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Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
私たちはなぜ鬼と戦わなければならないのか?
私たちはなぜ鬼と戦わなければならないのか?

鬼が島で何があったのか。
それが私たちの『桃太郎』の出発点であり、終着点です。

 民話では、鬼が島で桃太郎たちと鬼たちとが戦い、桃太郎が勝利します。しかしマルガサリは、この作品に取りかかった当初から、悪いことをした鬼をやっつけるという「成敗(せいばい)」の物語とは異なった方向に動き出していました。作品の作り方としても、全体の筋をすべて最初に決定するのではなく、1場ごとにアイデアを練り上げていきましたから、鬼が島で何が起こるのかも、実際に第4場に辿り着き、それまでの流れを引き継ぎながら新たに考え始めなければなりません。そして「成敗」の物語から抜け出すためには、戦いの結末ではなく、戦いのプロセスをしっかりと描くことが必要でした。
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常に更新される作品
2.野村誠さんとマルガサリ?常に更新される作品

 『桃太郎』には、通常の意味での脚本家、作曲家、振付家、演出家は存在しません。音楽のみならず、台詞や振り付けなど、その細部にいたるまでほとんどが共同創作によって作られています。こうした共同創作のエッセンスをマルガサリに教えてくれたのはやはり野村誠さんでした。

 例えば、第1場の音楽は、野村さんの考案したリレー方式の共同作曲の手法、「将棋作曲」によってできあがった曲がもとになっています。村の情景を描く第2場では、音楽というよりもむしろ村の「音風景」が浮かび上がりますが、そこに野村さんがマルガサリのために作った「せみ」という作品の一部が引用されたりもします。お芝居が中心となる第3場では、太郎・犬・猿・雉それぞれのキャラクターを表現する音楽が登場します。これらは、役を演じるキャスト本人が出したアイデアをもとに、野村さんとマルガサリで肉付けがなされました。そして第4場は、音楽も踊りもほとんどすべて「即興」によって演じられています。それぞれが感覚を研ぎすませて音と動きをつくりだし、たがいに対話をするかのように一瞬ごとに音楽と踊りを変化させていきます。最終場でも、やはり将棋作曲が重要な役割を演じました。
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私たちはなぜ鬼と戦わなければならないのか?
私たちはなぜ鬼と戦わなければならないのか?

鬼が島で何があったのか。
それが私たちの『桃太郎』の出発点であり、終着点です。

 民話では、鬼が島で桃太郎たちと鬼たちとが戦い、桃太郎が勝利します。しかしマルガサリは、この作品に取りかかった当初から、悪いことをした鬼をやっつけるという「成敗(せいばい)」の物語とは異なった方向に動き出していました。作品の作り方としても、全体の筋をすべて最初に決定するのではなく、1場ごとにアイデアを練り上げていきましたから、鬼が島で何が起こるのかも、実際に第4場に辿り着き、それまでの流れを引き継ぎながら新たに考え始めなければなりません。そして「成敗」の物語から抜け出すためには、戦いの結末ではなく、戦いのプロセスをしっかりと描くことが必要でした。
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楽譜のない音楽
2.野村誠さんとマルガサリ?楽譜のない音楽

 『桃太郎』の音楽監修をつとめるのは、作曲家の野村誠さんです。『桃太郎』の音楽は、すべて野村さんとマルガサリの協働創作によって生まれました。楽譜はいっさいなく、演奏者の記憶と身体のみに音楽が書き込まれています。こうした音楽の作りかたについては、野村さんとガムランとの最初の出会いにまで遡ります。
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新たな解釈の可能性を求めて
1.いまなぜ桃太郎なのか??新たな解釈の可能性を求めて

 『桃太郎』は誰でも知っている民話です。しかし実は、古くは秀吉の朝鮮征伐から第二次世界大戦に至るまで、しばしば「戦意高揚のシンボル」として用いられてきたという歴史があります。読み手が応援し、憧れる主人公である桃太郎自身が、「戦い」や「侵略」の担い手であるという側面から見ると、タブーをはらんだ物語であると言えるかもしれません。物語の性質ゆえ政治的にも利用されてきた桃太郎というヒーローを、そのような意図から救出して、新たな生命を吹き込むこと、それがマルガサリ版『桃太郎』の出発点にあります。
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