温室の片隅に立っていると、なんとも心地いい。肌が湿ってきて、土と花のにおいが空気中に漂っている。それをかき分けて踊れそうな感じ。ジャワのガムランでも舞踊でも、この湿った感じを出すのが難しい。
ジョグジャやソロでは、ジャワの暦(パサラン)が一周する35日に1回、演奏や舞踊が行われる集まりがある。夜の9時頃から12時過ぎまで、間に食事やおしゃべりも挟みながら、ゆったりと繰り広げられる。個人の家の場合はこんな感じ。路地に明かりが漏れてくるドアの前には、何十というサンダルが脱ぎ捨てられている。壁際に座った人と握手を交わしながら、部屋を奥へ進み、その日のホストへ近づいて行き、挨拶をする。揚げバナナや揚げ豆腐や茹で落花生が入ったお皿が点在している中、ガムランの近くの居心地の良さそうな場所を探し、腰を下ろす。なにしろ3時間以上の長丁場である。座るとまもなく男性が優雅に腰を屈めながらお茶を持ってやってくる。甘い甘いお茶がおいしい。丁字入りタバコの甘い煙がたなびく。シンデン(女性歌手)達が笑うとと香水がふわっと立ちこめる。
ガムランが、流れ始める。ルバーブ(擦弦楽器)の湿った響きに、シンデンのとろける声が絡んで行く。クンダン(両面太鼓)が闇を揺らす。聞いている僕の首の骨の間は、グリスが入ったようになり、だんだんとゆっくり動き始める。
8月12日
炎天下で肉体系のバイトを終え、ブナを保育所へ迎えに行き、帰宅。イウィンさんが自宅の前の坂道で涼んでいた。近所のおばさんが植えている大葉とみょうがを摘みに行く。晩ご飯は素麺に決定。それと空芯菜(カンクン)と牛肉の炒め物、近所おばさんにもらったキュウリとトマト。
水浴び(マンディ)をして、イウィンさんとブナは、家の前の坂で線香花火のミニミニ花火大会。僕は缶酎ハイ片手に少し離れた坂に寝っころがって、星を眺めた。足下からは蛙の声、左からは鈴虫の声が聞こえた。右の遠くでは、昼の暑さに狂った蝉がカサカサと羽をならし、時折鳴いていた。しばらくすると、足下からは稲の香りを含んだ涼しい風がざわわざわわと上がってきた。ベガの直角三角形がよく見えた。二人は家へ戻ってスイカを食べているようだったが、僕は、流れ星でも見えないかとしばらく粘ってみた。
(佐久間新)
まずは、8月1日に神戸のClubQ2でのイベントの様子が、YOMIURI ONLINEで見られます。
http://osaka.yomiuri.co.jp/movie/topics/mv90807c.htm
僕の登場は一瞬ですが、なかなかコンパクトにまとめられていて、Gempaの様子も分かります。
ここから日記です。
今日8月9日は日曜日なので、本町のインドネシアレストランCITA-CITAで、インドネシア語のレッスン。夏休みで、インドネシアへ行っている人がいたりで、早くレッスンが終わった。ちょうど、連絡をもらっていた宮本博史さんの個展期間中だったので、見に行った。自宅を公開しての個展。マンションの一室である宮本家に入ると、宮本さんとお父さんがテレビを見てくつろいでいた。なんだか変な感じだが、すぐ打ち解けた。家族の様々な記録が並べられている。
特攻隊で命拾いしたおじいさんの義眼があり、触ってみるとつるんとしていた。お父さんによると、毎食後目から出して、茶碗に注いだお茶で洗っていたそうだ。1958年に書かれたお父さんの日記は、細かな字で最後のページまで書かれていた。戦死した腹違いの弟さんのアルバムには、不思議な字体のキャプションがついていた。お母さんがお父さんへ宛てたラブレターは、かわいい便せんに書かれ、とても素敵だった。そして様々な年代の映像が流れている。
気がつけば、お母さんもやってきていた。僕の背後の食卓では、映像の中に映っている人たちが、年を重ねた姿をして団らんしていた。
人間が生きていく営みのはかなさやいとおしさ、人の縁や運命の不可思議さ感じた。なんだか心が揺さぶられた。
展覧会は明日までです。
以下は、宮本さんからのメールの引用です。
・・・ ・・・
お久しぶりです、宮本博史です。
お元気にされていますか?
(以下、展覧会 情報です。)
『そこでなくて ここなのだろう』
会場は、亡くなった 祖父母が住んでいた部屋で、現在は 父が使っている所です。
そこに、私たち家族の 半世紀ほどの記録物を展示します。
その内容は、現自宅と同じ所の 50年前の8mmフィルムや、1958年の父の日記、結婚前に 母が父に送った手紙、私が産まれた際の8mmフィルム、祖母の火葬許可書 など、、
ある一家族の営みから 生まれたものたちです。
もし よろしければ、父と私が 常駐していますので、展示物に関する 思い出話などもいたします。
日時:7月30日(木)?8月10日(月) 13:00?20:00(無休)
会場:〒545-0005 大阪府大阪市阿倍野区三明町2-7-23-502(地図は こちらへ→ http://sumibiraki.blogspot.com/2009/07/d1730-810.html)
詳しくは こちらへ→ http://sumibiraki.blogspot.com/2009/07/d1730-810.html
?住み開きアートプロジェクトとは??
大阪を中心に全国津々浦々の「住み開き」(自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のこと)事例をネットワーキングするプロジェクトである。2009年7?8月の週末は、一般参加型の現地フィールドワークやパーティー、展覧会や上映会、住み開きシンポジウムなどを開催する。
・・・ ・・・
http://osaka.yomiuri.co.jp/movie/topics/mv90807c.htm
僕の登場は一瞬ですが、なかなかコンパクトにまとめられていて、Gempaの様子も分かります。
ここから日記です。
今日8月9日は日曜日なので、本町のインドネシアレストランCITA-CITAで、インドネシア語のレッスン。夏休みで、インドネシアへ行っている人がいたりで、早くレッスンが終わった。ちょうど、連絡をもらっていた宮本博史さんの個展期間中だったので、見に行った。自宅を公開しての個展。マンションの一室である宮本家に入ると、宮本さんとお父さんがテレビを見てくつろいでいた。なんだか変な感じだが、すぐ打ち解けた。家族の様々な記録が並べられている。
特攻隊で命拾いしたおじいさんの義眼があり、触ってみるとつるんとしていた。お父さんによると、毎食後目から出して、茶碗に注いだお茶で洗っていたそうだ。1958年に書かれたお父さんの日記は、細かな字で最後のページまで書かれていた。戦死した腹違いの弟さんのアルバムには、不思議な字体のキャプションがついていた。お母さんがお父さんへ宛てたラブレターは、かわいい便せんに書かれ、とても素敵だった。そして様々な年代の映像が流れている。
気がつけば、お母さんもやってきていた。僕の背後の食卓では、映像の中に映っている人たちが、年を重ねた姿をして団らんしていた。
人間が生きていく営みのはかなさやいとおしさ、人の縁や運命の不可思議さ感じた。なんだか心が揺さぶられた。
展覧会は明日までです。
以下は、宮本さんからのメールの引用です。
・・・ ・・・
お久しぶりです、宮本博史です。
お元気にされていますか?
(以下、展覧会 情報です。)
『そこでなくて ここなのだろう』
会場は、亡くなった 祖父母が住んでいた部屋で、現在は 父が使っている所です。
そこに、私たち家族の 半世紀ほどの記録物を展示します。
その内容は、現自宅と同じ所の 50年前の8mmフィルムや、1958年の父の日記、結婚前に 母が父に送った手紙、私が産まれた際の8mmフィルム、祖母の火葬許可書 など、、
ある一家族の営みから 生まれたものたちです。
もし よろしければ、父と私が 常駐していますので、展示物に関する 思い出話などもいたします。
日時:7月30日(木)?8月10日(月) 13:00?20:00(無休)
会場:〒545-0005 大阪府大阪市阿倍野区三明町2-7-23-502(地図は こちらへ→ http://sumibiraki.blogspot.com/2009/07/d1730-810.html)
詳しくは こちらへ→ http://sumibiraki.blogspot.com/2009/07/d1730-810.html
?住み開きアートプロジェクトとは??
大阪を中心に全国津々浦々の「住み開き」(自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のこと)事例をネットワーキングするプロジェクトである。2009年7?8月の週末は、一般参加型の現地フィールドワークやパーティー、展覧会や上映会、住み開きシンポジウムなどを開催する。
・・・ ・・・
(佐久間新)
木曜日は、斑鳩ホール。金曜日は、大和高田のさざんかホール。そして、土日は、神戸のQ2で「マンディサマサマ」。4日間連続公演。
土曜日は、セミナーとジャワ島中部地震を契機に生まれたラハルジョさんの作品「Gempa」の上演。「Gempa」の上演は、3回目。バリガムランの小林江美さん、バーンスリーのHIROSさん、それから数名のガムランエイドメンバーもパフォーマンスに加わった。地震を忘れないために行うお祭りのように、いろんな方にこれからも参加して行ってほしいと思う。それが、ラハルジョさんの願いでもある。僕は、地震を引き起こすダンスをした。蛇のようにも見える長い白い布を引きずったり、振り回したりして、暴れ回った。二日目の打ち上げの最後に、ボランティアの学生スタッフの女の子が話しかけてきてくれた。小学生の時に、灘区で地震を体験した時のことをすごく思い出した。蛇のダンスは、怖かったけど、自分の体験と近くて、なぜかうれしかったと。ラハルジョさんによると、今はまだジャワではできないと言う。しかし、いずれは、ジャワでもやることになるだろう。
日曜日は、11時から17時までの長丁場。僕の出番もいろいろあった。11時からのオープニングで、まずは伝統舞踊。Q2はフェリー乗り場なので、海に突き出た埠頭になっている。僕は踊りながら、お客さんの後ろの海が見えるし、お客さんは僕のバックに海が見える。ジャワ舞踊は、波の舞踊。とても気持ちがよかった。後で、見に来ていた美術家の西純一さんに写真をもらった。10年前、スペース天で帰国して初めて踊った時の写真と見比べると、姿勢はほとんど変わらないんだけど、心持ちが変わっているのが、映り込んでいる。ほんとにわずか変化なんだけど、これが10年の変化。
午後からは、美術家の池上純子さんたちとパフォーマンスをした。古い味のある階段。タイルに、手すりに、窓枠に、触ると感じる木目があり、長い時間の記憶が詰まっている。波打ったガラスを通して入る柔らかな光の中で、時間が経過して行った。
続いて、ワークショップ。波のワークショップ、振り子奏法のワークショップ。参加者の方も見事な波を送ってくれて、その波揺らされて、ガムランを叩いた。このシリーズは、どんどん深めて行きたい。最後に、少し湯気のダンスを試みるが、夏場は湯気が見えにくい。寒くなってきたら、またやってみよう。
そして、最後の大混浴。僕は、構成役をまかされていた。すべての出演者、美術家が参加した。ラハルジョさんの「Gempa」(地震)のその後を試みた。少しずつ再生して行くプロセス。しかし、いつしか地震は繰り返される。そして、また再生が始まる。破壊と再生の繰り返し。その再生に、すこしでも新しいなにかを加えていきたい。そんな思いを「シェア」したい、というのが今回のテーマだったのかもしれない。
打ち上げを終えて、家へ戻ると22時過ぎ。東京からやってきていたワヤン協会の中村伸さんが泊まりに来てくれた。では早速と、本をプレゼントしてくれた。すごい本だ。この本に関しては、もう一度改めて書かなければならない。松本亮さんのワヤンの本の新刊と絵本。
ワヤン・ジャワ、語り集成<上>、<下> 翻訳:松本亮 八幡山書房
月刊たくさんのふしぎ 2009年1月号 ノントン・ワヤン! 松本亮:文 橋本とも子:絵 熊谷正:写真 福音館書店
どうも先日の乾千恵さんの「スマントリとスコスロノ」以来、ワヤンづいている。
月曜日。チャーハンの朝ご飯を食べて、散歩へ。ブナも保育所をさぼった。田んぼのあぜ道を通ると、長く伸びた稲から、稲穂が伸びはじめていた。棚田は、日差しの加減か田植えの時期の加減か、段によって育ち具合が微妙に違って、きれいなグラデーションになっている。石垣にカタツムリ、桜に蝉、稲に小さなカエル、溝に沢ガニ、小川にシマ蛇。集落の外れにある岩から水がわき出している泉に到着。大きな自然の岩に囲いを付けて、小さな池ができている。足をつけると、1分も我慢出来ないくらいの冷たさ。汗が一気に引っ込んだ。ブナを後ろから突き落とした。止めろや!と言いながら満面の笑み。3度4度と、今度は自ら飛び込んだ。僕も、一緒に飛び込んだ。目が覚める気持ちよさ。
大きな木の横の急な坂道をあがると祠があった。今まで気づかなかった建物。大きなクモの巣があった。持ち主は引っ越したようだ。三方に渡された糸の張力を確かめる。結構しっかり、張られている。ググッと押して行くと、プツンと切れる。張りつめていたネットはスッと縮まり、風になびく。クモの巣のダンス。これだから散歩はやめられない。
土曜日は、セミナーとジャワ島中部地震を契機に生まれたラハルジョさんの作品「Gempa」の上演。「Gempa」の上演は、3回目。バリガムランの小林江美さん、バーンスリーのHIROSさん、それから数名のガムランエイドメンバーもパフォーマンスに加わった。地震を忘れないために行うお祭りのように、いろんな方にこれからも参加して行ってほしいと思う。それが、ラハルジョさんの願いでもある。僕は、地震を引き起こすダンスをした。蛇のようにも見える長い白い布を引きずったり、振り回したりして、暴れ回った。二日目の打ち上げの最後に、ボランティアの学生スタッフの女の子が話しかけてきてくれた。小学生の時に、灘区で地震を体験した時のことをすごく思い出した。蛇のダンスは、怖かったけど、自分の体験と近くて、なぜかうれしかったと。ラハルジョさんによると、今はまだジャワではできないと言う。しかし、いずれは、ジャワでもやることになるだろう。
日曜日は、11時から17時までの長丁場。僕の出番もいろいろあった。11時からのオープニングで、まずは伝統舞踊。Q2はフェリー乗り場なので、海に突き出た埠頭になっている。僕は踊りながら、お客さんの後ろの海が見えるし、お客さんは僕のバックに海が見える。ジャワ舞踊は、波の舞踊。とても気持ちがよかった。後で、見に来ていた美術家の西純一さんに写真をもらった。10年前、スペース天で帰国して初めて踊った時の写真と見比べると、姿勢はほとんど変わらないんだけど、心持ちが変わっているのが、映り込んでいる。ほんとにわずか変化なんだけど、これが10年の変化。
午後からは、美術家の池上純子さんたちとパフォーマンスをした。古い味のある階段。タイルに、手すりに、窓枠に、触ると感じる木目があり、長い時間の記憶が詰まっている。波打ったガラスを通して入る柔らかな光の中で、時間が経過して行った。
続いて、ワークショップ。波のワークショップ、振り子奏法のワークショップ。参加者の方も見事な波を送ってくれて、その波揺らされて、ガムランを叩いた。このシリーズは、どんどん深めて行きたい。最後に、少し湯気のダンスを試みるが、夏場は湯気が見えにくい。寒くなってきたら、またやってみよう。
そして、最後の大混浴。僕は、構成役をまかされていた。すべての出演者、美術家が参加した。ラハルジョさんの「Gempa」(地震)のその後を試みた。少しずつ再生して行くプロセス。しかし、いつしか地震は繰り返される。そして、また再生が始まる。破壊と再生の繰り返し。その再生に、すこしでも新しいなにかを加えていきたい。そんな思いを「シェア」したい、というのが今回のテーマだったのかもしれない。
打ち上げを終えて、家へ戻ると22時過ぎ。東京からやってきていたワヤン協会の中村伸さんが泊まりに来てくれた。では早速と、本をプレゼントしてくれた。すごい本だ。この本に関しては、もう一度改めて書かなければならない。松本亮さんのワヤンの本の新刊と絵本。
ワヤン・ジャワ、語り集成<上>、<下> 翻訳:松本亮 八幡山書房
月刊たくさんのふしぎ 2009年1月号 ノントン・ワヤン! 松本亮:文 橋本とも子:絵 熊谷正:写真 福音館書店
どうも先日の乾千恵さんの「スマントリとスコスロノ」以来、ワヤンづいている。
月曜日。チャーハンの朝ご飯を食べて、散歩へ。ブナも保育所をさぼった。田んぼのあぜ道を通ると、長く伸びた稲から、稲穂が伸びはじめていた。棚田は、日差しの加減か田植えの時期の加減か、段によって育ち具合が微妙に違って、きれいなグラデーションになっている。石垣にカタツムリ、桜に蝉、稲に小さなカエル、溝に沢ガニ、小川にシマ蛇。集落の外れにある岩から水がわき出している泉に到着。大きな自然の岩に囲いを付けて、小さな池ができている。足をつけると、1分も我慢出来ないくらいの冷たさ。汗が一気に引っ込んだ。ブナを後ろから突き落とした。止めろや!と言いながら満面の笑み。3度4度と、今度は自ら飛び込んだ。僕も、一緒に飛び込んだ。目が覚める気持ちよさ。
大きな木の横の急な坂道をあがると祠があった。今まで気づかなかった建物。大きなクモの巣があった。持ち主は引っ越したようだ。三方に渡された糸の張力を確かめる。結構しっかり、張られている。ググッと押して行くと、プツンと切れる。張りつめていたネットはスッと縮まり、風になびく。クモの巣のダンス。これだから散歩はやめられない。
(佐久間新)
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