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Gamelan Marga Sari -Blog-

*ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログです.
ミラーニューロンダンス
少し前、僕がたんぽぽの家でやっているダンスワークに村上泰介さんが見学に来られた。
その日のワークの参加者は、僕、障がい持った方2名、スタッフ2名だった。障がい持った方のうちのひとりは、とても繊細なからだをしているNさんである。向かい合って手を合わせると、触れるか触れないかのやさしさでありながら、しかしピタッと確かに密着する絶妙の加減を感じさせる方なのだ。合わせた手から、体同士の触れる面を移動させていくと繊細なダンスがうまれる。

このNさんとダンスする時は、自分なりにアプローチの方法がある。一緒に動くための「ことば」のようなものである。このことばを使ってはたらきかけると、Nさんは繊細な中にも心地いい明確な反応を返してくれる。

このことばには、法則や体系のようなものがある。しかしその体系は、マニュアルに首っ引きで使うものではなく、その場、その時に起こっていることを感じながら、からだに染み込んだものが自然と出てくる状態でなければならない。文法さえ分かれば外国語がしゃべれるわけではないのと似ている。現場での実践が大切なのだ。

ダンスは、あまりに整理されていたり、理論的だったりすると面白くなくなるが、自分の使うことばに関して意識的であることは悪いことではないと思う。このダンスワークの後、村上さんといろいろと話す中で、自分自身が使うことばに意識的になれたことがある。また、村上さんの目によって、あらたに気づかされたこともある。

後日、送られてきたレポートです。ご本人の許可をいただいたので掲載します。

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たんぽぽの家 見学レポート 001
作成 村上泰介(京都市立芸術大学大学院 博士(後期)課程)
はじめに
たんぽぽの家を見学するにあたって
筆者は、あらゆる人に開かれたコミュニケーション・メディアを用いた創造の場を構築すること を目標にしている。本構想に至ったのは、自閉症スペクトラム̶対人相互的反応などコミュニ ケーションに問題を抱えている̶の研究を通して多様なコミュニケーションのかたちについて考 えたためである。コミュニケーションの多様性を考えることは、その背後にある世界認識の多様 性を考えることでもある。 たんぽぽの家では多様な人たちが活動している。その多様性に直に触れることで目標とするコミュニケーション・メディアのかたちを探って行きたい。

たんぽぽの家を見学するにあたって
筆者は、あらゆる人に開かれたコミュニケーション・メディアを用いた創造の場を構築することを目標にしている。本構想に至ったのは、自閉症スペクトラム̶対人相互的反応などコミュニケーションに問題を抱えている̶の研究を通して多様なコミュニケーションのかたちについて考えたためである。コミュニケーションの多様性を考えることは、その背後にある世界認識の多様性を考えることでもある。
たんぽぽの家では多様な人たちが活動している。その多様性に直に触れることで目標とするコミュニケーション・メディアのかたちを探って行きたい。

たんぽぽの家・見学の日程
たんぽぽの家における様々な活動の見学をさせていただいた。

2月23日(木)佐久間新さん・ダンスワークショップ 見学

2月24日(金)もりながまことさん・演劇的ワークショップ 見学

3月3日(土) 仮装競争、縁日作り 見学

上記日程における見学について、特に自閉症の人の研究から得られた知見と関係が深いと筆者が感じた佐久間新さんのダンスワークショップを中心に詳述したい。

見学レポート
佐久間新さん・ダンスワークショップ ̶自閉症の研究から得た知見などをもとに注目したこと̶

注意からはじまる
肌寒い晴れた日の午後、障害を持たれていると思しき人たちとスタッフが数名、スタジオに佇んでいると佐久間さんが壁をコツコツと叩き始める。小さな音が人々の注意を集めると、続いてその場にたまたま在ったドラムスティックを佐久間さんは床に転がす。佐久間さんの行為と人々の間に在った心理的な壁がドラムスティックが床に転がるカラカラという音で崩れ始める。ドラムスティックを投げ返す人々の応答。やり取りがしばらく続く。静かなスタジオにカラカラという音が響き続ける。やがて障害を持たれていると思しき一人に佐久間さんがそっと近づいた。以下にその人(以下Nさん)と佐久間さんの身体的な対話の中で私が興味を抱いた点について記載したい。

注意から模倣へ
Nさんは声を出して話すことが苦手なようだ。もの静かな方であまり周囲の人と目を合わせたりもしないようである。音楽が好きなようで、スタジオに響く音に合わせたリズミカルな動きに明るさが感じられる。Nさんの目の前で佐久間さんがゆっくりと拍手するような動作を始めた。パン、パンという音にNさんは注意をひかれる。心地よいリズムにNさんも一緒に拍手するような動作を始める。パン、パンというリズムが繰り返されるかと思った瞬間、佐久間さんは拍手する手前の位置で手を止めた。慌てて手を止めるNさん。また拍手するような動作が始まるが、合わそうとする手と手が空を切るような動作が差し挟まれる。それに合わせるNさん。模倣の遊びのような動作
が始まった。

身体の接触―複雑な模倣への移行―
佐久間さんの右手がNさんの方へ伸びる。佐久間さんに正面から向き合うNさんは左手を合わせる。押したり引いたりしながらお互いの手のひらはぴったりとくっついたまま離れずに様々な動作が繰り返される。しかし繰り返された動作は別の様子に変わる。ある瞬間に佐久間さんとNさんの手のひらの小指側の縁を中心に線対称な動きで回転を始め、そのまま背中合わせの動きに移行した [図1]。線的な動作から円的な動作へ、視覚に頼らずに他者の動きと合わせる複雑な模倣へと二人の動きが移行した。模倣が協調的な動作へと変化を遂げた。

起ち上がるミラーニューロン
佐久間さんとNさんが膝を突き合わせて座るかたちになる。互いの右手と左手で相手のふとももをさする動作の模倣、続いて互いの拳で相手のふとももを叩く動作の模倣、右手の動作と左手の動作が交互になり、触れる相手のふとももの上で互いの左右の手が交差する。だんだんと動きが早くなったその瞬間、それまで鏡に映したような二人の動きが変わった。互いの右手同士、左手同士の模倣に変わったのだ。自閉症の子どもはバイバイの動作をするときに相手に手の甲を向けるという。このバイバイは決しておかしくはない、目で見たとうりに模倣できているからだ。では、なぜ多くの子どもたちは、手のひらを相手に向けてバイバイができるのか。それは相手の動作・行為を見るだけで、その動作・行為を促す脳内部位が無意識のうちに活動する自動的な仕組みによる。この仕組みを引き起こす脳内部位がミラーニューロンであり、他者への共感の神経的基盤と考えられている。


佐久間さんとNさんの協調動作は意識的な状態から、ある瞬間に無意識的な状態へ、視覚的な鏡の関係から、身体的な鏡の関係―ミラーニューロンシステムが動作した状態―へと移行したのかもしれない。

注意の消失
座った状態での一連の動作が続いた後、座ったまま背中合わせにぴったりとひっついて佐久間さんとNさんは同じ動作を続けていた。そして、そのままの動きを維持しながら少しづつ二人は離れて行った。距離が広がるが二人は振り返ったりせずに動作を続ける。しかしスタジオ内に後から参加した車椅子の人に佐久間さんが働きかけたその瞬間、Nさんははじめて不安そうに振り向いたのだ。それまである種の信頼関係のようなものでお互いが見えない状態でも協調的に動き続けていた二人の間の引力のような関係が消失した瞬間だった。初見では佐久間さんとNさんの距離が離れ過ぎたことが主要因かと思われたこの状況を、後で佐久間さんはNさんへ向けていた注意が別の人に移ったからではないかと言われたが、まさしくそのとうりであったように思う。実際にはその場の音やかすかな発声などを通してNさんは佐久間さんの注意が自分から離れたことを感じたのだろうと考えられるが、その瞬間を鋭敏に捉えたNさんの知覚を支えていたのはどのような認識だったのだろうか。

ダンスワークショップを終えて
佐久間さんのダンスには自身の身体と他者の身体を関係づける多様なボキャブラリーがあるように感じられた。それは、意識と無意識が不断に切り替わり、ゆらぎ続ける場であったように思う。


動きの波
佐久間さんはある一連の動きから別の動きへの変化が波のように起こることの重要性を語られた。小さな波を積み重ねて行くことで大きな波が起きるのだという。

異なる感覚間のゆらぎ
視覚から触覚、触覚から身体感覚など異なる感覚へと注意が切り替わる場面が多く見られた。こうした瞬間に新鮮な驚きや喜びが含まれているのだと佐久間さんはいう。

気配を感じる感覚
視線で直接他者が見えない場合でも他者と協調的な動作ができる。それは空気の質の変化を感覚が捉えているからだという。例えば指が物体に触れているか離れているかは、影の変化を通して周辺視野が捉えることができる [図2]。環境から感覚が捉える内容は注意の外側にもある。


影になったつもりで踊る
舞踊の稽古において佐久間さんが手本となる場合、鏡のように相手の動きを導くには自分の身体を意識的に左右反転させようとしても上手くいかない。相手の動いて欲しい箇所に意識を集中して誘っていくような感覚が必要だそうである。
自閉症の人は定型発達と呼ばれる人と異なった現実感を持っているのだと思うが、その現実感に触れることには困難を伴うだろう。しかしながら、身体の協調を通して互いの接点を見いだし多様な関係性を生み出す佐久間さんのダンスの在りようは、言語を通しては触れるのが困難だった他者の現実感を自身に取り込む可能性を豊かに開く方法が数多くあることを感じさせてくれた。


見学からの気付き
私たちは言語や常識などを学び、社会という共同幻想をつくりあげて互いの異なる世界認識を共有しているような感覚を得ているのだと思う。筆者は自他の間で異なる現実感の接点を見いだすことがコミュニケーションである、と定義したうえでその接点をコンピューターテクノロジーを基盤とするニューメディアを用いて拡張していきたいと考える。
佐久間さんのダンスワークショップを見学して自他の関係性が、諸感覚の切換わり、意識と無意識の往復、安心と不安などが次々と身体動作を通して変化することによって小さな波が大波になるように互いの身体の共振の振動が大きくなるのを感じた。
自他の間に多様な関係性を構築するための接点を生み出すコミュニケーション・メディアを構想するにあたっての視点を与えてくれるワークショップであったと思う。

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Comment
≪この記事へのコメント≫
たいへん興味深く読ませていただきました。村上さんの深い見解と 佐久間さんとNさんの様子とが 目に浮かぶようであり イメージできました。 私は、音楽で同じようなイメージでかかわることがあります ECHOということですが。みえる形と見えない形での 呼応ですね。。。          
ありがとうございました
2012/04/16(月) 11:12 | URL | ながいみち #-[ 編集]
ながいみちさん、コメントをありがとうございます。
音とダンス、僕のテーマです。
ダンスにも見えないものが、音にも見えるものがあるんでしょう。
人と人、人と自然、人と場所との呼応の中にうまれてくるんだと思います。
ちかくて、ながいみちを超えて!
2012/04/17(火) 07:49 | URL | さくましん #JvQfqRII[ 編集]
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