Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
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ウロコ通信87 書きました。
寒いですね。せっかく咲いたハクモクレンが寒そうです。この間の日曜日、インドネシア語のレッスンをしている大阪本町のレストランCITACITA近くの交差点に立っていると、リュックを背負った中年女性の二人連れが、モクレンとコブシの見分け方について語っていました。
「知ってる? コブシには、花の根本に葉っぱが1枚あるのよ。」

その前の週、大阪ピクニックで上町界隈をピクニックした時、清水谷の近くで、鈴なりのハクモクレンのつぼみがほころんでいました。つぼみの先が見事に全部北方向を向いていました。これは、以前本で読んだ記憶があります。

下界では満開ですが、ウロコ庵近くのモクレンは、赤も白もまだつぼみです。

さて、イベントの情報です。が、事後報告になってしまいました。こんな活動もしていると知って頂ければと思い、遅ればせながら掲載します。

1月に、たんぽぽの家の森下静香さんに誘われて、このプログラムのダンス・ワークショップを見学しました。ワークショップの案内人をしていた北村成美さんの、現場を支配する力、新しい渦を巻き起こす力、周りの環境を察知する力、相手に対するこころと身体の感受性の鋭さなどに、改めて感心しました。

日曜日は、神奈川県からコンテンポラリーダンスの手塚夏子さんと息子のキリン!!君(4才)がウロコ庵へ泊まりに来ました。手塚さんとは、5月に東京の門仲天井ホールでイベントをする予定です。

以下は、主催者からの案内メールの引用です。
イベントの中のディスカッションに参加しました。播磨さんが、質疑応答の質問を、「これは佐久間さんに聞いてみましょう。」とどんどん聞いてくるので、とても疲れました!

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大阪ピクニック 2日目+Q2でダンス
3月14日土曜日 大阪ピクニック坂編 2日目

13時、谷町4丁目改札口に集合。
今日のメンバーは、カミスの僕と大西由希子さん、大阪ピクニックスタッフの高岡伸一さんと原田満智子さん、原田さんの友人Hさんと弟のTさん、大西さんの友人AさんとYさん、染色のFさん、美術家の小池芽英子さん、コンテンポラリーダンスのみすずさん、美術家のNさん、音作家のかつふじたまこさん、それから映像記録をしてくれる大阪大学CSCDの本間直樹さん。ピクニックの途中から、犬と散歩しながらのMさんと花嵐の古川遠さんも加わった。総勢16名。

券売機の横に地上の地図がある。
最初の行き先は、内久宝寺の銅座公園付近。この付近には、内久宝寺以外にも、内本町、内淡路町、内平野町といった地名がある。現在大阪のメインストリートは御堂筋なので、御堂筋を挟んだ本町、淡路町、平野町の方がなじみ深い。でも、あっそうか、大阪城に近い方が内なんだと、大阪城が中心なんだと、大阪城の近くへ来て、地図を眺めて発見した。大阪城を中心として、東西南北放射状に1丁目、2丁目って並んでいるんだよと、かつふじさんが教えてくれた。知っている人には当たり前なんだろうけど・・・、(この日の夜、小島剛さんに指摘された。)。

さらに付近の地名を見ていくと、
谷町、上町、法円坂、清水谷、
アップダウンを感じさせる地名が並ぶ。

坂を下るには、まず上がらねばならないと、銅座公園の美容院へ行った後、上町へ向かおうということになった。
さあ、出発!
地上へ出ると、昼前まで降り続けていた雨は上がっていた。ちょっぴりひんやりするがいいコンディションである。谷町4丁目の東南角を谷間筋に沿って南へ。100メートルも行かないうちに左手を見ると、

あれ!なんでこんなところに階段が!
と階段を発見。土地がガクンと上がっている。いきなりの坂との遭遇。Nさんの提案で、階段で記念撮影。階段を上がると、国立大阪病院がある。塀に沿って南へ。信号を渡ると銅座公園。坂が南北に沿ってアップダウンを繰り返している。古い民家が多いが、アトリエやお店に改装されている民家も多い。銅座公園の少し南に、AさんとYさんが通う美容院があった。髪を切ってもらいながら、人や車が坂をアップダウンする風景を見るのが楽しいそうだ。

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路地裏の庭園
遅ればせながら、「アースダイバー 講談社 中沢新一」を読んでいる。

表紙コピー
縄文地図を持って東京を散策すると、見慣れたはずのこの都市の相貌が一変していくように感じられるから不思議だった。

縄文時代、海は今より内陸部に入り込んでいた。縄文人は、海に突き出した岬に、聖なるものを感じて、墓地や聖域をつくったという。中沢新一は、洪積層と沖積層とが書き込まれた地図と現在の東京の地図を持って、現在は都市の中に紛れ込んだ岬を巡って、東京を散策した。

僕は、岬とも大いに関係のある坂が気になり、坂のピクニックへ出かける。おおいに接点がありそうだ。

と、読み進んでいると、<路地裏の庭園>という章にさしかかった。

マルガサリは、2007年3月大阪のザ・フェニックスホールで、「ガムラン・コモンズ」と題するコンサートをした。そして、2008年5月豊能郡の山で、「森のコモンズ」と題するイベントを行った。コモンズとは、共有地のことである。この本にも「共有」という言葉が出てきた。

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大阪ピクニック
3月7日土曜日
いよいよ大阪ピクニックが始まる。この日は第1回目、船場アートカフェでワークショップ+映像鑑賞+作戦会議。開始30分前の18時に到着。

集まった方々は、
カミスの僕と大西由希子さん、大阪ピクニックスタッフの高岡伸一さん、岡部太郎さん、原田満智子さん、船場アートカフェプロデューサーの中川真さん、服飾美学の水谷由美子さん、染織会社に勤めるFさん、原田さんの友人で元京都芸大生のHさん、Hさんの弟で現精華芸大生のTさん、大西さんにバリ舞踊を習っているAさん、大西さんの友人でデザインをしているYさん、コンテポラリーダンスをしていて僕たちのファンのNさん、犬を飼っていて「坂」も気になるというMさん、ダンスグループ花嵐の古川遠さん、美術家の小池芽英子さん。
総勢16名。

まずは、「大阪ピクニック」開会宣言と「坂」についてのお話。それから自己紹介。みんなそれなりに「坂」が気になっているようだ。Tさんは、トンネルも気になるそうだ。曲がったトンネルとか、地下鉄の入り口とか、僕も気になる。

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キツツキ
今日は雨。暖かい雨。つぼみの膨らんだモクレンや小さなつぼみをたくさん付けた桜の枝にしたたる水のしずくが光ってる。

先日、近くの山を散歩していると不思議な音が聞こえてきた。

コーン       コーン

10秒ほど間隔を空けて聞こえてくる。ジャワにあるスリットドラム、クントンガンのような音。乾いているけど、空洞があって、やや響く感じ。

音の方向を探すと、クスノキの梢に鳥がいて、クチバシで木をつついている。1発つつくと首がグワワワンと揺れる。7,8メートルあるクスノキの先端にある太い枝の先が枯れて空洞になっている。そこをつついているのだ。

静かな山の中に、いい音、いい動きが潜んでいた。

表現ってなんだろう。音楽ってなんだろう。ダンスってなんだろう。山の中で、一人でやっていてもダンスになるのかな?誰かに気付かれた瞬間に音楽になるのかな?不思議不思議。

検索して写真を見比べると、たぶんナミエオオアカゲラだと思う。
(佐久間新)


パリノと坂道へ
パリノを連れて坂道の散歩へ。昨日は寒くて雪が積もったが、今日は少し暖かい。車で大阪市内へ。もちろん雪はなく、とても暖かい。

まずは、谷町通りの四天王寺夕陽丘近くにある坂を散策。続いて、天王寺、阿倍野、帝塚山付近へ。坂を目当てに車を走らせる。面白い。坂を意識しながら動いていくと、段々地形が見えてくる。そして、坂に行き着くと、お寺、神社、学校、病院、遊郭など、ちょっと日常的ではない空間があらわれることが多い。

帰りに靫公園へ。大阪ピクニックを一緒にやっている高岡伸一さんが、公園内に小山を発見していたのだ。あるある、小さな坂がありました。ここでも何か出来そうだ。鳥カゴの中のパリノもうれしそうに声をあげている。

靫公園の近くにあるポート・ギャラリーから展覧会のメールが来ていたので、行ってみる。

黒崎創 写真展「虚空」

2009年2月23日(月)?3月7日(土)
時間:12:00?19:00(最終日18:00まで)

http://www.portgalleryt.com/exhibitions/hajime_kurosaki.html

日没後の空を撮った写真。きれいなブルーでした。

前回お知らせした大阪ピクニック「坂」編。まだ、少しだけ定員に余裕があります。1日だけの参加でも結構ですので、参加希望の方はご一報下さい。
(佐久間新)
おくりびと
「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した。映画はまだ見ていないが、ベン・スハルトさんが亡くなった日のことを思い出した。

ベンさんは、僕がジャワ舞踊をするきっかけになった舞踊家。大学生の頃、始めて日本であった時、びっくりした。どうして父親の兄弟がここにいるのか?という感じだった。

踊りを見て、またびっくりした。こんな風に踊ってみたい、と思った。ベンさんは、当時ISI(インネシア芸術大学ジョグジャカルタ校)のパフォーミング・アーツ学部の学部長だった。

それから数年して、僕はベンさんの大学で学ぶことになった。留学して2年が経過した頃、ジョグジャ王宮で大きな舞台があり、その時に始めて同じ舞台に上がった。もちろんベンさんは主役、僕はその他大勢の神々という端役だった。

ベンさんの踊りは、なんというか、いいお酒が水に近づくように、とてもシンプルだった。変な言い方だが、ジャワのいい舞踊家の平均値を出したようなダンス。

その頃、中川真さんやスボウォさん達と一緒に、ISIでパフォーマンスをした。竹で編んだ鳥カゴに入ったりする変なパフォーマンス。その頃の僕は、伝統舞踊を習う留学生で、即興のパフォーマンスなんてうまくできないのに、随分大胆だったなぁ。

ベンさんも見に来てくれていて、終わった後、僕のダンスをまねしながら、「いいスピリットだった。」と、笑って言ってくれた。

その年の後半、ベンさんの具合が急激に悪くなっていった。直腸ガンだった。亡くなる少し前に、家へ見舞いにうかがうと、無精髭を伸ばしたベンさんが、寝ころぶのがつらいので、立ったまま寝てるんだ、と笑いながら応対してくれた。

1997年12月27日、ベンさんが亡くなった。妹で、舞踊家でありISIの先生でもあったスハルティさんの家でお葬式があった。
中庭にあるプンドポ(ジャワの伝統家屋)には、たくさんの人が集まっていた。

棺には、ベンさんが横たわっていた。真新しい真っ白なジャワの正装姿で、顔には化粧が施されていた。言葉に出来ないほとばしりがごうごうと押し寄せてきた。


ジャワの舞踊批評家であるサル・ムルギヤントさんが、亡くなったベンさんへの手紙を英語で書いています。ベンさんの写真もあります。
http://www.danceadvance.org/03archives/suharto/index.html

今日は雪。昼から降り続いています。一面真っ白です。
(佐久間新)
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